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No.35 第14話『裏切り』-2



「今から作戦を説明します。何度も実験を繰り返したので、安全は保障します。上手くいく可能性はおそらく95%ほどです」


昨夜よりも落ち着いた様子の彼女が、私の話を聞きながら髪を結い直す。

これから行う脱出で邪魔にならないようにだろう。

高い位置で1つまとめにされた髪が、覚悟を表すように大きく揺れ動いていた。


「実験を繰り返した…?」

「はい、全部で15回。その実験全部が無事に花街の外へと運ばれていました」


持ってきた地図を広げて、まずは花街の位置を指差す。

そこからそう離れていない位置、花街の外で寺のマークが記されている場所に指を移動させる。


「投げ込み寺…はご存じですか?」

「…知ってるよ。死んだ遊女を供養して墓に入れる所だろ」

「はい…でもそれは全ての遊女がそうしてもらえるわけではありません」

「……そう。別にもう驚かないよ」


私の言いたいことを察したのか、無表情で続きを促そうとする。

眉尻を下げて彼女の様子を覗いつつ、この事についての説明はこれで十分だと判断して、次に移った。


「投げ込み寺の横にあるこの空白の土地は、寺で供養されない遺体を処分する場所……ゴミ収集作業員が回収に来る場所に当たります」

「……。」

「寺で供養される遺体は少ないため回収業者が遊郭へ来るのは週に1回です。そしてその曜日は今日ではありません。寺で供養されない遺体は…」

「はっきり言えばいい。中流階級の遺体は寺で丁寧に扱われて、下流階級の遺体はゴミだ。ゴミ捨て場に運ばれるんだろ。この花街にいるほとんどが下流階級の遊女だ。週に1回でなんか済まない。毎日毎日、ゴミのように回収されて捨てられてるんだろ」

「……。」


彼女の言った内容を耳にして、ゴミのように捨てられていた遊女たちの姿がフラッシュバックする。

錆びた小さいドラム缶のような桶の中に、歳の若い、20歳前後の遊女たちがたくさん死んでいる光景。


寺の横に位置する空地に、所狭しと並べられている52個の桶が、目を瞑れば今でも鮮明に蘇ってくる。

自分が遊郭で仕掛けた実験結果を確認するため、1つ1つ桶を開けて確認した時の…あの感覚が忘れられない。


「…泣きたいのはこっちだろ。ふざけてんの?」

「……ごめんなさい」


瘦せ細り病で死んでしまったであろう遊女や、仕事中に死んでしまったのか裸のままの遊女までいた。

折檻中に拷問されて死んだであろう遊女は、両目をくり抜かれて空洞になり、真っ暗な目がこちらを向いて下流階級の悲惨さを物語っていた。


一刻も早くこの現状を無くしたい。

ここに並べられる桶が1つたりともないように、この先の未来で彼女たちが誰1人死ぬことのないように。

そう思って、歯を食いしばって実験結果を確認し続けてきた。


その努力が、今日やっと…報われる。

私の夢の第1歩……花街に縛られている遊女を開放して、外の世界で幸せにすることが出来る。


「遊郭の1階に、遺体が入った桶が並ぶ場所…安置所があります」

「…!」

「そこへ桶を1つ増やして置いたところで、一度も気づかれることはありませんでした。桶の中には重しと、割れやすい物や壊れやすい物を入れて実験を繰り返し、その結果、15回とも無事に破損せずゴミ収集場所へと辿り着いていました」

「…寺の方には」

「残念ながら、寺に着いた途端住職が供養のために中へと誘導していたので、私が確認することは出来ませんでした。つまり…」


遺体のフリをして桶へ入り、下流階級の遺体回収時に外へと持ち出してもらう。これが私の作戦です。


そう私が説明を終えたのとほぼ同時に、彼女が大声で笑いだす。

あっはっは!と膝を叩いて笑う姿に、一瞬動揺して身動いだが、ぐっと腹に力を込めて背筋を正した。


「な、何か変ですか…?この作戦」

「桶の中を見られたらどうする」

「今まで中を確認されたことはありません。その証拠に…無事に見つからずゴミ収集場所へと辿り着いていましたし、万が一中を見られたときは死んだフリが出来るように、血のりも何個か用意しています」

「上手くいく可能性が95%っていうのは?残りの5%は何?」

「桶へ入るまでの間、人に目撃されたら…の5%ですが、それも人通りが全くない時間を何度も調査済みなので大丈夫かと」

「ふ~ん。でもまだ不安だねー。生きた人間が入ったことないんだもん、その桶」


ごもっとも、と納得して腕を組み、考えを巡らす。

中に入れたものが割れていたり壊れていなかったとはいえ、乱暴に扱われないという保証はない。


運ばれる時間が短時間とはいえ、狭い中の閉鎖空間で起こる出来事だ。

不安で声を出さずに居られるかと言われれば、人によっては出来ないかもしれない。


彼女がこの作戦を渋っているのだから駄目だ。練り直そう。

そう思い、広げていた地図を畳んで直して、胸元へ入れようとした時だった。


「……やがって」

「え…?すみません、聞こえなくて…もう一度」

「……あー!思いついた!私が100%安全に逃げられる作戦!」


右手に持っていた地図を奪い取られて、ぽかーんと口を開ける。

何か思いついた作戦を地図で説明してくれるのかと思いきや、左手を真っすぐ伸ばされて、血のりは?と尋ねられた。


ありますよ、と持ってきていた鞄から血のりが入った球体を取り出して見せる。

これはどうやって使うの?と聞かれた質問には素直に答えて、少しの衝撃で膜が破れて血のりが出ます、と慎重に手渡した。


ふ~ん、と血のりを観察していた彼女が、急に表情を変えてこちらを見る。

笑顔で話し合いをしていたはずが、次の瞬間…


「……え?」


殺意のこもった目へと変わり、私の顔に赤い球が投げつけられた。

私の頭へぶつかった時に弾け飛んだ血のりが、つーっと米神から顎へと伝って流れ落ちる。


「ほんとだぁー!血のり出た!」


そう楽しそうに微笑まれた刹那、吸っていた息が無意識に止まる。

弧を描く彼女の両目が一層細くなった時、背筋が一気に凍り付いて動けなくなった。

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