「……警備は何人か、上にいるかもですね。……臨機応変にいきましょう」
「りんきおうへん??」
「南くん達は今がチャンスかもです!警備が手薄であれば合図を待たずに行っちゃってください!さあ早くッ!橘さんはあっちです!」
真っ直ぐ左の方向を指差してシオンが叫ぶ。
指示を聞いた谷さんが瞬時に動いて、南を抱えたまま走り出した。
「わかった!無事でいろよ2人とも!」
「ケホッ、橘!帰って来いよ!絶対ッ」
背中を向けて走り出した俺の代わりに南達へ手を振って返事をしたシオンが、突き当たりの階段を上って2階へ、と耳元で指示を出す。
腰を抜かしている割には素早く的確に物を言う姿を見て、おいお前…と勘付いた疑問を口にした。
「もう自分で走れんだろ」
「何のことだかさっぱりですね……あ、そこ右です!」
「……。」
「ここからは警備と鉢合わせる可能性が高いので慎重に行きましょう」
下りるどころか腕に力を込めてしがみ付いてくるシオンに、呆れて溜息を吐く。
十中八九、普通にシオンが走るのと、俺が背負って走るのとでは速さが段違いなんだろう。
単独で走らせたらどれだけ遅いんだ…と頭痛がしてくる。
いつも一緒にいる藤を彷彿とさせて、んな場合じゃねェのに更にでかい溜息が漏れた。
「溜息つくと幸せが逃げるって言うんですよ?さあ吸って吸って!」
「……おい、ここさっきの」
「そうなんですよね。……私も嫌な予感はしてます。でもここの部屋に入りたいんですよ」
本来ならここが一番人の出入りが無くて、且つ遊郭内で一番裏門に近い位置だと思います。
そう説明をするシオンに向けて、他の部屋で出入りが少ない所はないのか…と小さく問う。
1階にまで響いてくるでかい物音がしたのは、おそらく今から入ろうとしているこの部屋だ。
人がいるのだとしたら、今入れば自殺行為に等しい。
「残念ながら、他の部屋で人がいない所はありません。ここだけ特殊なんです。絶対に人がいない…という表現は誤りですが、いたとしても私達を見てどうすることも出来ない、というのが正しいです」
「……さっき警備が上にいるかもしれないって言ったろ」
「その可能性だけは拭えないですが……ここに居続けても、見つかるリスクは避けられません」
一か八か、行きましょう。
そうシオンが腹を決めたのと、ほぼ同時だった。
目的の部屋から3人、妓夫と同じ服装をした奴らが出てくる。
慌てて太い柱に身を隠し息を潜めたはいいが、ここで警備の奴らが俺達のいる方向へ来れば終わりだ。
下へ行く階段は、俺達のいる方面に位置している。
奴らの次の目的が、1階の玄関警備なんだとしたら、確実にこっちへ向かって来る。
「あー、発散にはなったが…疲れは倍増だな」
「後始末どうすんだよ、これ」
「ほっとけほっとけ。前ん時は放置してたら誰かが片してたぜ」
祈るように強く目を閉じて、物音に耳を澄ませる。
会話の音量が徐々に大きくなってきて、近づいて来ていることを示していた。
「じゃあ面倒臭ェけど警備戻るかー」
心臓の音が、異常にでかく脈打って聞こえる。
来るな。来るな。頼む、来るな――
「……まだあいつも地下牢でお楽しみなんだろ?なら俺らも休憩しようぜ」
「賛成ー。どうせ何時間も拷問してんだろうしな」
「酒でも飲むか?」
「おっ!いいねー!」
近づいてきていた足音が、1人の提案を皮切りに反対方向へと遠ざかっていく。
1階へ下りることを止めたのか、同じ階で酒を飲むため別の部屋に向かうようだった。
物音が完全に無くなり、柱から少しだけ覗いて様子を見る。
いなくなったことを目視で確認した後、シオンと2人揃ってホッと息を吐き出し胸を撫で下ろした。
タイミングが良いというか悪いというか…なんとも悪運が強い。
たぶんそれは俺じゃなくてシオンの持って生まれたもんなんだろう。
下流階級の人間にゴミを投げつけて無事でいた事といい、あんなに火を使っても未だ命がある事といい、他にも何というか…全部ギリギリだ。
「橘さんっていつもギリギリですね」
「お前だろ。ふざけんな」
青筋を立てて、背負っている両腕に力を込める。
ぎぶ、ぎぶ…と耳元で呟くシオンを無視して辺りを見回し、再度誰もいないことを確認してから1歩足を踏み出した。
「ここに来てあの妓夫に助けられるとは思いもしませんでしたね」
「…いい気はしない。普段からああいう虐殺楽しんでたことが証明されたんだ。やっぱあの程度の報復だけじゃ報いになってねェだろ」
「…同感です。ここの人達は本当の意味で罰せられるべきだと思います」
「札1枚握って帰る警察官にか?」
「……ちゃんとしたまともな警察官に、です」
闇の深い問題に、シオンが眉間へ皺を寄せて苦し気に呟く。
この理不尽な世界をどうにか変えたくて、でも自分1人ではどうにも出来なくて、そんな歯痒さを表現するかのごとくギリッと奥歯を噛みしめている音が聞こえた。
警備の奴らが出て行った部屋の前で立ち止まり、障子扉にスッと手を伸ばす。
障子越しの外から見た様子だと、おそらく中に人の気配はない。
明かりはなく真っ暗で、部屋の中から物音も響いてはいなかった。
「シオン…行くぞ」
「はい…行きましょう」
もう中に誰もいないことを心から祈り、覚悟を決めて右手に力を込める。
勢いよく扉を横へと開いて、目の前の景色を視界に入れた瞬間…
「…!」
「ッ…橘さ…!!」