いくつかのビルを回って集めた戦利品を、エレンはどさりとグラウンドの上に下ろした。
蛍光色をしたパッケージのゼリー飲料。真空パック詰めのペースト。それから、例の人間用燃料たるエナジー・バーも何本か。
「やっぱ表層はロクなモンがないな、めぼしいのはもう漁られっちまってる。うーん、せめて培養のでも肉でもあったら……」
ぶつぶつ呟くエレンに向けて、アデルがこてんと首を傾げた。
「……疑問。熱量としては十分以上だと推察される、何が不満?」
「熱量って、俺たちは車じゃないんだぜ。折角なら美味いモン食いたいじゃんか」
言いながら取り出したのは、つるりと白い小さなバケツのような何かであった。縁には半円型の操作盤が付いており、五つほどのスイッチがある。
「分析、推測。それは、【黄昏】前に開発されたもの?」
「さあ? 拾ったヤツだからよく知らん。ただ、妹が料理に重宝しててな」
「“料理“……とは、食物を加熱して安全性を確保する行為のこと? これらは保存状態が良好であり、殺菌は必要ないかと推測する」
「まあ見てろって」
エナジー・バーの包みを開けて白バケツに放り込むと、エレンは赤色をしたスイッチを押す。ピピ、と小さな電子音。かと思えば、すぐに油脂の塊たるエナジー・バーがどろどろと溶け始める。
「底部に発熱機構がある?」
「ああ。便利だぜ、やけに軽いし焚火をしなくていいし」
次に取り出したのは、黄色っぽいペースト食。豆を主原料とし、エナジー・バーと同様ビタミンやらなんやらを練り込んでいる完全栄養食である。
このまま食べても、人間用燃料に比べれば数十倍マシな味がする。妙な苦みはあるし妙にパサついているしコクとか旨味とかいう概念を一切持ち合わせていない渺茫たる砂漠のような味ではあるが、ギリギリ食べられなくもないというのがエレンの中の評価だ。
しかしマズいことにはマズいので、一工夫加えたほうがいい。
ころころと丸めて団子状にし、へこませて空気を抜いたそれを、エレンはすっかり溶けたエナジー・バー――つまり、高温の油の中へと突っ込んだ。
じゅわああ、と無数の泡が弾ける音。ほどなくして漂ってきた香ばしい匂いに、エレンはうんうんと満足げに頷いた。あとは、表面が砂蜥蜴色になるまで揚げれば完成である。
数分が経過し、エレンはほかほかと湯気をたてるそれを空になったペーストのパック上へと引き上げた。
「エレンさん謹製、ペースト揚げだ。……えっと、”ころっけ”だったかな。どうだ? 美味そうだろ?」
「どう、と言われても……」
難しい顔をして、アデルはその赤い瞳をじっと料理のほうへと向ける。
「エナジー・バーやフル・ペーストに含有されるビタミンは、一定以上の熱によって崩壊する……油溶性の成分もある……これでは、完全栄養食としての意義が大半失われていると推測する。組み合わせる意味も不明」
「まあまあ、いいから食ってみろって」
「しかし……」
アデルがあまりにも嫌がるために、もしかして、と彼女の小さな口元に目をやって、
「もしかして、レイヴンって人間みたいにメシを食えない、とかか? それか、味が分からないとか」
尋ねると、しかしアデルはかぶりを振った。
「否定。レイヴンには人間と遜色ない、ないし上回る五感を有している。当然、味の判別も可能である」
「じゃあ、腹いっぱいだったり? そういえば、エナジー・バーなんて何本も食べてるだもんな」
「重ねて否定。当機は母船よりエーテルの供給を受けられない関係上、有機物の経口摂取によってエネルギーを確保する必要がある。現在の充填量はおよそ六割」
「だったら何が不満なんだよ」
冷めてしまっても嫌なので、エレンは一足先に団子状の揚げ物をひょいとつまみ上げて自分の口に放り込む。
本来パサパサのペーストがギトギトとしたエナジー・バーの油を少なからず吸いこんで、いくらか潤いを得ている。ある程度の調和があった。
アデル曰く高温で崩壊しているはずのビタミンに由来する苦みはなぜだかべったりと残っているが、熱いのと外側のカリカリとした食感が面白いのとで、なんとか“美味しい“と言っていい範囲に収まっている……と思う。少なくとも、加工せずそのまま食べるよりは数段美味しい。
(……アンなら、こんな材料だろうともっと上手く料理できるんだろうな)
そんなことを思いながら三つめを摘み上げたあたりで、アデルがようやく自分の分のペースト揚げへと手を伸ばした。
まるでくり抜いた目玉か何かだとでも思っているんじゃないか、というくらいにたっぷりと逡巡を挟み、恐る恐る半分ほどかじり取り、目を瞑ってもぐもぐとやって、ごくんと喉が動いて。
「どうだ?」
「……回答。非効率の味がする」
「どんな味だよ……?」
「兵器は効率を以て製作される。流民の価値観は理解し難い」
すました顔でそんなことを言いながらも、しかしアデルはぱくぱくと二つめ、三つめを食べていく。ひと口めをためらっていたのが嘘のようである。
「なんだよ、結構気に入ってるんじゃんか」
「否定。あくまで補給のため。先ほどの戦闘行為によって、少なからずエネルギーを損耗している」
あっという間に自分の分を平らげてしまったアデルは、エレンがデザートとして確保していたゼリー飲料――これも一食分になるだけの栄養素が詰まっている――まで数十秒で飲み尽くし、エレンは苦笑いしながら自分の取り分だったペースト揚げの残りをいくつか分けてやった。
