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白鴉の星
暖猫
SFポストアポカリプス
2024年07月18日
公開日
64,533文字
連載中
世界は滅び、天と地に分かれた。
荒れ果てた地上を生きる流民の青年・エレンは、とある目的のために天より遣わされた少女型兵器たる”レイヴン”を捕獲しようと旧都市遺跡で一人暮らしていた。
そんな折に出会ったのは、真っ白な髪と赤い瞳を持ったはぐれレイヴン・アデル。兵器であるはずの彼女は、なぜかエレンと会話のやり取りに応じ、どころか協力関係をもちかけてきた。

目的地は、遥か高き天――天人と呼ばれる人々の住まう宇宙ステーション。
片や、約束を果たすために。片や、役割を果たすために。
荒野を往く二人はやがて、世界の残酷な真実へと近づいて行く。

1-1【旧都市遺跡】

 ——約束が。

 あの日の約束がずっと、胸の内に刻まれている。

『お兄ちゃん』

 目を閉じれば、今でもありありと浮かぶ。

 優しい声。温い料理の香り。さらりとした長い髪。……それから。

『お兄ちゃんはずっと、優しい笑顔のままでいてね』

 それは、懐かしい記憶。色褪せた人生の中でも鮮やかに輝く、美しい日々の思い出。

『約束だよ』

 夕日によってオレンジに輝くそのすべてを焼き付けるように、ゆっくりと目を閉じて——。

 ……エレンは、目を開く。

 前方に広がるのは、灰色をした四角い遺跡の数々だった。

 旧時代の文明によって造られたという、超高層ビルの群れ。かつては数百万以上の人間を身の内に抱えていたはずのそれらは、しかし今現在となっては、死した文明への巨大な墓標でしかない。

 残り少ない人々すらも、老朽化し尽くした建築物の崩落や強い放射能による変異生物モンスターを恐れ、旧都市から離れた荒野でなんとか生を繋いでいる。

 最早、どこにも未来はないのだ。

 誰もがそれを心のどこかで理解しながら、しかし潔く終わりを選ぶ度胸すらない。人類史における惰性のような灰色の残滓。それが、今のこの世界。

 けれど。

 エレンは、まだ十八歳の少年でしかない自分は、希望を——この灰色の世界において唯一鮮やかに光るそれを、ずっと探し求め続けているのだった。

「……見つけた」

 ぽつり、エレンは呟く。

 その視線の先にあるのは、倒壊したビルによる瓦礫の群れ……だけではない。

 ひび割れ錆びついた景色の中、やけにぴかぴかと真新しい人工物があった。

 それは、かつての大戦でも使われたという軍用飛行機によく似た形をしている。が、それとは比にならない大きさをしており、真ん中の方がぷっくりと円筒状に膨らんでいた。

 よく見れば地上から数メートル浮かんでいるそれは、下方から赤い光を放っている。

「空飛ぶ“レイヴン”の母船……ようやく、ようやく見つけた!」

 拳を握ると同時に、母船の下腹部にあたる一部分からより強い光が伸びていった。

 その光の中から、ひとつの人影が浮かび上がる。

 全体として、少女の姿かたちをしている。

 手足は二本ずつ、背丈などエレンより低いくらいで、放射能に汚染された巨大な変異生物の仲間というわけではない。

 しかし、その少女には一目見て異常な箇所がいくつもあった。

 まず、その顔や身を包んだ衣服の上のあちこちを刺青のように走り抜ける、鮮烈な赤い光。背には、金属光沢を放つ機械翼。そして何より、この放射能まみれの廃墟を生き抜くにはあまりにも軽装備なその格好。

 小綺麗で肌の露出こそ少ないが、薄手のボディスーツの上から一枚羽織っただけである。武器どころか荷物のひとつもない。これでは、そこらの砂漠トカゲに見つかっただけでぱくりと喰われてしまうだろうとさえ思えてしまう。

 普通、この世界はそんな装備で生きていけるものではないのだ。

 そこから導かれる結論はただ一つ——その少女は、人間ではあり得ない。

 人間のフリをした、バケモノだ。

「レイヴン……!」

 ぐっと腰の銃に手を添えて、エレンは胸の内に渦巻く高揚を抑えるべく息を吐く。

 人造の天使、レイヴン。地上に生きる人々——流民にとっては、どんな変異生物よりも恐ろしい化け物であった。

 その正体は、実のところよく分かっていない。生物兵器なのか、それとも精巧な機械なのかすら。しかし、彼女らは時折地上に住まう人間へと致命的な被害を与える……ということだけは確かである。

