私の方から、彼へ理由を尋ねるようなことはしなかった。
質問を投げかける行為が、あたかもあなたの行動を疑ってますと表現しているみたいで…彼を傷つけてしまうんじゃないかと不安になった。
けれどある日突然、彼の方から思い立ったように話してくれた。
その内容はちぐはぐで、感情や想いだけが散りばめられていて…理解しようとするのにかなり苦労した。
「元々遊郭へ通ってたのは、欲を満たそうとしていたわけじゃないんだ」
「グッ…ゴホッ、ゴホッ!!」
唐突な彼の告白に、食べていた物が喉に詰まって咽る。
慌てた様子で背中を擦ってくれるのは良いものの、次に言われた台詞には少しだけカチンときた。
「大丈夫かい?まったく…18にもなって目一杯頬張るからだよ、八」
「ッ、ゴホ!……ジュンイチさんが、話し出すの急過ぎるからでしょ」
ジトっとした目で視線を向けると、すまないね、と全く謝る気のなさそうな笑顔で返される。
唇を尖らせていじけていると、お姫様のご機嫌取りは難しいね、この量のお団子だけじゃ不満かい?とまた盛大に笑われた。
「団子は、まあ…あればあるほど嬉しいけど」
「フッ…クク、…そうかい。じゃあまた初めて買った時みたいにたくさん買ってくるよ」
「……。」
頭を撫でながら言われた内容で、13歳の時に初めて団子を買ってもらった時を思い出す。
客の残飯でたまたま団子を口に入れて歓喜し、その日の夜、ジュンイチさんに好きな食べ物を聞かれたから全力で答えた。
丸いモチモチが3つ!串に刺さった!
そう目をキラキラさせて食い気味に言った私が面白かったらしい。
すぐさま立ち上がって出て行ったジュンイチさんは、両手いっぱいに袋を下げて団子を大量に買って来てくれた。
それは一目見たらわかるくらいの食べきれない量で、2人して並んでケラケラ笑いながら食べた。
仕方ないなジュンイチさんはって…愛を存分に感じながら食べた。
5年前のことでも、あの嬉しかった出来事は昨日のことのように思い出せる。
「…ありがとう、ジュンイチさん。……でもさ、やっぱ団子の量は今日くらいでいいよ」
「……?珍しいな。八が遠慮とは」
「もう!からかわないでくれよ!……ほんとは団子の代金も節約してさ、早く迎えに来てほしいんだ」
早く…ジュンイチさんと結婚したい。
そう俯きながら呟くと、間髪入れずに腕を引かれて抱きしめられる。
待たせていて本当にすまない、と右肩の近くで囁かれて、胸がぎゅっと苦しくなった。
ああ別に…責めたかったわけじゃないのに……
私の方こそごめんなさいと、心を込めて伝えようとした時だった。
「遊郭に通ってた理由は、幼い遊女を少しでも救うためだったんだ」
「……?!」
また唐突に打ち明けられた事実に、目を白黒させて驚く。
何が何だかわからないまま立て続けで話される内容に、全然頭がついていけなかった。
「幼い遊女たちが指名されて傷ついているという噂を耳にして……それならば先に私が指名して安全な夜を過ごさせたいと思うようになった」
「え、は……?」
「幼い子を助けられるなら、かなりの大金を注ぎ込んでも構わない。そう思っていたから、常に何かあった時用に懐へ忍ばせていた……その、身請け金を」
「身請け金を??」
説明される内容に理解が追い付かず、無駄にオウム返しをしてしまう。
戸惑う私を置き去りにして、ジュンイチさんが新たな情報を話し始めた。
「だが途中で気づいたんだ。俺が救うつもりで身請けしたとしても、相手の子が嫌がったら、それは何の意味もないんじゃないかって……」
「???」
「結婚は、相手の子に気に入ってもらえて承諾を得てからするものだと…そう思い直して、じゃあまずは長い年月通う資金にと……」
「つ、つまり……?最初は幼い子を助けるために通ってて、ひどく危険な目に合ってる子がいたら身請けするつもりでいたけど、途中で身請けは思い直して、今ってこと?」
コクリ。小さく項垂れるように頷いた彼を見て、呆れてものが言えなくなる。
何から突っ込めば良いのかさえもわからない。
ただ一つ納得がいったのは、彼ならばそんな滅茶苦茶な奉仕もやり兼ねないということだ。
5年もかけて育んできた信頼関係が、彼ならばあり得ないことではないと物語っている。
「ね、ねえ…それって……私じゃなくても良かったってこと?」
「それは違うッ!!!」
両肩を強く掴まれて、勢いよく否定される。
でも……と続けようとした返事は、更に大きな声で叫ばれて掻き消された。
