どうやらもう、白いレイヴンが会話に応じてくれることはなさそうだ。
そして、今度はワイヤーガンによる逃走もできない。というのも、先のあれは周りを廃ビルに囲まれていたために行えた芸当であって、開けたこのグラウンドではワイヤーのアンカーを刺す場所がどこにもないのであった。
とにかく、速度や力では勝ちようがない。エレンが勝っている点は、都市を漁って取り揃えた武器の種類とそれらによる射程の長さだけだ。
掴まれたナイフは、幸い捻じろうとしたところパッと離された。それを利き手でぐっと握り締めつつ、エレンはまず左足を——正確には、そこに履いた頑丈な仕込みブーツを上げて、つま先を思い切り地面に叩きつけた。
——パァン、と鮮烈な炸裂音。
「……っ⁉︎」
白いレイヴンは驚愕に赤い目を見開き、大急ぎでエレンから距離を取る。どうやら機械翼は広げているだけで使えないらしく、二本の足で十メートルほどを飛び退いた。
炸裂音の元は、エレンが仕込みブーツのつま先に入れておいたごく少量の火薬である。
といっても、攻撃のためのものではない。というか、攻撃できるような火力が出ていたら、一番にエレンの左脚が吹き飛ぶ。
あくまでこれは、つま先を強く打ち付けると大きな音が鳴るだけのオモチャ、要するに虚仮おどしだ。しかし、白いレイヴンは警戒しての距離を取ってくれた。
チャンスだ、とエレンは銃を——逃走には使えないワイヤーガンを構える。
白いレイヴンは速い。速いが、あくまで足で地を蹴って加速している。つまり動きが平面的であり、ある程度の予測がつく。
すぐに、白いレイヴンは炸裂音がブラフであると気付いたらしい。再び、エレンへと接近してくる。
「そこ、だっ!」
動きを目で追うことは叶わなかった。しかし直感に照らし合わせ、エレンはワイヤーガンの引き金を絞る。
光子銃に比べれば威力も速度も劣るとはいえ、コンクリート壁にも突き刺さる鋭いアンカーはヒットさえすれば充分な殺傷力を誇る。艶消しの黒をしたそれは、確かに白いレイヴンへ向かって飛び——ギリギリで狙いが外れ、彼女の足元やや横の土に突き刺さった。
白いレイヴンは一瞬怯んだものの、銃弾が外れたらしいのを確認して、すぐに再びエレン目掛け駆け抜けようと踏み出して、
「……あっ⁉︎」
その細い足首に、ワイヤーが引っ掛かった。
その素早さが仇となり、受け身も半ばほどしか取れないままで勢いよく地面に転がる白いレイヴン。その重量を受け、手からワイヤーガンがもぎ取られる。それには構わず、ナイフを抜いて倒れ込む白いレイヴンへと駆け寄るエレン。
正面切ってやり合って勝てる相手ではない。唯一のチャンスであった。
直ったばかりで新品のような光子銃を抜き、白いレイヴンへと向け——手に、強い衝撃。
どうやら、白いレイヴンが倒れたままの姿勢で自分の手を蹴り上げたらしい——と理解する頃には、放物線を描いたナイフを彼女がぱしっとキャッチして、逆にエレンの心臓へと突きつけてきていた。
身を起こす白いレイヴン。
すぐにでもエレンの命を刺し貫くかと思われた彼女は、しかし、ゆっくりとその小さな口を開いた。
「……疑問。なぜ、流民のあなたがレイヴンたる当機を狙う?」
「喋らないんじゃなかったのか?」
「それは……懸念事項は、確認するべきかと、推測」
とにかく、話している間は殺されないらしい。そう思い、エレンは返答をする。
「そりゃ、レイヴンは人を……俺たち流民を攫うだろ。だからだよ」
「攫う……流民の、鹵獲のことか」
「鹵獲だかなんだか知らないけど、たまに集落なんかに来て、何人か連れてくだろ。あんた達に攫われたんだよ、アンが……俺の、妹が」
……それは、もう五年も前の話になる。
