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No.27 第11話『折れんな』-3



1人、裸の女が……暗闇の中で天井から吊るされていた。


何の用途で備え付けられているのかわからない、天井にある大きなフック。そこから垂れ下がっている細いロープ。

繋がっている先が女の首だと理解した途端、一瞬で血の気が引いて、背負っていたシオンを離し駆け出していた。


「おい!しっかりしろッ!!」


女の身体を右腕で持ち上げて、近くにあった文机を足で引っ張り出し、素早くロープを外そうと試みる。

ただその時に感じた体温が、生きている人間のものではなかったことで大方察してしまう。


ああ、もう…こいつは…


「……手遅れ、です。橘さん」


女の手首に指を当てて、辛そうに呟いたシオンが俯く。

畳に散らばっている派手な着物を拾い上げ、言い辛そうに言葉を紡いだ。


「橘さん…時間がないのは承知の上でお願いします。下ろしてあげてください」


出来るだけ裸体を隠すように着物で前を覆い、俺へ向かって視線で促す。

躊躇うことなく数秒でロープを外して、畳の上へ死んだ女を横たわらせた。


着物で覆わなくてもわかる、暴行痕が残る悲惨な遺体。

傷だらけの手足に、原形を留めていない…殴られた顔面。


血だらけで腫れ上がった女の顔を、シオンが覗き込んだ刹那……

震える声で、泣き崩れながら呟いた。


「う゛ッ…私が…ッ、逃がそうと、した…人です」


涙を腕で拭い、ごめんなさいごめんなさいと何度も零す。

本当にこれは勘だったが…暴行痕の残る女の遺体を見た瞬間、そうではないかと脳裏を過ぎっていた。


さっきシオンが言っていた内容も含めて考えれば、おそらくここは遊女の折檻部屋なんだろう。

このタイミングで殺すほどの暴行を受ける理由なんて、逃亡くらいしか考えられない。


後悔で脱力するシオンの腕を引っ張り、ぐっと胸へと抱え込む。

気が動転しているシオンの後頭部へ手をやって、想いが通じるように力を込めた。


「…今はまだ折れんな」

「う゛…ぐッ」

「ここから生きて出られたら、何が起こったか全部聞いてやる。話聞いた上で、怒ってやるから…」


…だから今だけは、最後まで持ち堪えろ。


そう俺が発した言葉で、シオンが唇を噛み締めながら力強く立ち上がる。

唇の端から血を滲ませながら、もう一度腕で涙を乱暴に拭って呟いた。


「ありがとうございます……窓から脱出します」


火傷で痛む両手を必死に動かして、窓を開けようとする。

その行為も遮って、俺に任せろ指示をくれ、と目線で促した。


「すみません…では先にロープの準備をお願いしたいです。あの天井のフックを利用しましょう」


言われた内容で、これからしようとしていることを大体察する。

リュックからロープを取り出してフックに括り付け、反対側を俺の胴に巻き付けきつく縛った。


何の用途か不思議だった天井のフックは、ここが遊女の折檻部屋と仮定すると予想が出来る。

大方、何かをやらかした遊女を折檻する際、ここへ吊るして放置するためのものなんだろう。


今回のように首へ縛って吊るすなんて行為は、どう考えても常軌を逸している。やり過ぎな行為だ。

ここの奴らは本当に…人の命を何とも思っていない。絶対に報いを受けさせるべきだと心から思う。


「…?橘さんだけで、私は縛らない方が良いでしょうか」

「万が一俺に何かあったらお前だけでも飛び下りて自力で逃げれるように…とは思ったが」


何だよ、この断崖絶壁……


窓を開けて外の様子を確認すれば、高めの2階から1階の地面へ下りるわけではなかった。


想定していなかったレベルの崖に、少し先の下には深そうな川が見える。

その奥、反対岸に目を向けた途端、絶望的な感情が脳を支配した。


「おい…あれ……見えるか」

「ッ…え?!あれが裏門ですか…」


遠く離れた反対岸に小さく小さく鳥居が見える。

確かにその下には洞窟のような穴が存在するように見えたが、本当にあれが昔あった神社の裏門だとは到底思えない。


「何かの間違いだろ…」

「でもきっとあれしかないです。あれに賭けて行きましょう」


さすがにこれでは危険かと判断して、首を吊っていた女のロープを拝借する。

シオンを素早く背負い、俺ごと腹にロープを巻き付け縛り上げた。


フックに括っている方のロープを俺から切り離しても、俺とシオンは離れないように。

また俺に何かあってシオンだけを逃がしたい時は、今縛った細い方を切り離せばいい。