 今はまだダメだ、母船が近すぎる——そんなことを考える。

 あの母船の中には、少なく見積もっても数人のレイヴンがいるはずである。そんなものの近くに行けば、エレンはあっけなく“拉致”されるなり殺されるなりしてしまうだろう。

 だから、じっと好機を窺う。

 降りてきたレイヴンが母船を離れ、完全な単独行動を始めるのを、息を潜めてこっそりと尾行しながら。

 幸い、そう長くはかからなかった。

 そのレイヴンの目的は、どうやらやや離れた位置にある大きな廃墟の探索であったらしい。数十分も経った頃には、母船からすっかり離れた場所で何やら瓦礫を漁っていた。

 チャンスだ。

 エレンは息を大きく吸い、吐き……腰の銃を抜いた。

 遮蔽としていた電柱の影から半身を出し、構える。照準を、十メートルほど先にいるレイヴンの機械翼へと向ける。そして、

「……っ、悪いッ!」

 いくら意思が無いバケモノが相手だろうとも、人型のものを撃つことに対するちりりとした罪悪感。それによる謝罪の言葉共に、トリガーを引いた。

 ——シュン。

 大昔にあったという鉛玉式のものとは比べものにならない静かさで、銃の先端から青白い光が飛び出る。旧文明の遺物としてもさして珍しくない、ありふれたナノマシン製の光子銃——しかしその殺傷力は、鉛玉に勝るとも劣らない。

 文字通り光の速さで飛んだそれは、確かにレイヴンの脚に突き刺さってその機動力を奪う、はずだった。

 ——キン。

 ガラスのぶつかり合うような、高く澄んだ音。

「……う、嘘だろ」

 それは、自身に向かってきた凶弾を、レイヴンが展開したエネルギーブレードで的確に防いだ音だった。

 まさかそんな、とエレンは内心激しく動揺する。

 相手はこちらを認識していなかった。つまりは完全に不意をついた、そのはずなのだ。

 もちろん相手は旧時代の技術の髄により造られた人型兵器であり、たかが銃弾一発で無力化できるとはエレンも思っていなかった。しかし、ノーダメージともなると、さすがに話が違う。

 だが、そのまま混乱している暇はなかった。

「————」

 レイヴンは何も話さない。どころか、彼女らに人間のような意思はないとさえ言われている。

 しかし、無機質な瞳がはっきりとこちらのことを捉えたのがわかった。

 ぞくり。

 背中を、冷たいものが走り抜けていく感覚。

(マズい——)

 まともな思考を挟む余裕もないまま、エレンは必死に後方へと跳躍しつつ、もう反対の腰に差した銃を大急ぎで掴み取る。

 刹那、レイヴンがエレンに向けて駆けてきた——否。人間の目には捉えられない、まるでテレポートのごとき速度で、エレンの目の前に迫ってきた。

 じりり。鼻先を、赤色をした致死が駆け抜けていく。

 その正体は、レイヴンの扱う特殊なエネルギー刃であった。

 といっても、それを手に持っているわけではない。宙に浮かせて操作をしているわけでもない。レイヴンの腕そのものが、実態なき赫光に変質しているのだった。

 もちろんただの光ではなく、神の光とさえ呼ばれる超高出力のエネルギー塊だ。触れるだけで金属すら容易く焼き切れる。

 レイヴンとは、兵器である。

 ゆえに——どういう仕組みかは分からないが、その手足を武器へと変える能力を持っている。

「うわ……エーテルブレードかよ! 殺す気満々じゃねえか!」

 エレンの叫びにも、レイヴンは一切の反応を見せない。

「流石に容赦なさすぎだろ……ッ」

「…………」

「俺なんかと話すことはないってか……いやまあ、話せるかも知らないんだけどさあ……っ、ぶねえ!」

 死角から飛来してきた光弾を、エレンは紙一重で跳躍して回避する。それは、レイヴンの足が銃に組み変わって放たれたものだった。

 続けて横薙ぎに振られたブレードは、光子銃で防——いだはいいものの、その圧倒的な威力によって、中程からどろりと融解して真っ二つになってしまった。

 これでは最早盾に使うことすらできず、エレンはその銃の半分、グリップ側を脚のホルスターに戻しつつ、キャッチしたバレル側をレイヴンに向けて投げつけた。もちろん当たりはせず、容易く避けられる、

