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1-2【青年と老人】

 ざっと数時間ほど駆けて辿り着いた先は、横倒しになったビルの陰に隠れるようにして立つ小さなプレハブ小屋だった。

 この滅びた都市においては比較的新しく、扉の隙間からは人工の明かりも漏れている。

「よっす、じいさん。生きてるか」

 エレンが扉を乱雑に開けた中には、小さな見た目に反さない狭苦しい部屋がある。

 足の踏み場はないのでエレンはそのまま入り口に留まりつつ、わだかまる機械油のつんとした臭いにやや眉根を寄せた。

「……相変わらずひっでえ部屋」

 エレンがそう漏らすのも無理はない。

 なにせ、ただでさえ大した空間もないのに、ぐちゃぐちゃとよく分からない機械やら謎の瓶やらブロックフードの空き箱やらが積み上がっており、あと少しでも中身が増えたらぱちんと中から破裂してしまいそうな窮屈さである。

 壁どころか天井にさえ、なにやら細かい文字や図形、それに学のないエレンからすれば目眩のするような計算式のびっしり詰め込まれた紙が一面に貼られており、目を休める場所というものがひとつも存在しない。

 そしてその中央、パズルのような器用さで生み出された少々の空間では、顰めっ面の老人がなにやら小型機械をいじくり回していた。

 髭は乱雑に切られ、白い髪も短く刈り上げられている。しかし顔立ちには貫禄があり、体も全体的に筋肉質で、衰えているという感じはしない。老練、という言葉が似合うような男性。

 その老人はたっぷり数分してから顔を上げ、エレンの方を見る。

「なんだ、坊主。まだしぶとく生き残っとったか」

「そう簡単にくたばったりしねえよ……じいさんも元気そうで何よりだ。まだメシのストックは足りてるか? この前、近くでデカい倉庫跡を発掘してな——」

「ふん。うだうだした世間話はいい、何の用だ?」

 すげなく話を遮られたものの、いつものことなのでエレンも気にしない。

 返事の代わりに差し出したのは、レイヴンに破壊された光子銃の残骸である。

「これ。じいさんなら直せるだろ? 頼むよ」

「……貸してみろ」

 老人は歳にそぐわぬ機敏な動きで立ち上がると、素早くエレンに近付いて銃を受け取る。

「なんだァ、この綺麗な切断面は?」

 かと思えばさっさと同じ場所に戻って、検分しながらぶつぶつ呟き始めた。

「手持ちでいっとう良い高周波のブレードでも……無理だな。組み方は、金属ベースとなると……レーザーと合わせて、何度か打ち付ければいけるか? それにしても焼けた跡がほとんど……」

「ああ、エーテル……神の光にやられたんだ。驚いたよ、すっぱりいくもんだから」

 破損理由を説明した途端、老人の灰色い目玉がぎょろりとエレンを向く。

「ぁあ? 神の光だァ? ……いや、確かにこいつをブッたぎれるのなんざ天くらいなモンだろうが」

 老人は信じられないといった口調だったが、銃の再び切断面を見て唸るような声をあげる。

「……まさか坊主オメエ、とうとうレイヴンとやり合ってきたってェのか」

「ああ」

 当然、とエレンは頷く。

「ちょっと離れたトコに母船があってさ。ほら、東に比較的遺跡が残ってるエリアがあるだろ?」

「ハァ……。馬鹿か、オメエは」

 老人はため息混じりに、

「レイヴンが何か、分かるだろ? こんなボロボロの地上とは違う、文字通りの天上に住んでやがる神だか人だかも分かんねえような奴らが作ったクソ強え兵器だ。天とやり合うなんざ、人間如きがやっていい所業じゃねえ」

「あー、レイヴンは天使だから逆らうな、天罰が下るぞって?」

「違え」

 ガチャガチャと何やら工具らしきもので銃の残骸を弄りながら、老人はかぶりを振る。

岩鼠グレイブ砂呑蛇アンフィスに勝てるかっつう話だ。お前なんざ丸呑みされて終わりだ、終わり」

「実際殺されかけたよ。命からがら逃げてきたんだ、これでも」

「惜しむような価値がある命なら、もう二度とそんな真似すんじゃねえよ……よし、中枢機構は無事だな。これならまあ直せるぜ」

 そこまで言うと、老人は複雑怪奇に積み上げられた機械群を漁り始める。

 それらはスクラップなどではなく、今も現役で稼働する貴重な旧文明の結晶だ。現に、今も脈動するかの如く低い可動音を轟かせている。

 人の少ない旧都市群を離れ、どこぞにある人の住む寄り合いにでもそのうちのいくつかを持ち込めば、しばらく食うには困らないだけの見返りが与えられるだろう。それだけの価値があることは、知識のないエレンにも分かる。

「……ま、俺には関係ない話だけどな」

 ぼそりと呟いたのに気付く様子もなく、老人は銃だった金属塊を、雑然とした機械群の一角たる巨大なモニター横にある穴に放り込んだ。

 かと思えば、何やらモニター前の虚空に浮かんだホロキーボードを叩き始める。

「なあ。前々から気になってたんだけどさ、じいさん。いっつも旧文明兵器をどうやって直してるんだ?」

「どうってそりゃ、ナノマシン製だからな。坊主、ナノマシンは知ってるか」

「バカにしすぎだろ……。なんか、めちゃくちゃちっさい機械だろ? 命令すれば、プラスチックみたいにも金属みたいにも布みたいにもなる、昔の人がすげー技術で作った、すげー機械」