特異なドラマがあった、というわけでもない。エレンとその妹、アンが暮らしていた集落に、突如としてレイヴンが現れ、アンを含む数人を攫っていったのだった。
この世界においては、時折ある話である。
レイヴンの目的は定かではないが、どうやら資源を天に運び込むことを使命として行動しているらしく——その“資源”には、なにやら彼女らなりの基準に合致した人間さえも含まれている。
だからこんなのは、ありふれた悲劇でしかない。……それでも。
瞳の奥に、灼きついている。あの日の光景が……レイヴンが妹を抱えて飛んで行く、その後ろ姿が。自分自身の伸ばした手が。それが、決して届かなかったことが。
「約束したんだ。絶対に迎えに行くって、アンが連れてかれるその時に……だから俺は、天へ行かないといけない」
レイヴンは天より使わされる。つまり、天に行けばアンに会えるのだ。
知らず知らずのうちに、エレンはぐっと拳を握りしめていた。
「疑問。妹……というのは、大切なもの?」
「当たり前だろ? 家族だぞ。親もいない俺には唯一の家族だ」
「家族……大切。……そう」
すっ、と。
白いレイヴンが、まっすぐエレンへと向けていた銃口を下げた。
「……え?」
てっきり殺されるものかと覚悟をしていたエレンは、つい拍子抜けしたような声をあげてしまう。
「提案。当機の目的と、あなたの目的は一致する……そう、推測」
「目的? ……レイヴンのあんたの?」
「肯定」
こくり。
白いレイヴンが、その小さい頭で頷く。
「実のところ、当機はRaSSに戻るための権限を持たない」
「ら、らす?」
「解説、あなたの言うところの“天”。……当機は、母船より見放された。故に、帰還方法を探している」
「見放された……って、そりゃまたどうして」
「解答、戦闘システムが破損した」
そんなことがあるのか、とエレンは驚き目を瞬かせる。
「帰れないのか? 仲間に連れて行ってもらう、とかは」
「その仲間——他の機体が、当機を見放した。だから、帰れない」
その境遇に、エレンは少し思うところがあった。それに、自身の境遇を説明したその瞬間、白いレイヴンが少し目を伏せたように思えた。
だから、自然とその言葉を口にしていた。
「……寂しいな、それ」
きょとん。
そんな擬音が似合うまん丸な目で、白いレイヴンがエレンをまじまじと見返した。
(……そんな表情もできるのか、レイヴンが)
「否定……当機はレイヴンで、兵器である。ゆえに、寂しい等の感情を抱くことはない」
「でも、帰りたいんだろ?」
「肯定……否定。確かにRaSS……天への帰還が当機の目的だが、それは使命のため。感情は理由に含まれない」
そうか、とエレンは返しながらも、しかしその言葉が真実であるとは思えなかった。
根拠はほとんどない。けれど、なんとなく。
そして、エレンの直感はそれなりに当たる。
「要するに、俺もあんたも天に行くのが目的ってわけだ。だから協力、ってことか?」
「肯定。当機のみでは行動範囲に限界があり、流民の知識を活かせる場面があると推測」
「なるほどな……よし」
頷き、心を決める。
「その提案、乗ったぜ。一緒に天……らす、だったか? に行こうじゃあないか」
「……これは、何?」
エレンが片腕を伸ばすと、白いレイヴンが怪訝な反応をする。
「何って、握手だよ。レイヴンは知らないのか? あー……人間のコミュニケーション方法で、約束が成立した時とかにするんだ。ほら、こう手を握って」
「……理解不能。言語による意思疎通が完了した以上、わざわざ接触する意義は無いに等しい」
「意義がなかったらしちゃダメなのか? そんなこと言ったらさ、まだあんたと俺が手を組む意義があるかも分かんないだろ?」
「否定、それとこれとは別」
