日の落ちてきた辺りで、エレンは立ち止まる。
「よし、着いたぞ」
「……? 着いた……とは、アルカという集落にか」
「おう。ここがアルカの入口だな」
周囲に広がっているのは、相も変わらず砂礫ばかりの荒野のみ。集落どころか、建物のひとつすら見当たらない。
「? ……?? 入口……?」
アデルが困惑するのを、エレンはにやにやと眺めていた――というのも、前に自分も同じ反応をしたことがあるからだ。
「まあ見てろって……ここだな、うん」
エレンは周囲の景色を見渡し、場所が間違っていないことを確認。近くの――ぱっと見は何の変哲もない――岩の前にかがみ込むと、それをコンコンとノックした。
途端、岩から――否、岩に似せて作られた機械から、ホロディスプレイが浮かび上がる。
そこに腕に馴染んだ数文字を打ち込んで、エンター。すぐに、ゴゴゴ……という地鳴りと揺れが巻き起こる。先ほどの砂呑蛇を思い出したのだろう、アデルが警戒するかのように足へと力を込めるのが分かった。
「大丈夫だ。こいつは、ただのちょっと気難しい門番だからよ」
「門番……?」
しばらく待つと、突然地鳴りが止む。
代わりに現れたのは、穴だった。覗き込めば、白く無機質な壁に囲まれている。また、中心にはやはり白い梯子が下へ下へと伸びていた。
「シェルター? それも、状態が良い……」
「そういう施設らしいな。まだどっかからの電力供給が生きてるらしくって、こうして門番……ええと、防衛システムだったか? も、動くんだよ。さ、アルカはこの中だ」
言うなり、エレンは梯子を掴んで穴の中へと入る。アデルもそれに続いた。
「……ああ、そうだ」
コン、コン、コン……。
梯子と靴の鳴らす音だけが響く長い縦穴を降りながら、エレンは思い出したように顔を上向ける。とっくに入口は閉まっているが、蛍光灯の明かりに照らされていつもより尚白っぽいアデルが見えた。
「一応言っとくが、自分がレイヴンだってことは隠してくれよ。それと、中の人間から……なんつーか、嫌な反応をされたとして。それでも、殴るとか殺すとかはもちろんダメだからな」
「質問。好ましくない対応をされる心当たりがあるのか」
一瞬の沈黙。
「……いや?」
エレンは薄い笑いを浮かべながら、アデルの疑問を否定した。
「一応だよ、一応。今はアデルも翼をしまってるし、バレる心配はないだろうが……」
そう話している内に、ようやく出口が――シェルター内部への入口が現れた。
人の気配もする。門番を二人が通り抜けたことに、住人の誰かが気が付いたのだろう。来訪を告げる手間が省けたな、なんて思いながら、エレンは負傷した肩が痛むのにも構わず最後の数段をやや駆け足気味に降りきった。
そして。
「やっぱり――裏切り者のエレンだ! ひっ捕らえろッ!」
到着から、僅か三秒。
そんな掛け声とともに雪崩かかってきた何人ものアルカ住人によって、エレンはアデルもろとも捕縛された。
†
「いででで……怪我人になんて仕打ちだ、あいつらは」
アルカ内部の狭い個室に文字通り放り込まれたエレンは、縛られた両腕を捻ってなんとか傷の痛まない体勢を探そうと試みる。
個室と言えば聞こえはいいが、鍵は外からしか掛けられないし、集落全体が地下シェルターの流用である以上当然窓のひとつもない。他の部屋では窓代わりに風景映像を投影していたりするが、ここには当然そんなものがあるはずもなく。
つまり、牢獄である。
あるのは白っぽいつややかな壁、ざらりとした灰色の床、蛍光灯、以上。椅子のひとつもありはしない。
同じく手荒に放り込まれた、しかし外見が女性だからか縛られるまではいかなかったアデルが、その手で軽く壁に触れながら問うた。
「……提案。破壊するか? 壁の素材は強化プラスチックと推測、【加速】を使えば問題ない」
「しなくていい、というか絶対しないでくれ」
今日一日だけで、アデルと戦い砂呑蛇と戦い怪我をした挙句に牢屋に入れられたエレンは、流石に疲れ切った調子で大きく息を吐いた。
