「あー、お前かー。お前最後かー」
私の前で屈んだ警察官が、真っ黒の穴をこちらに向けて淡々と呟く。
あ……と小さく声を発して頭が一気に真っ白になった。
自分の終わりを覚悟した瞬間……
「う゛……ッ」
……満面の笑みで、頭を乱暴に撫でられ髪を乱される。
ビクッと反応を示した身体が、再び震えてガタガタと歯を鳴らし始めた。
「でもお前一番に出てきたからなー。俺見てやってたよ?並んでねェけど今回は許してやろーな!俺警察官だからなー、今日の担当優しい俺で良かったなー?お前ー」
首を傾げながら言われた内容に、必死で頷いて笑って見せる。
優しい。優しい。と、気分で殺されなかったことに媚びへつらいお礼を言う。
1人で立てなくなっている私を見かねた運転手が、後ろから腕を引っ張り何とか立てるように支えてくれた。
機械的にされたその動作でさえもありがたいと思い、口から感謝を述べ続ける。
無我夢中で両足に力を入れて、自力で立とうとした刹那……地面に自分と運転手以外の影が見えた。
前から現れた黒い人影に、もう一度ビクッと身体を震わせて顔を上げる。
今までいなかった細身の男が私の顔を凝視していて、次に身体を上から下まで眺めた後言い放った。
「怪我は治る程度だな。大したことない。値は下がらず引き取れるだろうが、元の顔つきが怪我でわかりにくい」
「怪我する前に見ましたがね。この子は目鼻立ち整ってましたよ」
「なら良だ。身体は大して育ってない」
「これから育つでしょうよ。まだ8歳ですぜ?」
「怪我で立てなくなるようじゃ駄目だ。病弱な可能性も否めない。優にはしない。良だ」
「へーへー」
運転手にぐいっと左腕を引っ張られて、バランスを崩しながらも何とか後をついていく。
連れていかれたのは2本ある赤い柱の真ん中。ここで立って待っていろと言われ、震える両足に必死で鞭を打って立つ。
後ろを振り返れば、私とは違って最初から一列に並べていた女の子たちが少し離れた場所に見える。
私と同じく、あの男の人が1人ずつ女の子の顏と身体を凝視して、それぞれに謎の言葉を口にしていた。
「優だ。かなり血色が良い。健康状態を考えても整えずにすぐ使えそうだ」
「お!でかしたべっぴん!」
「次……可だな。発育は良いが顔の骨格が少々悪い。将来性を見越すと店側が買い取りに渋るだろう」
「へーへー」
「おいお前ら、ちんたらやってんじゃねェよ。どうでも良い説明抜きでさっさと結果だけ出してけ。うっとうしい……」
殺すぞ。
そう一言警察官が呟いた瞬間、またその場にいた全員が顔を蒼褪める。
運転手や査定という行為をしていた男の人ですら顔色を変えて、早口に謎の言葉だけを呟き始めた。
良、優、可、良、可、可、良……とひたすら同じような単語が続いた直後、これまで聞いたことのない単語が初めて発せられる。
「……不可だ」
冷たく響いた査定の人の声を聞いて、理由もわからず背筋が凍り付く。
『不可』と告げられた女の子を確認するため、強張る身体を無理やり動かして立つ位置を半歩ずらす。
査定の人と被って見え辛かった位置から、女の子が見える位置へと移動した途端……不思議と『不可』の意味を理解した。
「ふ、ふか……?」
「ま、しゃあねーわなー。こっちおいで嬢ちゃん」
意味も分からず言われた言葉を繰り返す女の子。
その女の子の腕を運転手が掴んで連れて行く。
行く先は、『良』と言われた私や、『優』『可』と言われた女の子たちとは全然違う方向だった。
『優』と告げられた女の子は赤い柱の左側へ。『良』と告げられた私は真ん中に。『可』と告げられた女の子は赤い柱の右側へ。
そして『不可』と告げられた彼女は……
「ッ……なんで……」
乗って来た大型車の中へと、連れ戻されていた。
女の子たちの方から微かに聞こえた、なんで?という声。
誰が発したのかはわからないが、おそらくその声を発した女の子は『不可』の子を見て思ったんだろう。
どうして彼女だけが車に戻り、安全だった施設へ帰れるのだろうかと。
どうして自分たちとは違い、特別扱いされているのかと。
けれど私が感じたものは、その女の子たちとは真逆のものだった。
そうか……
あれが……そうだったのか……
「……乳母、だ」
小さく発した私の声が、吐いた息と共に白いモヤモヤになって消えていく。
寒さと恐怖でガタガタと震えている歯が、また更に違う意味でも震えだして止まらなくなった。
「そ…か……そっ、か……」
『不可』と、査定の男に告げられたあの女の子にはお腹に大きな痣があった。
生まれつきなのかはわからないが、人肌に見えないその色は、ひどく見覚えがあって馴染みまであった。
「ハッ……そっ…か……ハハハ」
私たち赤ん坊に乳を飲ませていた彼女たちは、みな一様に痣や障害があった。
片眼が潰れていたり、指が無かったり、声が出ない人までいた。
『私は……ああはならないよ……』
居なくなった乳母に思ったあの時の感情が、ふつふつと狂ったように蘇ってくる。
気が触れたように笑いだして、またそれと共に目から溢れ出してくるものも止まらなかった。
「ほら…ほら……私ッは……ああは、ならないッ」
空しく響いた負け惜しみが、恐怖となって私の元へと返ってくる。
『不可』と告げられた彼女の行く先が明確に見えてしまった今……『良』と告げられた私の行く先は、どうなってしまうのだろう。
あの子よりも、乳母よりもひどい未来が待っているのだろうか。
どんなに足掻いても苦しみしかない、辛い死だけが……私を、待っているのだろうか。
「そん、なの……いや、だ……」
「はい、じゃあ君から記録つけるからねー」
査定をしていた男とはまた別の男の人が現れて、後ろを向いていた私の背中側から声をかけてくる。
驚いて振り返ろうとしたのと同時に、自分の首元からピッという機械音が聞こえてきた。
不気味なその感覚に鳥肌が立ち、音が聞こえた首元を抑えて相手を警戒する。
赤い光を放つ小型の機械のようなものを左手に持ち、右手で紙に文字を書きながら男が呟いた。
「君の戸籍登録時の氏名はー……あー、何だこれなんて読むんだっけこの漢字……あーちょっと、…振り仮名どこ?……つぼみ?ああ、蕾か」
「え……?」
機械を覗き込みながら言われた内容に、ひたすら動揺が隠せなくなる。
何のことを言っているのだと必死に理解しようとした時には、もう次の話へと進められていた。
「査定結果は良ね。蕾ちゃんは今日から『873157番』が名前だよ。わかった?覚えた?」
「は、ち……?」
「今日から蕾って名前は使えないからね。君は『873157番』!はい、復唱!」
「ッ……はい…ッ」
謎の番号を付けられても素直に受け入れて、自分の名前は『873157番』だとはっきり笑顔で復唱する。
その直後に襲ってきたのは、とてつもない喪失感で……大切なものは涙と共に流れて地面へと落ちていった。
初めて知らされた『蕾』という自分の名は、大切なものだと認識する前に……私から零れ落ちて逝ってしまった。
『現実知るまで、精々夢見て笑っとけや』
またあの乳母の声が微かに聞こえて、地獄の始まりを耳元で宣言される。
あの頃みたいに、『私がゴミみたいに捨てられるわけない』とは……はっきりと言い返せなかった。