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2ー2【酒呑みシャリー】

 それと同時だった。

『グルルルォ……ガァッ⁉︎』

 ぴたり、災竜の動きが止まった。

 一瞬、死に際に知覚が引き延ばされるというやつかと思ったが、翼の動く速さは変わらない。その場でホバリングしているようだ……と、思ったところで、

『ゥアウ……ガァゥ……』

 などと口の中で低い唸り声を響かせながら——驚くべきことに、災竜は回れ右をした。

「は…………?」

 唖然とするエレンをよそに、災竜は空の彼方へと飛び去っていってしまう。もはや、こちらに一切の見向きもしなかった。

 腹の上にぐったりとエネルギー切れのアデルを乗せたまま寝転がり、数十秒ほど経っただろうか。

 ——コツ、コツ。

 硬質な足音が、こちらへ近付いてくる音がした。

 それから、強い例のアルコール臭も。

 全身ズタボロの己に鞭打って、エレンは再びアデルを抱え直す。足に力を込め、のろのろワイヤーガンに手を伸ばしたところで。

「あらやだ、あのゴミカストカゲ野郎が暴れてると思ったら、こぉんな可愛いコが二人も!」

 エレンは驚愕した。

 今の声は間違いなく、自身のそれよりも数段は野太い、男性のものだったのである。

 ああ、災竜の攻撃で耳がおかしくなってしまったんだな、という方向に思考を巡らせた辺りで、にゅっと視界に顔が入り込んできた。アルコールの匂いに塗れたそれは、スキンヘッドで無精髭、壮年の男の顔であった。

「んもう、いくら仲良しだからって、外で寝てたら風邪ひいちゃうわよ! ど〜っしてもおねむなら、アタシが運んであげましょうか?」

「あ……ああ、アルコールの幻覚的な……」

「幻覚? ひょっとしてアタシのこと? いやぁね、失礼しちゃうわ。このクソッタレな世界にこーんな美人がいるなんて、信じられないのは分かるけど!」

「……あ、はい」

 エレンは理解を諦めた。一周回って、なぜだか冷静になってきたような気もした。

 正体不明の相手ではあるが、とにかく敵意はないようだ。アデルは意識を保つエネルギーさえ尽きたのか目を瞑ったまま動かないし、助力を求めるべきだと判断する。

「えっと……この子……と、できれば俺のことも、助けてくれないか? 骨がいかれちまったみたいで、動けなくて……」

「うふ、モチロンよ!」

 ばちん、と男はウインクを決める。

 意識が遠のく感覚があった。怪我かアルコール臭のせいだろうな、と思っておいた。

「アタシのステキなマイハウスに招待してあげるから、ちょっと失礼」

 言うなり、男はそのがっちりと筋肉に覆われた両腕でアデルごと……どころか二人分の荷物ごとエレンを抱きかかえると、非常に安定した足取りですたすた歩き始めた。

 向かう先は、エレンの目指していた集落のより少し横に逸れた方向。

 無心で揺られること少し、辿り着いたのは。

「プレハブ……いや、旧文明式のテント……?」

「あら少年、物知りね。そうよ、前に旧都市遺跡で見つけた便利アイテム」

 材質のわからないつるりとした箱型の家が、ちょっとした窪地になんの脈絡もなく建設されていた。

 サイズとしては、あの老人が住んでいたプレハブよりも数回り大きい。

 中に入ると、男はエレンとアデルを毛布の上に横たえてくれた。

 部屋には琥珀色の液体に満ちた瓶、なんだか分からない円盤状の機械、それから見覚えのある箱がいくつかが置いてある。それを見て、エレンは自身の体が痛むのも忘れてガバッと半身を起こした。