「まさか、相手も閉じ込めて餓死させるのが目的じゃないだろ。すぐに誰か来るはずだ」
果たして、その通りになった。
乱暴にスライドドアを開いて入って来たのは、大柄な若い男性である。短い赤毛をツンツンと棘のように生やし、左の目元には古い傷跡がむごたらしく刻まれていた。
その姿を見とめ、エレンは弱々しく片腕――は、縛られており上げられなかったため、代わりに口角を片方だけ吊り上げる。
「やっぱりお前か。……久しぶりだな、レオ」
レオと呼ばれた男性は、あからさまに顔を顰める。
「気安く呼ばないでくれるかな。それに、二度と帰って来ないって約束だっただろう……エレン君」
ガタイのよさに反し、穏やかな口調である。しかし、その瞳は激情を宿して明々と燃えていた。
「二度と拠点としては使わないとは言ったが、買い物しに来ただけでこの扱いとは思わなかったぜ。別に、よそ者お断わりってワケじゃあないだろ、ここ。いや、俺はいいんだけどさ……嫌われてるのは知ってるし。でも、ツレまで問答無用かよ」
「そりゃ、君なんかに連れてこられたその子は不憫だよ。けれどだからといって、素性も分からない相手を賓客待遇ってワケにもいかないさ」
「この時代に素性も何もないだろうが……」
国どころか町と呼べる単位の寄り合いさえ、世界中にあといくつ残っているか。かつては人類すべてにアイディーなる番号が割り振られて、一人一人の生死が記録されていたと聞いたことがあったが、今では隣の集落が今も無事存続しているかさえ直接出向かなければ分からないのである。
険悪な二人の横から、平坦な声が割って入った。アデルだ。
「……質問。エレンとあなたはどういう関係か」
「その前に、こちらから訊かせてくれないか。君はエレン君とどういう間柄だい?」
「ム……当機と彼は協力関係に定義される」
迂闊な発言に、エレンはひゅっと自分の肝が冷える感触を覚えた。人間は自分のことを『当機』などと形容しない。
「トウキ? トウキさんと言うのか、君は」
「否定――」
「そうそう、トウキ! トウキとはこの前会ったばかりでな、ええと、ご両親をレイヴンに連れ去られたらしくて! 目的が同じなんだよ、な!」
このままではレイヴンであることがあっさりバレかねないと、エレンは慌ててレオからアデルへの注目を掻き消すように大声を上げた。
「ひて――」
「な!!」
「……肯定。当機の呼称は一時的にトウキとする。設定もエレンの作成したものに準じる」
「……? なんだかよく分からないけど、変わった話し方の子だな?」
幸い、ややこしい言い回しのおかげで、レオがその意味を理解することはなかったようだった。エレンは内心、砂呑蛇を倒したとき以上にほっと胸を撫で下ろす。
「しかしな、トウキさん。年下を虐めるのは趣味じゃないが――この男は信用しないほうがいいよ」
「……質問。なぜ? 当機にとっては現状、あなたよりはエレンのほうが信ずるに値する」
「なんだよ、エレン君。話してないのか? 君がこのアルカに何をもたらしたのか」
「だから、俺はやってないんだって。全部誤解だ」
「誤解? 誤解と言ったか」
穏やかな口調は崩さず、しかし噛み付くような勢いで反論するレオ。
「それじゃあ、トウキさんに説明できるんだろうな。君がここに住んでいたときのことを、ひとつ残らず」
「いや別に、アデ……トウキと俺は、そんな親しい間柄ってわけじゃなくて、ちょっと一緒にいるだけなんだが」
「尚のことだ。若い女の子が騙されるのを見ていられるほど、僕は人でなしじゃあないよ」
「人聞き悪いな……」
はあ、とエレンは息を吐いた。深く長いため息だった。
「話さなきゃ俺の要求は聞いちゃくれない、って顔だな」
「話そうが聞くつもりはないけどもね。この狭い部屋で生涯を終えたくないなら、話したほうが賢明じゃないかな」
「とんでもねえ脅しだなあ……」
アデルがぱちぱちと目を瞬かせ、首を傾げた。
「当機としても、現状の把握は優先事項に入ると推測する。ゆえに、話すよう要請したい」
「そんな、面白い話じゃないぞ」
