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2ー1【邂逅】

 翌日。

 老人の言葉の意味をたっぷり一晩考えたエレンは、首尾よく修理が完了した光子銃を受け取った後、日課の探索に繰り出していた。

 といっても、前日レイヴンの母船を見つけた方角ではない。敵と見做された可能性が高い以上、近寄れば殺されてしまうかもしれないと思ったのだ。

「死にたいわけじゃない……ってのは本当だからな」

 実際、レイヴンは強かった。

 逃げられたのだって偶然だろう。百回同じことをやったとして、九十五回くらいはあの場で殺されていたはずだ。そして、勝てる回数はひとつもない。

「やっぱり、エーテルがズルいんだよな。こっちはせせこましく電力で弾を補充してるってのに、あっちはあんな強い攻撃を連発できるんだからな……」

 エーテル、通称神の光。

 こちらもまた、ナノマシンと並んで地上の技術では再現のできない超常文明の一端である。

 しかし、こちらはナノマシンほど複雑なものではない。ただ純粋に、赤い光を伴う凄まじいエネルギーであるというだけである。

「せめて、エーテル切れのレイヴン相手なら戦えるかもしれないけど…………ん?」

 かさり。

 足元に、不自然な感触があった。

 左右に広がるのは、あいも変わらず崩壊しかけたビルの群れ。足元のアスファルトには亀裂が走り、かつて標識だったのだろうそれらはただ先端に丸い円盤のついた鉄の棒と化して傾いている。

 そんな中で、バキンでもガツンでもなく、かさり。

「なんだ……これ、エナジー・バーの包装?」

 拾い上げたそれは、この旧都市群でよく見つかる人間用完全栄養燃料の包みであった。

 食料ではなく、燃料。効率的に栄養を摂取できるようにと固めた油脂にビタミンや塩分などを練り込まれて作られており、実際に栄養豊富かつ保存期限も異様に長い、のだが。

 その代償というべきか、およそ人間が口にするものであるとは思い難い——端的にいうとめちゃくちゃマズいのである。なにせ、苦しょっぱくてギトギトした油の塊なのだ。

 資源に乏しい流民でさえも、よほどのことがない限り食べようとはしない。飢え死に寸前でエナジー・バーしかないのなら、それはもう死んだ方がマシだ……とさえ言われており、どうしてこれが豊かだったはずの旧時代に量産されていたのかを知る者は誰もいない。

「うわ、こっちにもある……こっちにも。誰かが食べた、のか? まさか、これを? 三本も?」

 まだ何もない荒野ならいざ知らず、旧都市群には危険に見合うだけのたくさんの物資が残っている。それこそ、これよりもっとマトモな保存食だって少し探せば見つかるのだ。

 これの利点なんて、栄養価だけは高いことと、探さずともあちこちに見つかることくらいしかない。

 エレンも、この都市に移り住みだしたタイミングでは飢えに耐えかねて食べたことがあるが……その時のことは二度と思い出したくない。今も、包装を見ただけで胃から何かが込み上げる感覚がある。

「捨てられてから間もなさそうだ。近くに誰かいるみたいだな」

 放射能とレイヴンのある都市に住む流民は少ないが、それでも全くいないというわけではない。エレンのように集落から追放された者や、あるいはあの老人のように世捨て人のような未来を諦めた者なんかが、それぞれ必要以上に関わり合うことはなくぽつぽつと暮らしている。

 恐らくこのエナジー・バーを食べた誰かは、そんな都市暮らしの新入りだろう。だからロクな食べ物も見つけられず、こんな燃料を口にする羽目になっているに違いない。

「流石に可哀想だな……うん、よし」

 立ち止まっていたエレンは、並んでいたエナジー・バーのゴミを追うようにして再び歩き出す。

 いくら旧都市群では流民同士の交流が薄いとはいえ、これを見過ごすのは相手を生き地獄の中に見捨てるのと同義だ。見つけてしまった以上、自分には相手にマトモな食料の探し方を教える義務がある——そんなことを思いながら。

 この廃墟で生きるのに慣れたエレンにとって、相手を追うのはそう難しい話ではない。

 散らばるガラス片の上の足跡、通行のためにどかしたのだろう折れた電柱、そういうのを辿っていえばいいのだから。それに、新たな時折エナジー・バーの空包装が落ちていたりもした。

 そうやって手がかりを追って歩いているうちに、エレンの中に一つの違和感が浮かび上がる。

「……こいつ、何本エナジー・バーを食べたんだ?」

 エナジー・バーが栄養豊富なのは本当のことであり、一本で一日分の食事代わりになる。というかそもそも、脂っこすぎてひどい胃もたれに襲われるので、食べるとして一日一本が限界だ。

