「たち…ばな、さ……ゲホッ」
川の流れが急に早くなっている所。
そこに倒れている小さな木に、シオンの背負っていたリュックが引っかかっている。
おそらくそのお陰で流されずに済んだんだろうが、呼吸がし辛かったのか、俺と目が合った瞬間気を失うように力尽きていた。
急いでシオンの身体を抱えて、引っかかっていたリュックを外す。
川から上がってすぐシオンの顔に耳を近づけ、息をしているかの確認を行った。
呼吸は…正常。川に落ちて怪我をした箇所はたぶんなさそうだ。
ほっとして力尽きただけのようで、一旦は安心する。
水飛沫で苦しみながらも、必死に俺へ知らせるために笛を吹き続けていたんだろう。
半開きになっている濡れた唇を見て、よく頑張ったな…と眉尻を下げながら呟く。
お陰で2人とも、無事に合流して川を乗り越えられた。
シオンの体温が低いことは気にかかるが、一先ずここまで来れば警備の奴らも簡単には追って来ないだろう。
ゆっくりとシオンの身体を背負い、そのまま真っ直ぐ裏門の鳥居へと歩き出した。
近くまで来て気付いたのは、鳥居の奥にある洞窟の空間が狭く短かったこと。
まるで洞窟自体が鳥居のような役割をしているようで不思議な感覚だった。
腰を少し屈めて通り抜け、洞窟の先へ抜けたのと同時に、後ろからシオンが小さく声を発する。
うぅ…と唸りながら目を覚ましたシオンへ、大丈夫か?と軽く振り向けば、とんでもなく目を輝かせた状態で前方を見ながら叫びだした。
「な、なんですかここ!すっごく綺麗……ッ!え、あ…天国?!」
「生きてるっつーの…縁起でもねェこと言うな」
目の前に広がる景色に思わず感動して言葉を零す。
そんなシオンへ突っ込んだものの、確かにそう表現しても仕方がないと思えるような光景が広がっていた。
あの鳥居が裏門で外に繋がっていたわけじゃない。
おそらくここが…
「神社の拝殿…?が残ってたってことですか」
「たぶんな。……あれは裏門じゃなかったんだろ」
「じゃあ遊郭の入り口にある鳥居は大鳥居…。よっぽど大きな神社だったんですねここは……」
綺麗な満月を背景に佇む、神秘的な古い拝殿。
その奥には、本当の裏門だったであろう鳥居も見える。
外へ出る道も見当がついて、更にほっと胸を撫で下ろした。
何から何まで、本当に助けてもらった気になる。
参拝の方法なんて詳しくはわからなかったが、せめて感謝だけでも伝えようとシオンを下ろして手を合わせた。
「助けて下さって、ありがとうございました」
俺が心の中で唱えたことを、隣でシオンが火傷した手を軽く合わせて呟く。
その次に言われた内容には、思わず吹き出して赤面してしまった。
「……橘さんと出会わせて下さって、本当に…ありがとうございました」
胸ポケットに入れているお守りを渡された時、ここにあった神社がどんな神様だったのか教えられたことを思い出す。
ふと浮かんでしまった可能性を振り払うように、シオンを置いて裏門の方へと足を踏み出した。
急に距離をとって歩き出した俺を不思議に思ったシオンが、どうしたのかと尋ねながら追いかけてくる。
まだ体力が戻っていないのか、フラついて足を縺れさせていて危なっかしい。
はあっと溜息をついた後、仕方がないと諦めて立ち止まり、目の前で屈み込んで背中へ乗るよう促した。
ここから病院まで背負って行った方が良さそうだと判断した俺とは違い、シオンは気を遣っているのか大丈夫だと軽く断ってくる。
俺の方が疲れているだろうと、眉尻を下げながら呟く。
その顔を見た瞬間、何故かはわからないが、俺へ歩み寄ろうとしていたシオンを邪険に扱い、親切を断り続けた昨日のことを思い出した。
「……何でこんなに助けてくれんのかって…得体が知れなくて怖い?」
「…え?」
もしかしたらシオンも、急に手の平を返して協力してきた俺を、危険が去った冷静な今になって警戒しているのかもしれない。
シオンに限ってそんなわけがないと何となくわかってはいるのに、ふとそんな考えがよぎる。
気遣って遠慮しているだけだとわかってはいても、差し伸べた手を断られるのは、こんなにも虚しく、寂しくなるものなのか…
「……ごめん。昨日のこと…悪かったと思ってる」
「え、橘さん急にどうしたんですか?」
「…俺のことが信用出来なくて乗らねェんだろ?」
「えッ…ど、ええ?!」
い、意味わかんないですけどじゃあ全力で乗りますッ!!
そう叫びながら背中に飛び乗って来たのを感じて、クッ…と思わず笑いが漏れる。
それを目ざとく見ていたシオンが、あ…なんか騙されました?私、と口をへの字にして呟いていた。
「悪かったと思ってんのは本当」
「凹んでるように見えたのは?」
「変に気遣い始めて気持ち悪かったから、それ止めさせるための口実」
「言い方…」
ぶらぶらと両足を揺らして仕返しで負荷をかけてくるシオンへ、大人しくしてろと小さく諭す。
言われる通りに大人しくなったシオンが、俺の背に頭を預けて軽く擦りながら囁いた。
「これだけ危ないとこ助けてもらって、信用しないわけないじゃないですか…」
「警戒心ねェな、ほんと」
「橘さんこそ、どうしてこんな危険な目にあってまで助けてくれたんです?それこそ警戒心ねェな、ですよ」
「……。」
理由を一言で説明するのは難しかった。
普通に考えれば、いつもの俺なら絶対にやらないはずの行動。
それでもこうやって助けてしまったのは、たぶん理屈なんかじゃない…
こいつを助けてやりたいっていう、反射的な想いだった。
「勉強教わる代わりに?タダ風呂入れんだろ?」
「え…?」
「お前死んだら無くなんだろ…そのうまい話」
咄嗟に思いついたそれらしい言い訳の理由を述べて、さっさとこの場から去るため本当の裏門をくぐる。
胸ポケットに入れているお守りを頭の中で思い浮かべながら、神様に誓うようにシオンへ呟いた。
「お前の夢が叶うように…これから俺が、助けていく」