「あの日言ったことは嘘じゃない!!初めて会った時から、君を守って俺が幸せにしてやりたいって思ったんだ!!」
愛してるんだ、八……
そう今にも泣きそうな…必死な表情で囁かれる。
少しでも彼の想いを疑ってしまったことへ後悔して、ごめんなさいと呟きながら相手の胸に飛び込んだ。
ぎゅっと強く抱きしめて、わかってる…愛してくれてるってちゃんとわかってるよ……そう落ち着かせるように身体で表現する。
トントン……と背中を軽く叩いて慰める仕草をすれば、彼がそれに答えて、情けなくて本当にすまない…と切なげに笑った。
「本気なんだ……八が好きだ。だから疑われるのは……何よりも辛い」
「うん、ごめんね…ジュンイチさん」
「…俺はいつからこんなに情けなくなったかな」
「……情けなくていい。それだけ私のこと好きだってことでしょ?」
それならいくらでも情けなくなっていいよ……
そう最後に呟いた瞬間、一度抱きしめていた身体を離されて、軽々と横抱きで持ち上げられる。
ゆっくりと下ろされたのは真っ白な布団の上で、ああ…もっと愛してくれるんだと、心の中で安心した。
「八は強くなったな…出会った頃は俺が慰めてたはずだが……」
「フフッ…最近は逆になったね」
優しく微笑みながら、愛でるように唇を奪われる。
この時に香るジュンイチさんの匂いが、何よりも一番好きな匂いだった。
安心出来て、全てを委ねられると思える。
心から、愛しいと思えるような匂いだった。
「八……今日も良いかい?」
「……。」
枕元に置いてあった鞄から取り出されたカメラに、一瞬だけ眉尻を下げる。
けれどすぐに首を縦へ振って、早く愛してくれと両腕を伸ばした。
「本当に…信頼してくれてありがとう」
「うん……」
「愛してるよ」
「…うん」
身請けしてもらえるまでの8年間、私たちは愛し合っているにもかかわらず、夜の時間以外は離ればなれになる。
13歳から成長していく私を見て、ジュンイチさんは寂し気にこう呟いていた。
花街の規則のせいで、八の子どもの頃の姿は撮影出来ず、思い出に残せないんだと……
それを聞いた私は胸をぎゅっと締め付けられて、内緒にするから撮ってもいいと安易に答えていた。
私が団子を食べて喜んでいる姿。プロポーズをされて、泣いて喜んでる姿。
無邪気に笑っている姿に、少し拗ねて怒っている姿に、それから……
「……綺麗だよ、八。すごく綺麗だ」
愛し合っている姿も残しておきたいと言われた時、抵抗がなかったわけじゃない。
ただ…離れている間も、この記録たちがあるから支えになる、頑張れる、寂しさも我慢出来る…そう言われてしまえば、何も拒否する言葉が出てこなかった。
「八……一生傍にいてくれ」
「ッ…うん」
「身請け出来たら、この動画は消すからな。約束だ……安心してくれ」
「うん…ッ」
「一生幸せにする。あと少しで、自由にしてあげられるから!だから!」
顏は隠さないでくれ。
そう言われた一言で、顔から両腕をゆっくりと離す。
目から零れ落ちたのは、自分でもどういう感情からくるものなのかわからない、一筋の涙だった。
「あと…3年、ッ……あと3年だよ、ね…?」
身請けしてもらえる日を待ちわびて、早く時が過ぎてくれと心の底から強く願う。
「ああ、あと少しだ。八……あと少し」
彼自身も、私と同じようにその時を待ち望んでいるように見えた。
早く私と一緒になりたいと、心から強く望んでいるように見えた。
「好き……すき、ジュンイチさ……」
「ああ…俺もだ。八、愛してるよ」
けれど何故か、昔は見えていたはずの彼と私を繋ぐ金色の糸は、霞んで見え辛くなっていた。
小指と小指を繋いでくれていたはずのキラキラした糸は、どこか薄汚れてボロボロになっているように見えた。
「手…!手を……!つないで!!」
今にも切れそうになっている糸を繋ぎとめるために、ぎゅっと彼の手を強く握り締める。
この時の私は、こんなことをしても無駄だとは気付かず、ひたすら糸が切れないように必死になっていた。
「早くッ…はや、く……迎えに、来てッ!」
あの時助けてくれた彼のことを、あの時から愛してくれた彼の想いを……信じて信じて、疑いもせず待ち続けた。
「ジュンイチさ、んと…一緒に、ッ……自由に…なり、たい」
幼い頃、暗闇で見えていた金色の糸が……
「ああ、約束する。あと少しで……自由だ」
簡単に切れやすい、蜘蛛の糸で出来てるとは知らずに……