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4-1【一人と一機の歩み】

 集落までは都市を出て、少し荒野を歩く必要がある。

 荒野というのはつまり、この世界の大半を覆う、乾いた地面と砂礫と何かの残骸らしき瓦礫、それに異様に伸びた木々――なんでも、遺伝子組み換えだとかで荒廃した環境に適応させようとして成功したような失敗したような、微妙なラインの植物らしい――が

まばらに伸びる地だ。時期次第では赤くて水分を含む実を付けるので、地を生きる多くの人々に重宝されている。

 この辺りは比較的砂が多く、うっかりしていると足を取られるので、進む速度はやや遅い。

「…………」

「……あー、歩きにくいな」

「否定。レイヴンの体幹は人間より優れる」

「……そっか」

 なんとなく、エレンとアデルの間には微妙な空気が漂っていた。

 もちろんたかだか半日の仲であり、根本からして親密にほど遠いのは間違いない。間違いないが、しかし、一緒に食事をしたときはもう少しマシな雰囲気ではなかっただろうか――と、エレンは横目でアデルを窺った。

 一応、軽めの装備は与えている。つまり、都市遺跡にならどこにでも転がっているありふれた合成繊維のローブを被せて万が一にでもレイヴンだとバレないようにしつつ、旅荷物が入りそうな大きい斜め掛けの鞄も持たせたのだ。だから、外見は放浪人のようにしか見えない。

 しかし、整った目鼻立ちをしたその顔にはほんの少しの歪みもない。完膚なきまでの、まるで粗悪なロボットのごとき無表情である。

(人間とよく似てる? この子が? ……本当かよ)

 エレンの脳を巡るのは、例によって老人の言葉である。

 実際、エレンだって最初のほうは、アデルに人間らしさを感じたものだ。だからこそ、食事に誘いもした。

 けれど今のアデルは、なぜだか非常に無機質である。レイヴンらしい、と言ってもいい。受け答えは最小限、足の動かし方までやけに均一。

 せめて会話が続いたら――と、エレンがめげずにまた口を開こうとしたところで。

 ぴたり、とアデルが足を止めた。

「……どうかしたか?」

「報告、足元に揺れを観測」

「揺れ? 気のせいじゃ……いや」

 段々と強くなるその振動に、エレンもすぐ気が付いた。一瞬地震かと思ったが、そうではなく。

 まるで、深くから何かが近付いてきているような……。

「ッ、横! 跳べ、アデル!」

「……っ!?」

 唐突かつ不明瞭な指示にも、しかしアデルは素早く従った。つまり、力強く地を蹴って側方に跳躍した。

 エレンもエレンでワイヤーガンを抜き、近くの木に向けて放つ。咄嗟で狙いを外したものの、アンカーが重りの要領で幹に巻き付いたので素早く巻き戻してその場を離れた。

 そこから二秒ほどだった――砂の中から、巨大なずるりと這いずり出たのは。

「あっぶねえ、やっぱり砂呑蛇アンフィスだ……!」

 鈍い色にちらちらと光るまなこが、逃した獲物二人――つまり、エレンとアデルを忌々しげに見やる。暗い穴からは、赤い舌が覗いていた。二人を呑み込まんとした深淵は、つまり巨大な――小さなビル程もあるくらいに大きい蛇のあぎとであったのだ。

 旧文明時代末期に放射能やら遺伝子操作やらで生み出されたという、巨大だったり異様な戦闘力を有したりする生き物の数々。それらは文明が滅んでなお、地上のあちこちに跋扈し続けて、人々より変異生物モンスターと呼ばれ恐れられている。

 この蛇もまた、間違えようもない変異生物である。それも、かなり強力な。

「これは……蛇の変異生物? 初めて観測する」

「ああ。もうちょっと砂漠っぽいところに多いんだが……っと、喋ってる場合じゃ、」

 ない、と言う間もなく伸びてきた砂呑蛇の突進を、エレンはダッシュで回避した。振り向けば、アデルはさすが悠々とした様子で距離を取っている。

 どうするか、とエレンは思考を巡らせた。まさかこのまま避け続けることもできまい。しかし、逃げるというのも難しい話だ。この変異生物は熱を感知する――人の多いアルカからほど近いここにいるのを放置したら、間違いなく大惨事になる。

