筋肉の塊のような彼――あるいは彼女――が去ったことで、室内は一気にがらんと殺風景になる。
「俺としては、受けたほうがいいと思う」
さっそく、エレンは本題を切り出す。
「このまま歩いてバベルに辿り着くのは、正直現実的じゃないと思うんだ」
アデルを説得するならば、とにかく論理的にいったほうがいいだろう。そう思って分かりやすい現状の問題点を指摘すると、意外なことに、アデルはこくりと頷いた。
「同意。あのフロートバイクであれば、移動速度は格段に向上すると推測。手に入れるべき」
「そうなのか? それにしちゃ、災竜退治に気が進まなそうだが……まあ、どうしたってアデルに戦わせることになるし、俺からの無理強いはできねえけど」
「否定……否定、説明。あれは放射能汚染生物……流民の言う
「そりゃ、ただの変異生物とは何が違うんだ?」
「内部にエーテル、神の光を扱う器官がある。ゆえに強力であり、危険」
「……デカいレイヴンみたいなモンか」
こくり、とアデルが頷いた。
「エーテルの補充さえ受ければ、自分のほうに分がある。しかし現状であると、こちらは飛行の手段がなく、【
「ん? じゃあなんだ、アデルが殴ったら倒せはするのか」
てっきり勝ち目がないから嫌がっているのだと思っていたエレンの問いに、アデルはまたも頷く。
「頭部ないし心臓部の破壊さえできれば、討伐は可能。しかし、相手も先の一戦で自分の攻撃力を把握したと推測……地上には降りてこないだろう。正面突破は不可能」
「つまり、不意打ちならなんとかなるってことか」
アデルは
「となると……酒が毒になるっていうのも含めて……なあ、アデル。災竜がレイヴンと同じだってんなら、どうして俺たちを見境なく襲ってくるんだよ? レイヴンは、攫いはするけど進んで殺しはしないだろ」
「生物にエーテルを搭載した場合、その維持にエーテルとは別のエネルギーを多量必要とする……すなわち、強力な飢餓感に苛まれる」
「つまり、アイツは腹ペコなんだな?」
「恐らくは。エナジー・バーの生産プラントがあるとしても、蛋白質……肉類が不足しているのだろう」
災竜がレヴィを襲った理由を想像し、エレンはぶるりと肩を震わせた。
毛皮もウロコもない人間の群れは、さぞかし立派なごちそうに見えたことだろう。エレンもアデルに助けてもらえなかれば、今ごろ腹の中だったというわけだ。
そんな相手と戦うのか……と恐怖も湧き出てくるけれど、やはりやるしかないだろう。バイクは絶対必要だ。このまま進めば飢えて死ぬか、アデルのエネルギーが切れたタイミングで変異生物に襲われて死ぬか、どちらも勘弁願いたい。
「よし。とにかく、作戦を立てよう。なんとかして酒を飲ませたらなんとかなる、んだよな?」
「不明……しかし、酩酊によって飛行能力を喪失ないし減衰すれば、戦闘は容易になる」
「だったら、こういうのはどうだ――」
頭の中に浮かんだのは、現状荷物の大半を占める例のもの。
エレンが思いついた作戦を披露すると、アデルはしばらくの逡巡のあと、息を吐いて立ち上がった。
「それならば成功率は高い、と推測……了解した」
「手伝ってくれるんだな?」
「自分とあなたは協力関係。利害が一致している以上、当然の判断にあたる」
相も変わらず簡素な物言いだ。しかし賛同してくれたのだから、エレンのほうも文句はない。
そうと決まれば、二人は外で酒を飲んでいたシャリーを部屋の中に呼び戻す。
「災竜討伐、引き受けることにした」
「本当に!?」
代表してエレンがそう言うと、筋肉の塊、もといシャリーはまるで子供のように跳びはねて喜んだ。すさまじい地響きに並んだ酒瓶がカタカタと揺れ、エレンはこの部屋ごとひっくり返ってしまうのではないかと危惧しながらそのはしゃぎっぷりを眺める。
かと思えば、今度はエレンの両腕をひったくるように掴んでぶんぶん上下に振り回すものだから、肩を痛めたエレンは「いでえええええ!?」と大きく悲鳴をあげてしまう。
「な、なにすんだよおじさん!」
災竜に挑む前に死んでしまいかねないと、エレンは飛び退くようにして後ずさる。
「あら、ごめんなすって! 嬉しくってついつい。アデルちゃん、おてて貸してちょうだい」
「……こう?」
壊れ物のようにそっとアデルの腕を掴むと、今度は優しく揺らしてみせる。
「俺とずいぶん取り扱いが違くないか……?」
「あら、女のコには優しくするものよ」
「怪我人にも優しくしてくれよ」
「ごめんなさいってば。よーっし」
ぱっと手を離し、シャリーは部屋の中に据えられた箱のうちの一つを開く。
中に入っていたのは、大量の保存食だった。エナジー・バーにフルペースト、ゼリー飲料、粉状のもの、とにかく多種多様である。
全体的に、入手の容易な……つまり、マズくて人気のない品ばかりである。都市遺跡に行って三十分も探索すれば見つかるような。
「あのトカゲを倒す手が見つかるまで籠城するつもりだったから、たっくさん持ってきてるのよ。今晩はこれをアテに酒盛り! エレンくんとアデルちゃんも、好きなだけ食べていいわよ」
「あんまりテンションの上がらないラインナップだな……。ありがたくいただくけどさ」
早速とばかりにシャリーが注いでくれたウイスキーのグラスを、エレンは丁重に受け取った。酒の価値はいまいち分からないが、自分も見たことのない都市遺跡からの発掘品なのだから、恐らく貴重なものだろうと思ったのだ。
琥珀色をしたその見た目は、前に飲んだことのある合成のウイスキーとそう変わらない。苦い消毒液のような味を思い出し、自然とグラスを睨みつけていた。
「あら、飲まないの?」
「いや、飲むよ。折角の機会だし」
宣言通り、エレンはグラスの縁に口をつけて、一気に傾ける。
「ッ、!? げほ、げほッ! ……んだこりゃ、あっついぞ!?」
咳き込むエレンを見て、シャリーはばんばんと手を叩いた。
「あっはははは! 合成のうっすいアルコールとおんなじ風に飲むからよ! 普通、水なんかを混ぜるの」
「じゃあ最初から混ぜたのをくれよ! ……あ、でもいい香りだな。なんつーか、植物みたいな後味……?」
「原料が何かは知らないけど、木の容器で保管されてたからねえ。はい、アデルちゃんも。お水はそっちの瓶ね」
手渡されたグラスを、しかしアデルは微妙な面持ちで眺めている。
「どうした? 酒は飲めないのか?」
エレンがさりげなく耳元で囁くと、アデルも小さな声で返答する。
「不明。しかし災竜にとっての毒ならば、レイヴンにも毒である可能性はある。微量であれば問題はないだろうが、この量となると……」
「ふむ……シャリーさん、この粉ってドライミルクだよな? んでこっちは固形砂糖……両方貰っていいか?」
エレンは保存食の箱の中から、容器を二つ取り出した。
「好きに食べていいってば」
「じゃあ、ありがたく」
次に、今度は自分の荷物から、例の白バケツ――調理鍋を取り出す。お料理開始だ。