「谷さん達への合図はどうする」

「正直、私も崖になってるとは思わなかったので想定外なんですが……かなり危険な賭けですけど、南くん達の無事を最優先にしたいと思います」


騒音、予定通り鳴らしましょう。


そう決心したシオンが、リュックからライターと玩具のような見た目の物を取り出してほしいと指示してくる。

カラフルな飾りが連なっている得体の知れない何かを取り出し、どう使うんだと眉間に皺を寄せて視線で問うた。


「橘さんが窓から出るのと同時に火をつけて、部屋の中に投げ入れます」

「火……この紐んとこか」

「そうです。海外製のものでしょうね…私も実際に見たのは初めてですが、ネットで見かけたことがあるので間違いありません。玩具みたいですけど威力は保障します」

「……。」


徐々にわかってきた物の正体に、若干頬がヒクつく。

これから起こるであろう出来事を想像するだけで、また全てがギリギリの状態で逃げることになるんだろうなと予想がついた。


背中にいるシオンへリュックを背負わせて、ふうーと深く息を吐き出す。

スッと大きく新鮮な空気を吸い込んで、窓枠に足をかけて腹を括った。


「行くぞ」

「…はい、お願いします」

「……大体予想はつくが、何なんだこれ」


垂れ下がる短い紐にライターで着火し、すぐさま部屋の入り口付近へ投げ飛ばす。

ほぼそれと同時にロープを握って窓から飛び出し、外壁を飛び跳ねるように下降した。


「今は販売禁止にされている玩具なんですが…」


俺の首にしがみ付いているシオンが、耳元で小さく説明をする。

出てきた部屋の方を恐る恐る見上げながら、冷や汗を伝わせてシオンが呟いた。


「威力の強い爆竹です」


そう耳に響いてきた瞬間、上から信じられないような騒音が聞こえてくる。

威力の強い爆竹、なんてもんじゃない。

下手したら小型爆弾レベルの爆発音が連続で下にまで響いてきていた。


室内でこんな騒音を発していたら、どんな鈍感な奴でも遊郭内にいる人間なら気付く。

警備が集まってくる前に、早急に崖下まで下りないとまずい。

リュウマが用意してくれたロープが長めだったことだけが救いだった。


早く下りるべきだとわかってはいても、スパッと切られている右手の所為で上手く力が入り辛い。

ほとんど左手のみで2人分の体重を支えて下っていたが、崖の中腹辺りでタイムリミットが来る。


「おい!!いたぞ!!あいつら逃げてやがったッ!!」


ロープが繋がっている部屋の窓から、さっきの奴ら3人が顔を覗かせていた。

次にされることといえば考えられるのは2つ。


ロープに火をつけ燃やされるか、ロープをフックから外して落とされるか。

3人掛かりですぐに取り掛かれるならそりゃ…


「ロープ外して落とすぞ!!手伝えッ!!」


後者だよな。


「シオンッ!こんまま真下に落ちたら確実に死ぬ!!今からお前と俺が繋がってるロープを切り離す!!」

「どぅえッ?!どっちみち死にますよ何で?!」

「下見ろ!すぐ真下は地面でも、少し崖から離れれば川だろ!たぶん深い!あっちへ落ちれば一か八か助かる!!」


真下にある岩だらけの地面と、川の方を目視してシオンが確認する。

その間にポケットからナイフを取り出して、俺とシオンを繋ぐロープの切り離す準備に取り掛かった。


「俺が崖を思い切り蹴り上げたら川まで近づく!お前はタイミング合わせて更に俺のこと蹴って確実に川へ落ちろ!出来るか?!」

「わ、わかりました!やってみます!!」


ロープを切り離す直前、首にしっかりしがみ付くよう目で合図を送る。

俺の言った通りに試みようと緊張しているシオンを目に焼け付けてから……思い切り崖を蹴り飛ばす体勢に入った。


「行くぞッ!!思い切り蹴れ!!」

「はいッ!!………え、でも」


橘さんはどうするんですか?


そう直前に気付いたシオンがこちらに振り向いた瞬間、俺は何も言わず、口を閉じたまま口角を上げる。

渾身の力で崖を蹴り上げたお陰で、かなり川の近くまで到達していた。


「ッ…!!橘さッ…!!」

「行けッ!!!」


俺の声に反応したシオンが、大粒の涙を流しながら足に力を入れて離れていく。


落ちて行った先が無事に川の中で、それを最後に見届けた瞬間…


「ッ…!」


部屋のフックと繋がっていた俺のロープは、警備の奴らによって外されてしまった。

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