8歳を転機にゴミ処理現場から花街へ仕事場が移る、下流階級の女の子たち。
男性に身体を売る仕事。それだけでも堪え難く辛いことなのに、遊女になった女性たちの9割以上は、一生花街の外へは出られない。
生物学上、同じ女のはずがこうも扱いが違うなんて…
私が下流階級に生まれていたら、こんな理不尽なことに堪えられたんだろうか。
そう思ったら、現状を知ってしまったら……動かずにはいられなかった。
第13話『懺悔』
「私は女です」
男性用の袴を身に纏い、正座をしながら目の前にいる遊女へ言い放つ。
明かりが僅かに灯る暗い部屋。真っ白な布団の上で自分の着物に手をかけていた遊女が、驚いたように目を見開いていた。
「……は?」
「声が出ない病気だと示したことも、女だとバレないようにするための嘘です。今まで会話も成り立たず、すみませんでした」
「あ、あり得ない…でしょう。だって…身分証明は」
「この花街内の楼主の息子だと証明した手形も偽物です。私はこの花街の人間ではありません」
「何、言って…」
鎖骨が露わになっている遊女へ手を伸ばして、襟の部分に触れる。
綺麗に整えてあげたいという気持ちで触れはしたが、ここへ潜入するために男性用袴の着付けしか勉強しなかった所為でやり方がわからない。
鎖骨を隠すように寄せ合わせるしか出来なくて四苦八苦する。
そんな様子を見て眉間に皺を寄せた遊女が、怪訝そうに私の手を振り払った。
「何が目的なの?……内容に因っては妓夫に突き出すから」
「よかった…話を聞いて下さって助かります」
「……。」
正体を明かした瞬間に通報される可能性もあるとは思っていたから、一先ず話を聞いてくれる人で助かったとほっとする。
その私の様子にも違和感があったのか、彼女が不信感を募らせた様子で部屋の出入り口付近に移動し始めた。
障子扉の前に立ち、いつでも外へ助けを呼べるような形で彼女が口を開く。
「…あんた、本当に状況わかってんの?」
「え…?」
「よっぽど私にとって都合の良い内容じゃないと、あんたは通報されて捕まるんだよ?」
「あー、それはちょっと困るので内密に」
「私に良いことなかったら、あんたの肩持つ理由なんてない。犯罪に巻き込まれるのなんてごめんだね」
さあ納得のいくように説明しろと、鋭い視線で睨みつけられる。
あまり気の長いタイプではないみたいだ。冷静ではあるけど、今すぐにでも障子扉を開けて飛び出していきそうな姿勢だった。
ハラハラするような状況だと、私も落ち着いて話が出来ない。
だから端的に、彼女の利点がわかりやすいように、言葉を選んで放った。
「あなたを含め、下流階級の遊女たちを…花街から全員逃がします」
私の宣言を聞いた彼女が、目を見開きあんぐりと口を開けた状態で固まる。
もしもーし、と顔の前で手を振って正気に戻るよう促していたら、突然強い力で手首を引っ掴まれた。
「馬鹿にしてんの?」
「え…」
「そんなこと出来るわけない。そんなわかりやすい嘘ついて騙せるとでも思ってんの?」
「嘘じゃないです。本気です」
「信じられない」
「んー…まあ今の段階で信じろって言う方が無理な話ですよね。だから…」
一度話だけでも、聞いてもらえませんか?