「じゃああれだ、俺の機嫌を取ると思ってさ。協力相手の好感度稼ぎだ、意義に満ち満ちてるな、うん」
「……仕方ない」
心なしか呆れたような調子で、白いレイヴンが手を伸ばしてきた。髪色ほどではないが、色素の薄い皮膚だった。
それを掴む直前、ふと訊きそびれていたことを思い出す。
「そうだ。あんた、名前は?」
「解答。当機の登録名はこれ」
そう言って彼女が示すのは、己の肩に記されたいくつかの文字だった。
うぐ、とエレンは内心言葉に詰まる。文字を読むのは苦手だし、名前は独特の綴りが多くて読み間違えた経験がかなり多いのだ。
しかし、すぐに読めませんというのもなんだか情けのない話なので、どうにかその数文字を睨みつけてみる。
“α-delta”
「ア……デ? ……ル、タ」
「否定。当機はデルタ型アルファ」
「デル……なんだって?」
「デルタ型アルファ」
なんだそれ、と眉を顰める。
「そんな、機械の型番みたいな……」
「肯定。レイヴンの登録名は型番とイコールである」
「はあ、デルタガタアルファ……呼びにくいな。長いし」
「提案。ならば、好きな呼称で構わない」
「ん、そうか? なら、そうだな……」
いくつかの思考を巡らせて、ひとついいのを思いついた。
「よし。じゃあ、さっきのを縮めて、アデル——ってのはどうだ?」
「アデル……」
彼女は口の中で何度か『アデル』という三音を転がして、それからゆっくりと頷いた。
「……アデル、アデル。了解した、当機はこれより特殊呼称としてアデルを仮登録する」
こくりと白いレイヴン——改めアデルが頷いたので、エレンはようやくその腕をガシッと握った。意外なことに——エレンよりもやや低いとはいえ——しっかりと体温がある。
それに指は細いし、皮膚……のように感じられる体表も滑らかで、触れる分にはただのか弱い女の子って感じだな、なんてやや不埒な思考が浮かんできたエレンは、慌てて首をぶんぶんと横に振る。
「俺はエレンだ。よろしくな、アデル」
にかっと笑ってみせると、アデルは不可解そうに首を傾げる。
「先ほど、当機はあなたを殺害しようとした……疑問。なぜ笑う? 身体接触も危険があるのでは」
「そりゃ、俺が先にナイフを向けたのが悪いしなあ。それに一緒に行動するなら仲間だろ、仲間。……あ、あと俺のことは名前で呼んでくれ」
「了解、エレン」
それから、少し考えるような間を開けて。
「……その、よろしく」
おずおずといった風に、おそらく自分を真似したのだろう“人間らしい”挨拶を添えてきたものだから、エレンはますます自分の口角が上がるのを抑えきれそうになかった。
「おう、よろしくな、アデル」
ひとしきり握った腕をぶんぶん上下に振ると、エレンはぱっと手を離す。途端に朝の冷たい空気が指先に入り込み、なんとも名残惜しいような気持ちになった。
それを振り払うようにして、エレンはくるりとグラウンドの外へ足を向ける、
「それじゃ、まずは探索だな。レイヴンの力があったらいつもより楽そうだ」
「探索? ……なんのために?」
「そりゃ、決まってるだろ」
エレンは、いくつかを拾ったままポケットに入れていたそれを……つまり、アデルが食べたのだと思しきエナジー・バーの空包装をぱっと地面に放る。
それは偶然吹いた強風に持ち上げられ、天高く飛び上がって行った。まるで、いつか二人が辿り着くだろう場所へとひと足先に向かうように。
そう。自分は天へと向かうのだ。
長らく願い続けていたその夢に、間違えようもなく近付いた。その事実への興奮が、エレンの胸を高鳴らせている。
そのために、まずやるべきことは何か? それはもちろん、決まっている。
「メシだよ、メシ。こんな燃料じゃなくて、もっと美味いモン探して親睦会と洒落込もうぜ」