「あ、あの! あれって、ブロックフードの箱だよな⁉︎」

「え? ええ、そうだけど……」

「分けてくれないか? その、ツレが空腹で倒れちまって……えっと、代わりに砂漠蛇の肉なら渡せるんだが……」

「別にいいわよ、たくさんあるし。好きなだけ持ってきなさい」

 わざわざ箱を近づけてくれたので、エレンはそこから包装された四角い包みを取り出し、開封し、中身をアデルの口元に近づける。

「ほら、アデル! 食えるか?」

「…………」

 返事はなかったが口が僅かに開いたので、すかさず角を食い込ませるようにしてブロックフードを押し込む。

 幸い、エネルギーが完全に枯渇したわけではなかったようで、もそ……もそ……と、ゆっくりアデルの口が動いた。

 しばらく食べさせると、ようやくのろのろ起き上がるアデル。

「活動可能値までのエネルギー充填を確認。……助力に感謝する」

 アデルが律儀にぺこりと頭を下げると、男は微笑ましそうに顔を綻ばせた。

「あら、どうも。でも過度なダイエットは禁物よ、お嬢ちゃん」

「戦闘でエネルギーを……否、少々動きすぎた。当機……否、自分の補給はこの携行食にて完了したので問題ない。重ねて感謝する」

 アルカでのやり取りを活かしてか、レイヴンだとバレないような口調を構築しているらしいアデル。

 そこでようやく、エレンは自分がお礼を言っていないことに気がついた。立ち上がり、頭を下げる。

「俺も、ありがとうございます。ええと……おじさん?」

「あ゛ん?」

 野太い威圧音が響いた。

 災竜の唸り声に匹敵するほどの迫力だった。

「……お、お兄さ……」

「は?」

「…………お姉さん」

「はぁいっ」

「………………ありがとうございます、お姉さん。俺はエレンで、この子はアデル」

「アタシの名前はゴドリックだから、縮めてシャリーって読んでちょうだい」

「ウス……シャリーさん……」

 どこをどう縮めたのかは訊かず、エレンはこくこくと頷いた。

 自分は文字が書けないから分からないが、案外そうなるものかもしれない……ということにした方がいい気がする。

「それで、エレンくんにアデルちゃん。あなたたち、どうしてわざわざトカゲ野郎の縄張りに? 言っちゃあなんだけど、アタシが来なかったら食べられてたわよ」

「集落を目指してたんだよ。この近くに、泉の湧き出る場所があったと思うんだけど、おじさ——シャリーさんは知らないか?」

「あら、【レヴィ】のこと? 知ってるわよ。アタシの生まれ故郷だもの」

 なんと、それなら話は早い。補給の問題はなんとかなりそうだ、とエレンは質問を重ねる。

「助けてもらった上で悪いんだけど、ここからどのくらいで着くか教えてほしい。装備を整えたくてさ」

「残念ながら、どこまで行っても辿り着けないわねぇ」

「……どういう意味だ?」

 エレンの問いに応じたのは、シャリーではなくアデルだった。

「推測……あの混合型変異生物モンスターの生命活動には、自分以上のエネルギーが必要と推測される。この近辺に流民の集落がある場合、恰好の餌場となり得るだろう」

「そ、正解」

 つまらなそうな目つきと口調でシャリーが頷いた。

「ぜーんぶあのクソトカゲが食べちゃったの」

 は、とエレンの口から息が洩れた。

「食べちゃったって……じゃあ、集落は」

「だから、もう残ってないのよ。しかもエナジー・バーの生産プラントがあるせいなのか、トカゲ野郎はずーっと居座ってくれちゃってるしネ」

「ああ、あったなそんなの……そうか、災竜ドラゴンは大食いだから」

 よろよろ、とエレンは座り込んだ。

 集落レヴィは、機能をほぼ完全に喪失した遺跡を中心として構築されていた。

 遺跡からの主な恩恵はなぜだか湧き出るさまざまな温度の泉だったが、他に、油脂用昆虫飼育場及びそこからエナジー・バーを作るプラントだけは自動化されたまま動き続けていた。……あんなのを食べようとする人間はいないので忘れていたが。レヴィでは、主に焚き火用の文字通り燃料として使われていたのを思い出す。

「そっか……滅びたのか……」

 実に、よくある話だ。

 エレンはなるべくそう思おうとした。いちいち全てを思っていたら、とても身がもたない。

 ただ、終わりかけのこの世界が、さらに一歩終わりに近づいたと、それだけの話なのだから。……そう、思おうとした。

 人はどんどんと減っている。エレンはたまたま生き残っているに過ぎない。

 淀んだ空気を打ち消したのは——あの、くらくらするアルコールの匂いだった。

「いやぁね、湿っぽくしちゃって。こういうのは、お酒を飲んで忘れるに限るわ。ね?」

 シャリーが栓を開けたのは、琥珀色の液体がたたえられた透明なプラスチック瓶だった。そこから、濃密なまでの酒気が漂っている。

「質問……娯楽用の、アルコール飲料? この量はいささか過剰ではないか」

「あら、娯楽じゃなくて生きがいよ。それに、ただのアルコールと侮ってもらっちゃ困るわね。少年にお嬢ちゃんは、こんなの飲んだことないでしょう?」

「いや、合成ウイスキーとか、急造の豆酒くらいなら……」

 酒を作る余裕のある集落だろうと、それが子供には与えられることはない。健康や倫理のためではなく、貴重だからガキなんぞに飲ませられるかという理由だ。

 が、そもそもエレンは子供ではないし、都市遺跡で見つけた合成酒をそのままにしておくのも勿体無いので、ちまちまねぐらに集めていたりもした。

 しかし、シャリーはちっちっちっと指を振る。

「合成ウイスキーって、あの、飲料用純粋アルコールに水と化学香料を混ぜた、焦げ臭いだけの液体でしょう? それに豆酒なんて、食べられない飼料用の豆を、即席発酵剤で無理やり液体にしただけじゃない! エナジー・バーが人間用固形燃料なら、あれは人間用液体燃料よ」

 酷い言いようである。

 が、実際どちらもエレンの感想としては「マッズ」の一言に尽きるので言い返せない。

「では、この酒は違うのか?」

「あらアデルちゃん、良い質問! そうよ、これはなんていったって、合成じゃあないホンモノのウイスキーだものっ! ……まあ、何百年モノかは分からないんだけど。というか、ウイスキーがなんなのかもよく分からないんだけどね? ラベルに書いてあっただけで」

 ああ、なるほど、とエレンは得心した。それはこの、とてもどういう仕組みで作られたか分からない箱状のテントも含めての納得である。

「おじさん、旧都市遺跡に住んでたのか」

「あ゛?」

「シャリーさんです間違えました」

 慌てて言い直すと、シャリーはケロリと元の微笑みに戻る。とは言っても、禿頭で筋骨隆々の男性が浮かべているので、これはこれで恐ろしいまでの迫力があるのだが。

「そうよ、ここからバカ離れた遺跡だけどね。それでこーんなお宝手に入れたけど、やっぱり誰かと飲みたいじゃない? だから戻ってきてみたら、クソトカゲ野郎しか飲ませる相手がいないんだもの。二人が来てくれて助かったわ」

「……災竜に飲ませたのか? その、ウイスキーを?」

「アイツは飲まないわよ。っていうか、アルコールの匂いがすると逃げちゃうの。だからアタシはツマミにならずに済んでるってワケ」

「ああ、だからシャリーさんが来た途端に逃げたのか、アイツ」

 思い出した途端、あわや食われる寸前の恐怖が蘇ってきて、エレンはぶるりと身を震わせた。

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