「アデル、案外大食いなんだな。そのナリで」
「む……否定。これはレイヴンが人間より高出力であるためであり、当機特有の性質ではない」
「はいはい、分かったよ」
料理道具に油がこびりついても面倒なので、手持ちの水ですすいで地面に流す。環境への配慮、なんて言葉はもうすべてが破壊され尽くしたこの時代には存在しないのだ。
そんなエレンの作業を、アデルはじっと眺めている。
「……疑問。なぜ、当機を補給……否、食事に誘った? 非効率は嗜好の問題としても、二倍手間をかける意味はないのでは」
「言っただろ、親睦会だって。これから一緒に行動するんだからな」
「であるならば、無意味。当機は純粋な利害の一致のみによって動くし、仮に天よりあなたを殺害するよう命じられれば従う」
「だから、そういうのじゃないんだって。なんつーかな……やっぱ、人とはできる限りは仲良くしたいってのが人情なんだよ」
「否定、当機は人ではない」
「……まあいいや」
同じ会話を繰り返すことになりそうだったので、元は食事中にしようと思っていた本題を出すことにした。
「じゃあ、利害の話をしよう」
ぴ、と頭上を指さす。
「俺たちは天へ行こうとしている。そうだな?」
こくり、アデルが頷く。
「肯定」
「じゃあ、具体的に天へいく手段ってあるか? それこそ、レイヴンなら母船を使えたりとか」
「否定……先の通り、母船から見放されている。近付いたら追い返される」
「まあ、そうじゃなきゃ、わざわざ俺と協力なんて話にはならないよな。よし、そこでだ」
次にエレンが指さしたのは、真っ直ぐ前方であった。
それが示すのは、立ち枯れたように並ぶ黒っぽいビルの数々、ではない。奥にある灰色の曇り空、でもない。
ビルよりも遠く、空よりも近くにあるもの。
「ここから北東にずーっと行くと、“バベル”って呼ばれてる塔があるんだよ」
「ばべる……バベル。検索……古い神話の塔?」
ああ、と頷く。
「由来はそんなんだったかな。とにかく高い塔で、晴れた日でも天辺が全く見えないんだが、なんでも天に繋がってるとかいう噂でな」
「……推測。それは、軌道エレベーターかもしれない」
ぐい、とアデルの背にある機械翼がいくらか上向く。
「やっぱり、天に関係ある塔なのか?」
「肯定。推測……説明。かつて地上と天を繋げていた、超巨大昇降機のこと」
「昇降機……ああ、ビルに付いてるやつか。使ったら古くなったワイヤーが切れて死ぬぞって聞いたけど、その軌道エレベーターとやらはまだ使えるのか?」
「肯定。耐久度は非常に高いと推測。一度や二度なら十分運用に耐えうるだろう」
「起動方法は? 何年か前に立ち寄ったことはあるんだが、意味の分かんねえ文字がびっしり書いてあった」
「重ねて肯定。当機のデータベースで十分に操作できる」
あまりにもとんとん拍子に話が進むので、エレンはもうそわそわと体が動くのを抑えられなかった。
この場に鏡があったとしたら、とんでもないにやにや笑いが映り込んだことだろう。なんだ、案外すぐに天まで行けるかもしれないな、なんて余裕綽々な考えまで浮かんでくる。
ずっと、天へ向かう道を探してきた。
キャラバンに付いて回ったり、集落を渡り歩いて情報を集めたり、食い詰めて変異生物狩りの仕事を請け負ったりなんかもした。死にかけたことだって、一度や二度ではない。
だというのに、全く道が拓けることはなかったのだ。そうでなければ、いくら楽観主義的なエレンだって、レイヴンを捕まえるだなんていう凶行に出ようとは思わない。
そんな中アデルと出会えたのは幸運も幸運、一生に一度もない特大の好機と見ていいだろう。
「よし、もう明日には出発しちまうか! 急がば急げって言うしな、古い格言でも」
エレンが立ち上がると、アデルもすくっと良い姿勢で直立する。
「賛同。当機も可能な限り迅速な帰還を望んでいる。RaSSに戻れば、破損した戦闘システムの修理も可能であるはず」
「ああ、そういえばそんなこと言ってたな。……あ、そうだ」
アデルに返してもらった光子銃の収められたホルスターを触りながら、思い浮かべるのは昨夜のことである。
「知り合いに、物知りのじいさんがいるんだけどさ。ナノマシン兵器の修理もできるから、アデルも見てもらうか? あ、そもそもレイヴンってナノマシン製なのか?」
「肯定、当機含むレイヴンは大半がナノマシンにより構築されている。他ナノマシン兵器の修理ができる人間なら、確かにレイヴンの修理も可能かもしれないと推測する」
そうと決まればと、二人は顔を見合わせてから、足取り軽くその場から立ち去る。
グラウンドを出て、門らしきものを潜ったタイミングで、カツーンと高い金属音。
「……なんだ、看板が落ちたのか」
ひしゃげて赤茶けた金属板が落ちているのを見て、エレンは音に反応して浮かんだ警戒心を引っ込める。
「そうだ、アデル。“バベル”の操作ができるってことは、旧文明文字も読めるのか?」
「肯定。データベースに載っているものならば、あらゆる言語に対応可能」
「じゃあこれ、なんて書いてあるか教えてくれよ。俺、アルファベットもロクに読めないからさ」
錆び付いた金属板に薄っすらと浮かぶ文字らしき羅列を眺めてから、アデルは口を開く。
「解答——“みんなお友達、お友達と仲良く。第四区画小学校”」