 それで生まれた僅かな隙を突くように、隣のホルスターから取り出した無傷の銃を発砲するエレン。しかし、乾いた音を立てて放たれたそれは、レイヴンを掠めもせず明後日の方向にすっ飛んでいってしまった。

 その一連の動作を終えても、エレンの体は未だ中空の只中にある。

 それはつまり、地面を蹴って進むことができない以上、次の攻撃の回避が不可能だという意味で。

「…………ッ、」

 レイヴンがブレードに変化させた腕を振りかぶり、突き出してくる。

 その狙いは胸の中央、やや左寄り——つまり、寸分違わず心臓の位置。

 命を奪い取らんとするレイヴンには——外見は少女のようなそれには、一切の躊躇いがなかった。しかし、先にエレンが攻撃してきたのだということに対する怒りや憎しみさえもなかった。

 あるのはただ、やるべきことをやるという、単純明快な目的意識だけ。トリガーを引かれた銃が弾を吐き出すように、ナイフが切りつけたものを裂くように、ただ、当然の帰結として。ざらりと平坦な目的意識に、エレンは殺されようとしていた。

「——死んで、たまるかぁっ!」

 あわやブレードが心臓を引き裂く寸前、エレンは先ほど撃ったばかりである銃の引き金を再び絞った。

「……っ⁉︎」

 無表情だったレイヴンの顔に、ほんの僅かな動揺が浮かんだ——ように見えたのは、気のせいだろうが。しかし、動きが鈍った。

 理由は単純。死を待つしかないはずであったエレンの体が、凄まじい速度で後方に飛翔したからだ。

 その手に握られた銃からは、微かに細く光る糸が伸びている。背後のビルの壁面まで伸びたその糸——ワイヤーが急速に巻き取られることによって、エレンは擬似的な飛翔を果たしているのだった。

 先ほど撃った銃。それは攻撃用のものではなく、頑丈な金属製の縄を撃ち込むエレンとっておきのワイヤーガンだったのだ。

 それを、レイヴンの方も理解したのだろう。獣の唸りにも似た駆動音を立てて、レイヴンの背中に広がる機械翼が展開される。あれと各所のブースターを使い、レイヴンは短時間なら飛行をすることができるのだ。

「させねえよ、残念ながら!」

 びゅんびゅんと耳元で風が唸る音を聞きつつ、エレンは腰に下げた道具入れを漁る。すぐに艶消しの処理が施された丸いプラスチック塊を取り出し、レイヴンへ向かって投擲した。

 しかしロクに不意すら突けていない以上、ヒットすることはなく。先ほどの銃弾と同じように、レイヴンは素早くそのプラスチック塊を弾き飛ばし、

 炸裂。

 プラスチック塊——前に偶然見つけた閃光手榴弾が鮮烈な光を撒き散らし、レイヴンの視界を潰す。

 人の形をしている通り、レイヴンも人間のように目によって視界を得ている。こうすれば、しばらくはエレンを追ってこられないはずだ。

 レイヴンの方もそれを理解したようで、あっけなく臨戦体制を解き、一部を武器に変質させていた手足を通常の——つまり、人間と同じ形に戻す。つまり、これ以上エレンを追ってくる意思はないということらしかった。

 それはそうだろう、とエレンは思う。

 レイヴンにとって、流民たるエレンなど羽虫も同じだ。顔の前を飛び回れば払いもするが、逃げゆくそれをわざわざ追う労力を掛ける意味もない。

 離れた位置に着地し、ワイヤーガンの巻き戻しも済ませたエレンは、一応小走りでその場を離れる。

 クレバスのごとき深いアスファルトの罅割れをジャンプで超え、崩れかけた瓦礫の山を器用に上り下りし、風化した二輪車の残骸を踏み砕いて。

 どんなアスレチックよりも険しい崩壊都市の中を、エレンは一切の苦労なく軽やかに走り抜けていく。

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