話を終えたころには、部屋の前に何人ものアルカ住人が集まってきていた。
若い男が多い。いかにも血の気のありそうな連中で、アルカにとっての悪たるエレンをぶん殴りに来たに違いなかった。
遅れ、エレンはアデルがある程度丁重に扱われている理由を悟る。若く健康な女性というのは、集落にとって寿命を伸ばすための生命線にも等しい。それも、非常に優れた容姿をしているともなれば尚更だ。
不安がエレン胸中に集う。
無論、アデルは岩鼠とレイヴンが無関係だと知っているだろう。
しかし、機械のように合理的な彼女が、果たしてエレンの味方に付くだろうか? それよりも、数の多いアルカ住人に味方したほうが利があると判断するのではないか。自分たちは、あくまで“利害の一致”により行動を共にしているのだから。
「これで分かったろう、トウキさん。この男はとんでもない不信者だ」
「否定」
短く鋭利なその言葉がアデルの口から出たことに、エレンさえもすぐには理解できなかった。
しかし、アデルは真っ直ぐにレオのことを見据えて。
「あなたの主張は、著しく真実性を欠くと判断する。レイヴンに流民が接触したからといって、それにより変異生物が現れることはない」
「な……何を! まさか、君も天を愚弄するのか!? 許されないぞ、そんなこと!」
「否定。当機は何より天を是とする。その上で主張する……理解が容易となるよう、語彙を模倣……完了」
ざわつく周囲の警戒、敵意、悪意、そういうものをすべて跳ねのけるようなはっきりとした声色で。
「エレンを愚弄しないで。当機はそれを許さない」
「……君もこの叛逆者の仲間なんだな、トウキさん!」
「否定。当機の仮呼称は、トウキではなくアデル」
「なんだ、さっきからその気味の悪い話し方をして。エレン君に洗脳でもされたか?」
きゅっと、アデルの口が真一文字に結ばれた。
「伝達した。許さないと……レイヴンとの接触が許されないというのなら、当機が――」
言いながら、アデルの背中がキュィンと音を立てる。機械翼を出そうとしているのがエレンにも分かった。
目の前の彼女が畏怖する対象たるレイヴンであると知れば、それが天に逆らったはずのエレンに味方しているとなれば、アルカが狂乱に陥るであろうことは想像に難くない。エレンを理不尽にも責め立てたアルカを、レオを、エレンが逆に責め立ててやることだってできるかもしれなかった。
だから、エレンは。
「やめろ、トウキ……いや、アデル」
そっと縛られたままの両腕でアデルの背に触れて、出現しかけていた機械翼を押し戻した。
「なあ、レオ。買い物は諦めるよ。俺が出て行けばいいんだろ?」
「なッ……このままみすみす見逃すと思うのか! 外に出したりなんかしたら、また災厄を運んできかねない。他の人まで連れてきたから事情を聞こうと生かしておいたが、それがこんな頭のおかしい女だと知ってたら初めから――」
「質問。初めから、どうした?」
レオが振り上げた拳を、いつの間にかアデルが指二本で受け止めていた。
かと思えば、反対の手でしゅっと空気を切る。すると、エレンの腕を縛っていた縄が切断されてはらりと落ちた。
「出て行けばいいんだろ」
同じ言葉を繰り返し、エレンは立ち上がる。すぐに、足の縄もアデルが切り捨てた。
レオも、他の連中も、明らかに異常な力を有するアデルを目の前にして怯えたように動かない。そんな彼らの間をエレンが通り過ぎると、アデルも大人しくそれに付いてきた。
アルカの構造は複雑だが、もともと住んでいた場所である。エレンはすぐに現在地と出口の方向を理解し、歩き去ろうとした。移動手段は、都市遺跡で何かないか探せばいい。
「――待て!」
その背中に、レオの叫び声が追いついた。
「……なんだよ、レオ」
「出て行って、どこに行く気だい」
