二人の探索は順調だった。
最初の一回目から、エレンはいくつもの――アルカでは生成できない――合成食糧やら、あるいは旧文明の娯楽入り情報端末を見つけ、レオもまた宣言通りに鎮痛剤を大箱で持って帰ったのだ。
そんな分かりやすい成果があれば、アルカ内の住人たちも外に出るなとは言わなくなる。人間、欲望には弱いものなのだ。
エレンとレオ。アルカの外から来た快活で粗野な青年と、アルカで生まれた丁寧で落ち着いた青年。
正反対に思える二人はしかし、なかなかに良いコンビであった。反対というのはつまり、お互いにお互いの短所を長所で補い合えるということであるからだ。
「流石はエレン君だね。探索のセオリーがしっかりしているし、変異生物の気配を察知するのも上手い」
「レオこそ、よくこんなグチャグチャした文字読めるよな。おかげで火薬瓶と酒を間違えなくて済む」
建物がかつて商業施設であったのを解読して探索効率をぐっと縮めたレオに、エレンは賞賛の言葉を投げた。
そうして、数か月が経った頃。
すっかり都市遺跡を探すのにも慣れた二人は、ビルとビルの狭間にとんでもないものを発見した。
かつての軍用飛行機に似た、しかしそれにしては少しばかり不格好な、真新しいぴかぴかの人工物。何より特筆すべきは、そこから洩れ出る赤い神の光。
「なんだい、あれは。初めて見るな……」
「レイヴンの母船だぜ、ありゃ」
それを一目見た瞬間、エレンの脳裏に当初の目的が戻って来た。
そうだ。自分はレイヴンと接触するため、アルカで暮らしているのだ。この都市を探索しているのだって、アルカを豊かにするためではなく、レイヴンを探すためではないか。
妹を失って以来初めての穏やかな日々に溶けかけていたエレンの心が、そこで一気に奮い立つ。
「おい、レオ。ちょっと見に行ってみようぜ」
「見に……って、あの母船を!? 冗談じゃない、レイヴンと会ったらどうするんだ!」
「ぶん殴ってやりゃいいだろ。アイツらは、俺の妹を攫ったんだ」
まさかレイヴンに意思があるとは思っていなかった当時のエレンは、強気な言葉と共に母船へと一歩踏み出そうとした。
しかし、レオがそれを留める。
「なに言ってるんだ、レイヴンは天にまします神の使いだぞ!? 近づいたら罰が当たる!」
「そういう言い伝えもあるみたいだが、アンが……妹が言ってたぜ。天にいるのは神じゃない、俺らとおんなじ人間だって」
「そりゃ、その妹さんがおかしいだけだ!」
レイヴンに、ひいてはその後ろにいる“神”に怯えたレオは、数少ないエレンの地雷を踏み抜いた。
「だいたい、なんで妹が兄の君より物知りなんだよ! 妄言に決まってる。早くここを離れないと……」
「……アンを悪く言うなよ」
怒りはせず、しかし冷静さは失って。
エレンは、慎重に踏み出すべき足をあまりにも乱雑に振りぬくこととなった。
「だったら、俺が証明してやる。レイヴンをひっ捕らえて、天に行って、そこに人間が住んでいることを……!」
――なにもエレンだって、最初から一戦交えるつもりがあったわけではない。
最初の提案も、『ぶん殴る』くだりは冗談であり、あくまで偵察に行こうと進言しようとしただけなのだ。
しかし、後には引けなくなった。
宣言通り、エレンはレイヴンが中にいるはずの母船に近づいた。
それと同じタイミングだった。プラスチックとも金属とも違う感じのする表面に、すうっと切れ込みが入ったのは。
切れ込みはすぐに穴……母船の出入り口となる。そうなれば当然出てくるのは、
「「レイヴンッ!」」
二つの声が重なった。
当然、エレンとレオのものである。
出てきたレイヴンは二人。どちらも無表情かつ言葉はなかったが、彼女らがエレン達に敵意を抱いたのは間違いなかった――すぐに、その片腕を凶悪な武器へと変じさせたのだから。
バチバチと唸りをあげる二又のそれが、レールガンと呼ばれる遠距離武器であると知ったのはそれより後の話だが。しかし知識がなかろうと、その殺傷力は十分以上に理解できた。
「おいレオ、引くぞ!」
「い、言われなくても……!」
慌てて踵を返した二人のことを、レイヴンが追ってくることはなかった。もし少しでもその気があったのであれば、エレンもレオも都市のアスファルトに滲む染みのひとつになっていただろう。レイヴンの武器にかかれば、死体が残ることすら稀だ。
しかしそれでも足を緩める気にはならず、エレンとレオは必死に走った。もちろん、アルカを目指してだ。最早、探索という二文字は彼らの頭からすっかり抜け落ちてしまっていた。
都市遺跡を出て、決して走るのに向いているとは言えない荒野さえ足をガクガクに震わせながら走りぬき……。今思い返してみれば、よく生きて帰れたなという一言に尽きる。
レイヴンとの接触について、ではない。歳にも荒野にも危険な
――帰り着いた二人を待ち受けていたのは、そのすべてをまるまる覆すほどの不運だったのだけれど。
「な……なんだよ、これ……」
「酷い……」
広がっていたのは、緋色。