 老人は「ああ」と鷹揚に頷いた。

「原子だの分子だのの規模で組み変わる、今の技術じゃ仕組みも分からん超常機械だ。設計図さえ作ってやりゃ、何だってその通りに出来上がるって寸法だな」

「ふぅん……じゃあ、修理しなくてもイチから作りゃいいじゃんか。何にでもなるんだろ?」

「はん」

 小馬鹿にするように息を吐き出し、老人はちょいちょいとエレンを手招きで呼び寄せる。

 この雑然とした部屋のどこを通って近寄ればいいのか、なんて思いつつ、比較的踏んでも許されそうなガラクタの上を通り抜けたエレンへと、老人はモニターを示した。

「坊主、これがどういう意味か分かるか?」

「ああ?」

 言われた通りに見てみれば、文字と数字の記号の羅列。

 辛うじて簡単な名詞が分かる程度にしか読み書きのできないエレンは、ちらりと見ただけでばっと首を引っ込めた。その一瞬だけで、すでに頭ががんがん痛む。

「分かるわけねえよ……俺がブロックフードと弾薬の箱を間違えた話、まだ覚えてるだろ?」

 ぶすっとした顔と声。

「じいさん、お前はガトリングにでもなるのかって散々笑ったじゃねえか」

「オメエじゃァなくても分からんさ。俺だって半分、いや……一割も分からん。中枢機構に設計図があるからなんとか直せてるだけで、イチからなんざもっての他に決まってる」

「はぁ……そういうもんか」

 首を捻るエレンに、老人はしっしと「邪魔だからどけ」の意を示す。

 エレンとしても、こんな頭痛の種にしかならないモニターなんて眺めていたくなかったので、素直にまた入り口の前まで戻った。

 そのまま出て行こうとして、ふと振り返る。

「そうだ、じいさん。銃、どれくらいで直るんだ?」

「ハンド・フォトンガンなんざ、変異生物どもにゃろくすっぽ効かねえだろ。そんなに急いで、直ったらどうする気だ」

 じろり。

 灰色の目が、エレンの茶をした瞳を射抜く。

「……そりゃ、レイヴンを倒して捕まえるんだよ」

「銃があろうと自殺と同じだ、馬鹿が。そんなら、コイツを直しちゃアやれねえな」

「はあ⁉︎」

 いきなりの理不尽な物言いに、抗議の声をあげるエレン。

「そりゃねえだろ、じいさん!」

「こっちの台詞だ。オメエのふざけた死にたがりに付き合ってやる義理ァねえ」

「死にたがりって……俺は本気だ!」

 胸中に湧き上がった激情をぶつけるように、エレンは声を張り上げる。

「俺はどうしたって、レイヴンを捕まえなきゃなんないんだよ! そのためだけに、こんな危ねえ旧都市に来たんだ! 死ぬ気はないけど、諦めるくらいなら死んだ方がマシだ……!」

 珍しいことだった。

 エレンは快活な青年で、比較的自分の感情に素直である。しかし、他人へと明確な怒りを向けることは中々なかった。

 実際、慣れない怒声を出すのにすぐ疲れてしまい、すぐにへにゃへにゃと声が萎んでいく。誤魔化すように頬を軽く掻きながら、エレンは咳払いをした。

「いや……じいさんには悪いとは思うけどさ。俺がいなきゃ、メシの調達も面倒だろうし……でも、やっぱりやるよ。銃がないなら拳を握って行くだけさ」

「そうかい。分かったよ」

「だから、止めてもムダ……え? わ、分かったって?」

 老人は目線をエレンから離し、またモニターと格闘し始める。

「ふざけた理由だが、オメエがふざけてねえのは分かった。直してやるよ」

「そ……そんな呆気なく?」

 てっきりもっと止められるかと思っていたので、ぱちぱちと瞬きながら訊き返す。

「なんだ、直してほしくねえのか。俺としちゃそっちの方が手間がなくていいが」

「いや、直して欲しいけど! でもなんか、めっちゃ反対っぽかったじゃんか、なあ?」

「あぁ? そりゃ反対だよ。でもな、坊主」

 ホロキーボードを凄まじい速度で弾きつつ、老人はいつも通りの淡々とした口調で返す。

「人間ってのは、そこらの動物やら道具やらとは違え。生きるためには、メシよりも寝床よりも重要なモンが必要だ。だから、オメエに覚悟があるんなら止めねえさ」

 声音は平坦だ。態度にも変化はない。

 けれど、なぜだろう。エレンにはその老人の言葉から、痛みと諦めを内包した深い思慮の色を感じ取った。

「……はあ。まあ、ならいいけど」

「今日はもう休め。銃は一晩で直るから、明日の朝にでも取りに来い」

「おう、さんきゅ。分かったよ」

 古びた扉を開けてプレハブ小屋を去る寸前、エレンはふと思いついて顔だけ振り返る。

「——なあ、じいさん。じいさんにも、その、『メシよりも寝床よりも重要なモン』があるのか?」

 軽い気持ちの質問だった。

「昔はな」

 やはり、老人の言葉に特段の感情は混じっていない。

 けれどエレンは、軽々しく質問したことを後悔した。

「今はもうないから、こんなクソみてえな掃き溜めで一人なのさ、俺ァ」

 一呼吸おいて。

「坊主、オメエは見誤るんじゃアねえぞ。命を燃やし続けるため、いっとう大切なモンがなんなのか。そのためにくべるべきは何なのかを、絶対にな」

 旧都市に住む人間は、必要以上に関係を持つことを良しとしない。だからエレンは、この老人の来歴どころか名前すら知らないのだ。

 それでも、心からの忠告なのは理解できた。

「……ああ。肝に銘じるよ」

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