「そりゃ都市だよ。お前らが買い物をさせてくれねえなら、自前で調達するしかないだろうが」
「許さないぞ、そんなことは」
「……はあ?」
エレンが訊き返すと、レオはますます怒りを強めて吐き捨てる。
「都市遺跡はアルカに近い……君が岩鼠を呼んだのもそこだ! どこかへ行くというのなら、アルカに害を及ぼさないどこか遠くに行ってくれ!」
「なんでお前に指図されなきゃいけないんだよ……だいたい、断ったらどうする気だ」
「君を殺す」
あくまで本気の口調で、レオは宣言する。
「僕が君より追跡が上手いのは知っているだろう。都市の歩き方だって知っている……このまま都市と反対に行かないのなら、君の寝泊りしている場所を必ず探し出し、薬を撒くなり爆破するなりしてやる。まだ爆薬が残っていてね」
「……冗談だろ?」
「まさか」
アデルが顔をレオのほうに向け、またエレンのほうへと戻した。言葉はなかったが、逆に殺そうかと問うているのだろうとエレンは推測し、首を横に振った。
「……分かったよ。このまま俺たちは南に向かう……それで満足か?」
「早く出て行ってくれ」
「わぁったって、お前が引き留めたくせによ。ほらアデル、行こうぜ」
たくさんの敵意に晒されながら、二人はアルカから脱出した。外は、とうに夜の暗闇へと沈んでいる。空には濃い雲が垂れこめており、天の灯りすらなかった。
「……質問。なぜ従った? 武力では当機に分がある」
「暴力はいけないからな。……それに、俺の拠点はじいさん――あの、ガラクタ直しのじいさんの拠点のすぐそばなんだ。戻ったらじいさんに迷惑がかかるかもしれない」
エレンと親交があると知ったら、たとえ関係ない者でも叛逆者として害をなすだろう。かつての親友の瞳に浮かんでいた狂気を思い、エレンは少し悲しくなった。
「……それよりも。アデル、あそこまでアイツを煽らなくてよかっただろ?」
「煽る、とは?」
「愚弄したら許さないぞ、ってやつだよ。別に、俺が悪く言われたって関係ないだろ? ただの協力関係なんだから」
「…………」
なんでもない質問のつもりだったのだが、なぜかアデルは長いこと沈黙し、目を伏せた。
たっぷり数十秒が経ったあと、アデルの瞳が――暗闇の世界でも鮮烈なその赤が、真っ直ぐにエレンを見る。
「不明なエラー。当機は……エレン、あなたが理不尽な物言いに晒されるという状況に……エラーを観測した」
「エラー?」
「心臓部の発熱、思考能力の低減など。エラーを解消するには、あなたを守る必要があった」
「…………」
今度は、エレンが沈黙する番だった。
なぜなら、それは。アデルの言うそれは、間違いなく、エレンへの親愛、それから来るレオへの怒りに他ならない。
(ああ……やっぱり、人間と同じなのか。この子は)
ただ、本人がそれにまったく気付いていないだけで。
何かを返したい、と思った。自身の持つ情すら分からないその身の上で、尚エレンに味方してくれた優しい彼女に、自分の与えられる何かを。
……空っぽの自分が、いったい何を渡せるというのか。
「……なあ、アデル」
思いついたのは、たったひとつ。
「俺は、アデルを絶対天へ連れていく。絶対だ――そう、約束するよ」
「了解した。なら、移動を開始したほうがいいと提案」
ああ、とエレンは頷いて歩き出す。宣言通りに、都市とは反対――天まで伸びる塔、“バベル”のそびえる方向に。アデルもその横に並ぶ。
先は見えない。光のない世界では己の足元すらも覚束なかった。どこを歩いていくのか、どこへ向かっているのか、分からない。分からないけれど。
横を見る。
アデルの赤い瞳が、微かな——しかし確かな光を宿しているのを、エレンは確かに見たのだ。
それはきっと、自分にはないもので。
それはきっと、自分が一番に求めているもので。
「……行こう」
暗闇の下、二人の旅が始まった。