私の反応を見るために、顏の前で手を振ってきた女の手首を強く握る。
はっきりとした声で、恨みも込めて強く言い放った。
「そんなこと出来るわけない。そんなわかりやすい嘘ついて騙せるとでも思ってんの?」
「嘘じゃないです。本気です」
「信じられない」
「んー…まあ今の段階で信じろって言う方が無理な話ですよね。だから…一度話だけでも、聞いてもらえませんか?」
何度も何度も、そんな話は信じられないと表現する私に対して、女は一向に引き下がる素振りを見せなかった。
どうすれば信じてもらえるのかと訊ねられた時……私に身分証をよこせと言いそうになったのを何とか飲み込んで、別の内容を口にする。
「下流階級の遊女を逃がす目的は何?」
相手の真意を把握するまでは、決してこちらの目的を悟られたくはない。
なのに女の方から得られる情報は、嘘で塗り固められたような内容ばかりで、私にとって都合の良いことしか言ってこなかった。
「私の立ち上げようとしている事業のお手伝いをしていただきたいのです」
「じ、ぎょう…?手伝い?」
「はい、つまり…花街から出て私の会社で働きませんか?というお誘いです」
気持ちが乗っているかのように上手く芝居をするのは、かなり苦労した。
「わざわざ遊女に仕事をさせるってことは……つまり、ここと変わらない仕事なんだろ?」
「いいえ、全然違います。身体を売るようなことなど一切ありません。ましてやあなた方が嫌がるようなことは絶対にしないとお約束します」
「ッ…」
反吐が出るような綺麗事に、私が引っ掛かるよう良いことしか話さない作り話に、何度怒りを表そうとしたかわからない。
「仕事内容は多岐に渡りますし一言で表現はし辛く、また企業秘密でもあるので、正式にお話が出来る段階は…」
「花街を脱け出せてから…ってことか」
ワナワナと震える手で口元を隠して、何とか本音が出てしまわないようにと抑え込んだ。
「もうこの時点でお気づきかと思いますが、この花街から脱け出して私の会社で働く以上、身分は…」
「…下流階級じゃなくなる、って…こと?でも、そんな法律なんて…」
下流階級の頭の悪い遊女は、この程度の話で簡単に騙せると思っているのだろうか。
簡単に、泣いて、縋って、何も考えず、話に乗ってくると思っているのだろうか…
「現状そんな法律はありません。しかし私の夢が叶えばゆくゆくは階級変更が出来る世界になります。それまでは…」
馬鹿にしやがってッ!!
内心、そう我慢の限界を迎えたタイミングで、私が最も欲していた物を披露された。
遊郭内に侵入する際身分を示したという通行手形。
男性に偽造したという証拠を目の前に突き出され、次に花街の門をくぐった時に使用したという一般客用の女性通行手形を見せられた。
そうだ…それが欲しい。
その『一般客用』と示されている女性通行手形が、喉から手が出るほど欲しい。
例えどんな手段を使ってでも…手に入れて見せる。
だってそれさえあれば、ジュンイチさんに負担をかけさせることなく、この花街から出られるんだから…
「…あんたにかかれば、花街を出た後も身分偽装は可能ってことか」
「その通りです!ね…?悪い話ではないでしょう?」
そのためにはどんな馬鹿らしい話でも、ある程度は調子を合わせて騙されているフリをしなければならない。
どんなに腹の立つ嘘の内容でも、信じかけているフリをしなければならない。
「…仕事内容が明確にわからないのに判断なんてつかない。生活出来る保障だって…ないかもしれないし」
「そうですね。でもこれを聞けば大体予測がつくのでは?あなたがこれからする仕事は、中流階級の上層部が担う内容で、給料もそれに相当します」
歓喜と困惑。
そんな風にわかりやすく芝居をしてやれば、逆にこちらが驚くほど目をキラキラさせて前のめりに近づいてこられる。
私が騙されていると思ってそんなに嬉しいのか…?