「承知した」
アデルが深く頷いたのを見て、エレンは重い口を開いた。
なぜならそれは、エレンがあの都市遺跡で一人だった理由にまつわる話である――。
†
時は、二年以上前にさかのぼる。
それはつまり、エレンがキャラバンに付いてあちこちを巡るのをやめ、一つの集落に――このアルカに腰を据えようと決めたタイミングだった。
元々、妹を探すために天へ向かう道を探していたエレンだったが、あまりの進展のなさに限界を感じたのだ。ただ地上を歩き回るだけでは、遥か高みになど到底辿り着けない。それよりも、天と地を行き来するレイヴンをどうにか利用できないものかと考え、レイヴン出没率の高い大都市遺跡付近に位置したここに住むことになったのだ。
若い労働力足りうるエレンは当初、アルカの住人たちに比較的歓迎された。シェルター跡地を利用しているために他の集落と比べて安全性の高いここは、年寄りやら病人やらの弱者が生き残りやすく、その分仕事もたっぷりとあったのだ。
疑似太陽を利用した畑、その畑から取れた作物の余りをタンパク質に変換できる培養肉生成装置等々、アルカの中はほとんどそれだけで完結できる小さな世界のようになっている。エレンはそこで昔妹に仕込まれた料理の腕を振るったり、あるいは年寄りの話相手を務めたり、毎日それなりに楽しく過ごしていた。
が、しかし、エレンの目的は天へと至ることである。
そのためにはレイヴンを探す必要があり、つまりは都市へと行かなければいけない。ついでに物資のひとつやふたつも見つけてくれば、アルカ内の暮らしも潤うことだろう。
そう考えたエレンはあるとき、周りに向けてこう言った。
「なあ。俺、外に探索へ行こうと思うんだけど」
――返ってきたのは、反発の嵐であった。
“わざわざ外に行くだなんて、正気じゃない”
“危険な生物や病気でも持って帰ってきたらどうする気だ”
“それどころか、レイヴンを連れて帰ってくるかもしれないぞ!”
先の通り、アルカの中はそれだけで完結している。
どういう仕組みかは誰にも分からない。ただ、旧文明の力によって作られたこのシェルターは、数百名が暮らしていくのに足るだけの資源を常に生産し続けているのであった。
それゆえに、住人は――特にここで生まれここで育った住人の多くは、外を危険と死に満ちた場所であると信じて疑っておらず――まあそれ自体は正しいのだが――外から住み着く人間を歓迎こそすれど、再び外へ向かうことは快く思っていなかったのだ。
外からの物資は、数年に一度訪れるキャラバンから、培養肉の余剰と交換して得る僅かな分だけ。
このままここで骨をうずめるか、あるいは誰にもバレないようにこっそり都市へ出かけるしかないのか――と困り果てていたエレンに差し伸べられたのは、筋肉質でがっしりとした手だった。
「まあまあ、皆さん。実のところ、僕も外へ行こうかと思っているのです」
そう――レオのものである。
彼は人当たりよく、アルカ内での人望に篤かった。また、識字率なんて一割あるかないかというこの終末において、難解な本すら読んでせしめる知識人でもあった。
「もちろん、このアルカは素晴らしい場所です。しかしほら、トヨさんの腰痛なんか、キャラバンの鎮痛剤がよく効いたという話じゃないですか。外に行けば、それがいくらでも手に入るのかもしれないのですよ」
確かになあ。レオ君が言うのならそうかもしれないなあ。キャラバンの連中は暴利だからなあ。
レオが少し説得しただけで、アルカにはそんな雰囲気が漂った。
そしてとうとう、一泊二泊程度の短期探索くらいならいいんじゃないか、というところまで周囲の流れを変えた彼は、エレンの耳元でこう囁いたのだ。
「――実はね。僕も、外に興味があるんだよ。探索仲間がいるなら心強い――それも、外を旅していた経験のあるエレン君なら尚さらだ」
それこそが、ただのアルカ住人同士でしかなかったエレンとレオが友人となったきっかけであり。
他ならぬレオの手によって、エレンがアルカを追い出されるまでの第一歩だった。