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No.32 第13話『懺悔』-2



彼女に正体を明かしてから、私は3日に一度遊郭へ訪れては彼女を指名するようになった。

一度で全てを信用してもらえるとは思っていなかったから、これも計算の内だ。


私の正体を他の者へ報告していないだけでも御の字。

あれから数週間経つけど、話を聞こうとしてくれているだけで私からしてみれば感謝しかなかった。


「……こんばんは」

「またあんたか」

「はい、今日も情報交換をお願いします」

「……。」


いつもの通り、薄暗い部屋で布団に正座をしながら頭を下げる。

はあっと溜息が聞こえて顔を上げれば、何とも言えないような複雑な表情でこちらを見つめていた。


「あの話はずっと断ってんだろ」

「はい…ですから情報交換を」

「何回も言ってんだろ?花街で働く下流階級の現状を教えて、私に何の得があんだよ」

「あなたや遊女たちが花街から出て、自由になれます」

「またそれか。信じられない」

「でも…他の者に言わないで下さってますよね?」


ぐっと押し黙るように彼女が口を閉じた後、観念したように私の目の前へ座る。

私を信じたいという気持ちが、彼女をそうさせているのは明らかだ。


だからこそ、彼女が通報しない限り、私だって諦めない。

彼女を救うことを、自由にすることを…最後まで諦めたりなんてしない。


「あなたに信用していただけるまで、私は通い続けます。それに、下流階級の現状を知って、出来るだけ多くの人を救いたいんです」

「は?救う?」

「ああいや…出来るだけ多くの人をうちの会社で雇いたいんです」

「……。」

「あ、あの…それでですね。もうそろそろと言ってはなんですが…」


あなたのお名前を教えてもらえませんか?


恐る恐る俯きながら上目遣いで問いかける。

私の顔を見た彼女は、呆れたように溜息をついてから眉を寄せて呟いた。


「名前なんてないよ」

「え…?」

「正式には番号しかない。下流階級の遊女は花街の門をくぐった瞬間に番号を振り分けられる」

「え、あ…え?でも、戸籍登録の時につけた名前は?」

「花魁くらいだよ。名乗りを許されるのは。…まあ中流階級の身分の奴は端から名乗れるし、下流階級の女が花魁になるなんて聞いたこともないけどね」


つまり、下流階級の遊女に名前がある奴なんていないんだよ。


そう切なそうに呟かれた事実に愕然として、何も言葉が返せず黙り込む。

そんな私を見かねた彼女が、何でもないことのように微笑んだ。


「っていうかあんた、私のこと指名する時に頭番号1桁と部屋を伝えたろ?」

「な、名前の略称とか綽名か何かだと思ってました…」

「馬鹿だねー」

「か、返す言葉もございません…」

「……貴重な情報教えてやったんだ。今度は私が質問するよ」

「…!!」


初めて返ってきた明るい前向きな声に、バッと顔を上げて目を輝かせる。

こんな風にこちらへ興味を示してくれたのは、初めて正体を明かしたあの日以来だ。


ううん、あの時なんかよりも全然警戒心が薄くなって、前向きに検討しようとしてくれている。

こんなチャンスを逃したくない。誠心誠意、嘘偽りなく答えて信用を得たい。


「何でも!何でも聞いてください!!全部答えます!!」

「そう?じゃあねー……」


……何で、1番最初に正体を明かしたのが私だったの?


自分のことを指差しながら、首を傾げて問われた質問にヒュッと息を呑む。

その時の彼女の目が、内容に因っては今日でお別れだと明確に示していた。


本当に、全てを話してしまっていいのだろうか…

ここで彼女の望む答えじゃなければ、私は警察に突き出される。


でも、それでも……これから彼女をここから逃がして人生を変えようとしているのだから、どんな理由でも、ここは誠実に答えるべきだ。


「あ、あなたの噂を、遊郭の建物内で……遊女たちが話しているのを耳にしました」

「……へえ。どんな?」

「八が……1人のお客さんと恋仲で、愛し合っているのだと…」

「……。」


彼女からの返答がなく、俯けていた顔をそろりと上げる。

どんな表情をしているのか確かめるために視線を向けたはずが、今度は彼女が顔を俯けたことで確認出来なかった。


「……それで?」

「ここから、誰よりも真っ先に出たいのは…あなただと思いました。ここから出て恋人と一緒になりたいのではないかと…」

「ふうん…」


あまり、触れてほしい内容ではなかったのかもしれない。

でも嘘をついて理由を述べたところで、きっと信用は得られずこの計画はここで終わりになってしまうと思った。


それならば、ここで誠実に本当のことを伝える方が良い。

彼女のためを想うなら、真正面からぶつかるべきだ。


そんな風に思っていたこの時の私を、心からぶん殴ってやりたい。

真実を突き付けることがこの人を守ることになるのだと疑って止まなかった…この時の私を、心から、消してやりたい。


「それで、その…私の、花街から遊女を逃がすという提案に、1番に乗って下さるのはあなただと思ったんです」

「…まあそうだね。その判断は間違ってないと思うよ」

「ッ…!じゃあ!!」

「でもざんねーん。私はもうあの人に約束してもらってるんだよね」


身請けして、ここから出してもらえる約束してんの!


そう嬉しそうに笑う彼女の言葉に、絶対あり得ないような約束に、一瞬で血の気が引いた。

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