思わず眉間に皺が寄って、相手を睨むように見つめてしまう。
そんな私の反応は一切気にも留めず、女が言い放った言葉には…
「…あなたが、この花街から出て幸せになる、1人目の遊女です」
……心底呆れて、ものが言えなくなった。
はあっと思わず溜息が出て、顔面を両手で覆い隠す。
どうしたんですか?と問われた声には、急なことで頭が混乱している…とだけ答えて、しばらく静かにしてもらえるかと態度で示した。
まだ何か言いたそうに口をもごもごさせてから、女が今日はこのくらいにしておきます…としおらしく黙り込む。
その姿を横目で確認してから、ゆっくりとその場に腰を落ろした。
これからこの女をどう利用する…?
こちらの芝居を見て疑いもせず簡単に喜ぶ姿から察するに、おそらく能天気なだけで店側と繋がりがあるわけでは無いんだろう。
女の最終目的…遊女を外へ逃がそうとしていることがバレれば、事情を知っていて通報しなかった私も処罰は免れない。
かなり危険な賭けだけど、女だと正体がバレないよう協力しつつ利用して、私の一般客用通行手形を手に入れたい。
まずは出来るだけ多くの情報を聞き出すために泳がせるか……
信用出来ないと気のない素振りをして断り、けれど通報しないことによって私の指名でここへ通わせ説得させるよう仕向ける。
他の遊女へ話を持ち掛けにいかないよう、距離はつかず離れずで上手く調整する必要がありそうだ。
痺れを切らした女が私を逃がすための偽通行手形を用意して説得にくれば最高だけど…まあそう上手くはいかないだろうな。
私の偽通行手形を作れ、と直接言うのはリスクが高すぎるか…思惑を悟られたくはない。
逆にギリギリまで女の提案に乗り、花街を脱け出せてから逃亡するのは……
いや、女の本当の目的がわからない以上、安易に主導権を握られたら外に出ても逃げ切れなくなりそうだ。
一生ジュンイチさんに会えなくなってしまう未来だってあり得る。
自分の力で、慎重に出る方法を考えなくては……
やはり一番は説得をしにここへ通ってくる間で、女が自発的に私の通行手形を作って持ってくるよう誘導することだけど……
それが難しい場合は、女の一般用通行手形を奪う選択肢も視野に入れておかなくちゃいけない。
私が花街の門から出られても、女は花街から出られず通報されて捕まるだろうけど、でもそれ以外に方法がないのなら……
「……あの、そこ…寒くないですか?」
ひたすら頭の中で策を練っている途中、女がか細い声で話しかけてくる。
自分の膝に埋めていた顔を上げれば、上布団を持った女が遠くから心配そうにこちらを見つめていた。
「……私のことが信用出来ないのはわかります。だから障子の前にいてもらって大丈夫ですから…あの……布団だけでも、どうですか?」
「……。」
眉尻を下げながら困ったように微笑まれた顔が、一瞬だけ…出会った頃のジュンイチさんと被って見える。
それと同時に、懐かしい若い頃のジュンイチさんの声も思い出した。
『八が疑う気持ちもよくわかる。ただ……今ここで俺が説明したところで、八はそれを信じる気になるかい?』
信じてもらえなくて切ない。
そんな風に表現しながら問われたことを思い出して、ふっと体の力が抜けていく。
「あの…朝までそのままじゃ、冷えますから……」
「……布団だけもらう。ありがとう」
「ッ…!!」
嬉しそうに、目を見開いた女がゆっくりと布団を手渡しにくる。
軽く受け取り、すぐに離れろと視線で示しても、女の笑顔は継続されたままで居心地が悪かった。
あの子の通行手形を奪えば、あの子は花街から出られず通報されて捕まる……
そこまで過激なことはまだ、考えないでおこうと……無意識に思考を遮断して、再び膝へ顔を埋めていた。
『必ず…必ず迎えにくる。だからそれまでは、俺を信じて待っていてほしい』
軽く目を閉じれば、来店回数を減らすと約束したあの日のジュンイチさんが頭の中に浮かんでくる。
信じて待つ……けれど、他の手段も備えとして持っておく。
それがいざという時、あなたの負担を減らすことになるのなら……
「……おやすみなさい」
「……。」
今は少し……様子を見るか。
寝る挨拶をして布団の上で小さく縮こまる女を見て、もう一度、ゆっくり瞼を閉じた。