 試しに光子銃を抜き、一発二発と撃ち込んでみる。ジュッ、と鱗が焦げる音、そして。

「キシャァァァアアアアッ!」

「っ、怒るなよ! そんな効いてもない癖に!」

 ビルを拳銃で倒せるはずもない。それでも微かにダメージは通ったらしく、苛立った砂呑蛇が、頭をハンマーのようにエレン目がけて振り下ろしてきた。慌てて避けたものの、砂に足を取られて尻もちをついてしまう。

 すかさず砂呑蛇は、エレンを呑み込むべくがばりと口を開いて。

「コマンド:【加速ブースト】」

 その横っ面に、一条の白い流星が突き刺さった。

 腹の底に響くような、低くて鈍い破壊音。ゆっくりと倒れていく砂呑蛇の顔は、三割ほどがごっそりと削れていた。

 その脇にすとっと軽く着地したのは、拳を握り締めたアデルであった。

「ヒット。討伐完了と推測」

「……エーテルが切れたから、武器は使えないって話じゃ?」

「肯定。今のは武器ではなく、機体内の熱量を利用した瞬間的な加速による殴打」

「殴打……重機でビルをぶち抜いたみたいな音がしたんだが」

「威力も同程度のものだろう、と推測」

 エレンは今更ながら、アデルに挑んだ自分がいかに無謀だったかを察した。まさか、重機と戦って勝てるはずもない。

 ……と、そこまで考えてから。

 まだ地中に埋まっている砂呑蛇の体を見て、エレンはあることを思い出した。

 同時に気が付く。アデルの足元の乾いた地面に、ゆっくりと罅が広がっていることに。

「アデル……ッ、!」

 今度は声をかけても間に合わないと判断、エレンは咄嗟に飛び込んでアデルを突き飛ばす。まさかエレンからの攻撃は察知していなかったからなのか、アデルは軽い手ごたえで後方へと飛び、よろめいた。

「何を……」

 ギリギリだった。

 ギリギリでアデルを外した鋭い牙は、代わりにエレンの肩口を掠める。

 激しい熱のような痛みで呻き声が洩れそうになるのを、アデルは歯を食いしばって堪えた。代わりに吐き出したのは、たった一言。

「今だ!」

「っ、了解したッ」

 アデルは拳がを握る。赤い瞳に一条の白い光が駆け抜けていくのを、エレンは確かに見た。

「コマンド:【加速】――」

 その白い姿が消え、凄まじい殴打音が響き渡る。

 どさりと倒れ伏したのは、先ほどのものより三回りほど小柄な砂呑蛇の頭だった。――ごっそりと大部分が削り取られてはいるが。

「……質問。二体目? これは群れる変異生物なのか」

「いや……俺もすっかり抜けてたが、砂呑蛇は尻尾にも頭がある……っつうッ!?」

 そこまで言うと、エレンは崩れるようにして膝をついた。

 その肩からはどくどくと血が流れ落ち、乾いた地面に赤黒い染みを作っている。

「いでで……ちぃっと深いな、こりゃ。なあアデル、荷物から止血用の布を取ってくれねえか?」

「いや。その必要はない」

「? どういう意味だ?」

「こういう意味」

 つかつかとエレンの前に歩み寄って来たアデルは、その手のひらをエレンの傷口に向けた。かと思えば、その細い腕が白色に淡く輝いていく。

「コマンド:【熱線レイ】」

 まさか光子砲なんかじゃないだろうな、とエレンは目を瞑る。まさか、このレイヴンは俺が弱ったところを殺す気なのか?