そう真剣な眼差しで尋ねながら、布団の上を指差す。
立ち話ではなく、腰を下ろして落ち着いて話を聞いてほしい。
そんな意味を込めて促した言葉にも、彼女は首を横に振って拒否を示してきた。
用心深い。そりゃ自分の命が懸かってるんだもん当たり前か。
罪を犯す侵入者を受け入れてしまったら、遊女ももちろん同罪。
下流階級という身分を考えれば拘束死刑だってあり得てしまう状況だ。
彼女たちが日頃からいかに危険な生活を強いられているのかがわかる。
下流階級ではない私の身分からは到底想像もつかないような残酷な環境で生きてきたんだろう。
彼女の生存本能。私への警戒心が、それを物語っている。
「どうすれば信じてもらえるんでしょう…。もし良ろしければ、そちらから提案してもらえませんか?」
「…何を」
「どうすれば私の言うことを信用出来るのか、教えていただきたいんです。もちろん複数条件を上げていただいても構いません。私は出来る限りお応えします」
「……。」
ゴクリとわかりやすく生唾を飲んだ後、恐る恐るといった様子で口を開く。
決して遊郭内の警備たちへ聞こえないように、ボソボソと小さく小さく声を発した。
「下流階級の遊女を逃がす目的は何?」
「あなた方を解放したいからです」
「ッ!!…また馬鹿にして!」
「決して馬鹿にしているつもりはありません。あなた方が自由に生きられる環境を作りたいんです。それは私の夢の1つでもあります」
「だからッ…それをやってあんたに何の得があんだよ!」
得、ですか……
改めて尋ねられた質問には正直頭を悩ませた。
得と言われれば思いつくことは無かったし、得が無ければ人は動かないという概念もない。
けど何故か、目の前にいる彼女は得が無ければそんなことをするわけがないと断言する。
おそらくこれが育った環境の違いなんだろう。
常に裏があり利が無ければ人は動かない。そう思い込んでしまっている彼女に響く言葉はなんだろうか。
正直に、私に得はないと答えたところで納得がいくわけもない。
それなら、ここはあえて理由を作るべきか。
「私の立ち上げようとしている事業のお手伝いをしていただきたいのです」
「じ、ぎょう…?手伝い?」
「はい、つまり…花街から出て私の会社で働きませんか?というお誘いです」
両肩を上げて緊張していた遊女が、ほんの少し力を抜いて肩を落とす。
私が遊女たちを逃がす利点がほんの少し見えてきただけで、随分と前のめりになり安心し始めた。
「わざわざ遊女に仕事をさせるってことは……つまり、ここと変わらない仕事なんだろ?」
「いいえ、全然違います。身体を売るようなことなど一切ありません。ましてやあなた方が嫌がるようなことは絶対にしないとお約束します」
「ッ…」
「仕事内容は多岐に渡りますし一言で表現はし辛く、また企業秘密でもあるので、正式にお話が出来る段階は…」
「花街を脱け出せてから…ってことか」
小さく首を縦に振って、相手の目を真剣に見つめる。
ぐっと強い眼差しで意志を示せば、グラグラと揺らぐ気持ちを表すかのように彼女の手が口元を隠した。
「もうこの時点でお気づきかと思いますが、この花街から脱け出して私の会社で働く以上、身分は…」
「…下流階級じゃなくなる、って…こと?でも、そんな法律なんて…」
「現状そんな法律はありません。しかし私の夢が叶えばゆくゆくは階級変更が出来る世界になります。それまでは…」
遊郭内に侵入する際身分を示した通行手形。男性に偽造したそれを手にして前へ突き出す。
彼女へ見えるように示した身分証明書を一度胸に仕舞い、今度は花街の門をくぐる際使った一般客用の女性通行手形を示した。
「…あんたにかかれば、花街を出た後も身分偽装は可能ってことか」
「その通りです!ね…?悪い話ではないでしょう?」
「…仕事内容が明確にわからないのに判断なんてつかない。生活出来る保障だって…ないかもしれないし」
「そうですね。でもこれを聞けば大体予測がつくのでは?」
あなたがこれからする仕事は、中流階級の上層部が担う内容で、給料もそれに相当します。
そう放った私の一言で、遊女が再度目を見開く。
これが本当の話なら、こんなチャンスは一生に一度もないと思っているんだろう。
歓喜と困惑と緊張で震える身体が、まだまだこの話を詳しく聞かせてほしいと物語っている。
その姿を目にして、今この時が私の真意を話すタイミングだと感じた。
本当に、心からやりたいと思っていたこと。
ずっとずっとやりたいと思って、叶えたかった夢の1つ。
「…あなたが、この花街から出て幸せになる、1人目の遊女です」