無機的な白と灰色で構成されているはずのアルカ内は、今までにない鮮やかな色彩をもって二人のことを出迎えた。
「……帰ったのか。二人とも」
「! っ、な、何があったんですか!?」
青ざめた顔のアルカ住人たる男性は、震える指で床の一部分を示した。
見知った顔の老人が、子供が、何人も倒れている血の海の中。ひとつだけ、人の形でない毛むくじゃらの死体がある。
「あれは……
それは、ネズミの変異生物の名である。
サイズは人の子供ほど。動きは機敏で数も多いが、さして危険な変異生物ではないとされている。……が、それはあくまでエレンなど戦闘能力に長けた者の基準であり、雑食性のこの巨大ネズミは、狡猾にも弱そうな生き物を――時には幼かったり老いていたりする人間すらも、通常の生物にはあり得ないほど鋭い牙で喰い殺すのだ。
「……足の悪いじいさんがな。お前らに触発されたんだろう、数十年ぶりに外の空気が吸いたいっつって、ほんの十五分やそこら、アルカから出て行ったんだ」
そうしたら、と掠れ切った声で言うその男性の脳に浮かぶのは、恐らく想像もできないほどの地獄じみた光景だったのだろう。
「じいさんが出入りしたのに乗じて……あの岩鼠が入り込んできやがって……」
「でも、アルカには銃もブレードもあるだろ! なんで、なんでこんなことに……!」
「気づくのが遅れたんだ。あのネズミ野郎、真っ先に音の届かない救護室を狙いやがった……」
怪我人や病人用のベッドを並べた救護室は、体の弱い老人が多く集まっている。暇を持て余した子供たちが老人に昔話をねだるのも、安全なアルカにおいてはありふれた光景だ。
そこを、岩鼠に狙われた。
外に出たのだという老人の不注意。この辺りでは数の多くないはずの岩鼠に狙われた不運。そういうものを思って、エレンは痛々しい光景から目を背けた。あるいは、外の危険をあまり語らなかった自分とレオにも責任があるのかもしれないと感じながら。
しかし――レオのほうは、違う結論に至ったらしい。
「エレン……君のせいじゃないか!」
「は……?」
意味が分からずぽかんと口をあけるエレンのことを、レオはまるで仇の岩鼠であるかのようにすさまじい形相で睨みつける。
「君がレイヴンに、天に逆らったから! こうしてバチが降りかかったんだ、そうだろ!?」
「い、いや、何言って……」
エレンの否定は、最後まで言い切らせてもらえなかった。
「なんだ……この余所者、レイヴンに何かしたのか!?」
悲劇の説明をした男性までもが、大きく見開いた目でエレンを見やる。
「捕まえるとか言って、天に害をなそうとしたんだ! だから神がお怒りになったんだよ、間違いない!」
「なんと……なんと罰当たりな!」
「エレンが岩鼠を呼び寄せたんだってよ!」
「天には決して逆らってはならんと、まさか余所者は知らんのか!?」
気が付けば、エレンの周囲をアルカの住人たちが取り囲んでいた。
レイヴンを捕獲しようとしたエレンのことを、みな口々に非難していた。中には、とても思い出したくないくらいに酷い言葉を使う者すらいた。
エレンは、心底愕然としていた。
知らなかったのだ。このアルカにおいて、天やレイヴンがどのような存在なのか。神聖視したり敬ったりする地域があるというところまでは、キャラバンにいたころに聞いていた。しかし、ここまでだとは。
文明らしい文明が消え、国家やら政府やらという人々がまとまるための仕組みも消失して、長い時間が経っている。常識や価値観というものは、集団の中で共有されるものである。集団の大きさが精々数百人程度の小規模なものしかないこの世界での常識は、たった数十キロメートルでまったく変わってしまうものである。
旧文明の遺産によって成り立っているアルカにとって、旧文明並の技術を保持し続けているのであろうと推測される天は、すなわち自分たちの生死を握っている神にも等しい存在だったのだ。
エレンは、その神に逆らってしまった。
「ち、違うんだ! いや、確かに無策でレイヴンに挑んだのは馬鹿だったが……でも、レイヴンは別に神様じゃなくって、あくまで兵器であるという説が有力らしくて……少なくとも、岩鼠とは何の関係もない!」
「ここまできて尚、天を愚弄するのか、君は!」
レオは巨体で押しつぶすかのごとくエレンに詰め寄ると、その胸ぐらをつかみ上げた。
「なッ……何すんだ、レオ……!」
「こっちの台詞だ、この災厄め! これ以上どれだけ天を怒らせたら気が済むんだ!?」
「そんなつもりじゃ……!」
しかし、叛逆者となったエレンの言葉はもう誰に届くこともなく。
「追い出せ!」
「天へ逆らう者をこの集落には置いてはおけない!」
「放り出しちまえ!」
――そういう言葉と共に、エレンは文字通りアルカの外に放りだされたのだ。
幸い、探索用の装備も丸ごと持ったままだったので、野垂れ死ぬということはなく。なんとか都市遺跡まで戻り、そこに住み着いて。
なんでだろうな、と思った。なんでこうなるんだろうな、と。
エレンは生き延びた。
……エレンは、ひとりきりになった。