 瞼の裏を閃光が灼いた。

 しかし、思ったような熱も痛みもなく――というかむしろ、肩の痛みが引いたような気がして、エレンは恐る恐る目を開いた。

「……あれ? 血、止まってる?」

 肩は赤黒いままだし、傷が消えたわけではない。しかし、まるで一晩おいた後かのようにひと通りは塞がって、すっかり瘡蓋になっている。

「肯定」

 こくん、と頷いたアデルの腕からは、先ほどの光が消えている。

「解説……今のは消毒と止血を目的とした、低出力の医療用レーザー。エーテルなしでは、攻撃用の光子砲発射は不可能」

「イリョーヨー……怪我を治すのにレーザーを使うのか? レイヴンってのは」

「否定。これは天人に対して使うもので、我々レイヴンには効果がない」

「はあ……」

 なぜ武器で止血ができるのかはエレンにはさっぱり分からなかったが、とにかく傷は塞がった。腕を動かすのにもそこまで支障はなく、数日経ったら無傷と遜色なく動かせるだろう。

 砂呑蛇はかなり危険かつ大型の変異生物だ。たった二人で討伐せしめたのは快挙といってもいい。アデルがいればなんとかなるだろう、と考えたのは事実だが、まさか硬い鱗に覆われた顔に素手で大穴をあけるとまではさすがに想定しておらず、エレンはまじまじとその細腕を眺めた。

「ありがとな、助かった。まさか、そんなに強いとは思わなかったよ。いや、みくびってたわけじゃないんだけどさ」

「……否定。当機は、あなたの協力によって変異生物を撃破した。推測……当機のみであれば、呑まれて甚大な損傷を被っていただろう。全損も考えられる……ゆえに、当機は――」

「あーあー、ややこしい!」

 エレンは大きな声をあげた。

「いいんだよ、そういうときはそっちも『ありがとう』で」

「…………ありがとう」

「おうよ!」

 その後、二人は協力して砂呑蛇の皮や肉をいくらか剥ぎ取って荷物に加えた。加工すれば装備品や食料になるので、これからアルカ――人々の集まる場所に行くならば乗り物を得るための足しになるだろうというのと、この辺に砂呑蛇が出ることを忠告する際の証拠品にするのも兼ねている。

 といっても元が巨大なものなので、ごくごく一部分だ。残りはその内他の人間が取りに来るなり、このまま朽ちて地に還るなりするだろう。

「よし、とっととアルカまで行こうぜ。さすがに少し休みたい」

「当機も、保有エネルギーの大部分を損耗した。迅速な補給が推奨される」

「ん、腹減ったのか? まだ晩飯には早いが……」

「回答。当機はエーテルが枯渇しているために、経口摂取によるエネルギーのみで活動している。ゆえに、特殊機能を使用すると――」

 ぴたり。

 突然、アデルの喋る声が止まった。

「……使用すると?」

 エレンが続きを促すと、アデルは――すとん、とその場に座り込んでしまう。

 膝を三角に曲げ、顔をその頂点にもたれかけ、ゆっくりと口を開き。

「このように……エネルギーが、切れ……る…………」

 それきり、ぴくりとも動かなくなった。

 当然、エレンはひどく動揺して荷物を漁り出す。

「おいおいおい!? ま、まさか餓死するとか言わないよな! おい、ほら! ブロックフードなら持ってきたから食え、ほら!」

「……腕の稼働に足る……エネルギー残量が……」

「ほら! 食わしてやるから噛め、飲め!」

 肩が痛むのにも構わず、急いでずずいっと褐色をした長方形をアデルの口元に持っていくと、ようやくもそ……もそ……とそれを食べ始め、エレンはほっと胸を撫で下ろす。エネルギー切れなのなら、食事をすれば大丈夫だろう。

 ひと箱食べ切ったあたりでようやくアデルは動き出し、自分の手でもうひとつブロックフードの箱を取り出した。

「……申し訳ない。想定以上に損耗が激しかった」

「お、おう。好きなだけ食っていいぞ」

「了解した」

 というのは嘘でもなんでもないらしく、アデルはすっかり手持ちの食料を食べ切ってしまった。具体的に、予備も含めた三日分――エレン一人なら一週間分にあたるだけの食料である。

 なるほど、こりゃ確かに荷物の運搬手段がなかったらバベルに着くより前に餓死するな……とエレンは老人の慧眼に感心しつつ、エネルギー残量がひとまず問題なくなったというアデルと並んで残りの道を歩いて行く。

 また会話はなくなったが、なんとなく。先ほどまでより空気が柔らかいかのように感じられた。


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