 なのに、地面に落ちた空の包みはすでに十を超えている。

 複数人いる……とは考えにくい。残る痕跡は、どう見てもたった一人の——それも、やけに小柄な誰かの分しかないのだから。

 そうして辿り着いた先は、朽ちかけた門を通った先にある、やたらと開けた一角だった。

 四角い建物がいくつか横に立ち、近くには大きな人工池らしきものも見える。確か、かつては子供を教育する場であったという施設、だっただろうか。

「昔、アンに教えてもらったんだけどな……ええと、ここはグラウンド、だったか?」

 そしてそのグラウンドの中心には、人影がひとつ。

 白い髪をさらさらと風に流す、誰かが。

「いたいた……おおーい! そこの人ーっ! なんでエナジー・バーなんか何本も……食べ、て……」

 威勢よくあげたエレンの声は、その人影の仔細を視認するにつれて弱々しく萎んでいった。

 それは、少女だった。

 この終末において、暴力を是とする過激な人間は少なくない。相手がそういうものではなさそうだという安心は、すぐにそれを上回る驚愕に塗り潰されていく。

 近付くにつれ、少女の姿が鮮明になる。

 この都市で生きるにはあまりに薄い装備。背中には機械翼。その二つを携えた存在を、エレンは一つしか知らない。

 それは人の手によって造られた、人ならざるバケモノ。

 ——レイヴンだ。

 雪のような白い髪と血のように赤い瞳を携えた、まるで幽鬼のような……。

「まさか、母船からこんな離れた位置に⁉︎」

 それに、エレンがこのタイミングまで相手の正体に気が付かなかったのには、他にも理由がある。

「エーテルの光がない……? ひょっとして、エネルギー切れなのか?」

 呼びかけに反応したのだろう、エレンの方を向いた少女の色素が薄い肌の上には、あの膨大なエネルギーを表す刺青のような赤い光がひとつも浮かんでいなかった。

 チャンスかもしれない、と考える。

 兵器とはいえ、エネルギーがなければ人間も同じだろう。エレンは人間の中ではそれなりに強い方であり、それならば相手を無力化するのは不可能な話ではないはずだ。

 真紅をしたレイヴンの瞳が、ありふれた茶色をしたエレンの瞳とかち合う。

 瞬間、エレンは太腿に差していた高周波ナイフを抜いた。先の戦いで光子銃が見切られたのを考えると、射撃はあまりうまい手でないように思えたのだ。

 それでも、エレンはこのレイヴンと戦わなければいけない。戦って、捕まえないといけない。

 それが、エレンにとっての希望だから。終わってしまった世界でも生き続けるための、エレンがエレンであるための、その根源だから。

 今後、エネルギーの切れたレイヴンと遭遇する機会なんて二度とないかもしれない。そもそもレイヴンと接触する機会が稀なのだ。銃が通用しなかろうと、これは千載一遇のチャンスに違いなかった。

「お前を捕まえて……俺は、“天”に行くんだ!」

 覚悟は決まった。

 エレンが、ナイフをその白いレイヴンへと向ける。

 ——次の瞬間、驚くべきことが起きた。

「……敵対、行為? 敵対行為を、確認。敵対存在と推測」

 まるで笛の鳴るような、美しく澄んだ——しかし、平坦な声。

 それはもちろん、エレンのものではない。周りに他の誰か潜んでいたわけでもない。

 目の前にいる、白いレイヴンのものだ。

「お前……いやアンタ、喋れる……のか?」

「……? 肯定。他の機体と同じく、当機にも言語機能が搭載されている」

 他の機体と同じく。その言葉を、エレンは心の内で反芻する。

 それはつまり、

「レイヴンってのは、みんな喋れるってことか? その、人間みたいに?」

「肯定。……けれど、推測……流民に対応することはない、かも。我々レイヴンは、“天人”のための翼だから」

「じゃあ、なんでアンタは俺と話してるんだ?」

 エレンとしては、唐突なイレギュラーに対する当然の質問のつもり、だった。

 しかし。

「…………否定。話して、ない」

 なぜだか白いレイヴンはハッとした顔をした後、ぐっと拳を握り締める。

「当機はレイヴンの使命に基づき、敵対存在を排除する」

「いや、喋れるってんなら、こっちとしては戦うより先に相談が……」

「うる、さいッ!」

 途端、地面が爆ぜた。

 否——地面が爆ぜるような轟音と共に、白いレイヴンがエレンの方へと飛びかかってきた。

「なんつー脚力……!」

 エレンは慌ててナイフを目の前に掲げ、突き出されてきた拳を受ける。

 そう、拳。

 エーテルの光を持たない——つまりはエネルギー切れのためか、白いレイヴンは他の個体のように手足を武器には変えられないらしい。それならば、ダメージを与えられるはずだ。なにせこの高周波ナイフは、見た目こそ小ぶりで頼りないものの、その実鉄すらも断ちうる旧時代の遺物である。

 エレンの立てたそんな予想は、あっけなく裏切られることとなった。

 重い手応え。

 振り抜こうとした手が止まる。

「……ッ、嘘だろ!」

 拳にかち合って刃が止まった……わけではない。だからこその驚愕だった。

 白いレイヴンは握っていた指のうちの二本だけをぴんと伸ばし、それで挟み込むようにしてナイフを受け止めていたのだ。

 反射神経という点でも、握力という点でも、エレンの予想を遥かに上回っている。エネルギーが尽きていようと、兵器は兵器なのだった。

(それでも……やるしかない!)

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