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No.22 第9話『信じて』-2



「準備、整いましたよ」

「は…?」


強い眼差しで射抜かれて、一瞬、まともな返事が出来なくなった。

何の準備だといくら考えても、答えが出てこない。


「お前、何言って…」

「何って…」


ここから、全員で逃げる準備ですよ。


そうはっきりと宣言したシオンが、両手に手袋を着用し始めた。


リュウマから渡されていた道具の一つにあったのは記憶している。

真冬の防寒用だろうが、かなり厚手のものだなとは思っていた。ただそれが今使える物だとは到底思えない。


「すみません、鍵をキーホルダーから個別に外すのに手間取ってしまって…」

「鍵…?」

「橘さんが時間稼いでくれたお陰で助かりました。あとは私に任せてください」


鍵が複数ついたキーホルダーを俺へ手渡して、スッと前へ足を進める。

俺よりも前に出ようとした身体を片手で制して、何をする気だと視線で問うが、それに対しての返事は明確なものではなく、微笑んで誤魔化すように発せられた。


「……橘さん、珍しく冷静じゃないです」

「どういう、意味だよ…」


眉間に皺を寄せて困惑する俺へ、シオンが微笑んだまま眉尻を下げる。

俺へ向けていた視線を一度南へ移して、どう言葉で表現すべきかを迷っているように見えた。


「橘さんの提案した取引に応じてくれるわけがないんです」

「何で…んなこと言えんだよ。助かるかもしれねェだろ。これ以外、方法なんて……」

「こんな違法だらけの地下牢を見せてもらって、生きて逃がしてもらえるわけがないんですよ」

「ッ…!!」


気づけなかった事実に衝撃を受けて目を見開く。

複数ある牢の中で転がっている死体。そのほとんどに拷問痕が残っている惨状を改めて確認して、グッと歯を食いしばる。


「警察内部で地下牢の秘密を暴露されれば、ここの労働者はほとんど逮捕されます。私たちを地下牢に入れることになった時点で、ここの従業員は最初から警察に引き渡すつもりなんてなかったんですよ。殿方は殺して、私は一生幽閉して遊女にするか、上流階級の可能性も踏まえて早急に且つ秘密裏に殺すかの二択です。私や南くんを無傷でここから逃がす、なんて選択肢は万に一つもありません」

「ほお?女の方が利口だなあ!」

「ッ!こいつは警察に引き渡すんじゃねェのかよ!!」

「そうやって言っときゃ大体の奴は大人しく拘束されんだよ。良かったー無事で済むーってな。俺らの共通認識じゃ『地下牢』は殺すか一生幽閉って意味だ!ご名答!」

「すでに通報されてるはずだろ!遅かれ早かれ警察は来る!」

「ざーんねん!もう来てんだなぁ!」


1万円札握って帰ってった警察官が1人。


そうゲラゲラと笑いながら告げられた内容に、ギリッと奥歯を噛みしめ眉間に皺を寄せる。

これだけの惨状が今までまかり通っていたのだから、行方不明者を探して訪問してくる警察官が毎度決まっていて、既に息のかかっている奴だってことくらい少し考えれば想像がつく。


本当に、全然冷静じゃなかった…

一般客のいる前では法に則って拘束しているように見せかけて、遊郭内部に連れて帰れば、あとはやりたい放題。

なるほど、だからこういう妓夫が出来上がるわけだ。


「さっきの条件は悪くなかったぜ?テメーの舌さえ切って話せねェようにしとけば字は書けねェから逃がしても安全だしなぁ!宝くじの当選待つみてェに1週間ワクワクして待ってれば良いんだろ?まあ1億持って来られたところで……」


ガキは殺すけどな。


そう最後に吐き捨てられた言葉で、カッと頭に血が上っていく。

殴り掛かりそうになった衝動を必死に抑えて、何度も自分へ言い聞かせた。


俺が感情のままに動いた後、誰が南とシオンの身を守る。

冷静になれ。今の俺は冷静じゃない。冷静になれ。


「女は生かすが万が一上流階級の令嬢だった場合、面が割れてたら危なくて使えねェだろ?表立った遊女には出来ねェってことで悪趣味な客限定の遊女になるってことで決定したぜ!」

「……悪趣味な客限定の遊女、って何ですか」

「喜べ!お前は足の腱切って歩けなくしてから地下牢に一生幽閉!加虐趣味の客専用遊女だ!笑えるぜ、守るつもりで言ったハッタリの所為で女まで生き地獄に落としやがったんだからなぁ!」


フーフーと荒い呼吸で歯を食いしばり、両手の拳を握る。

普通ここまで悪い方向に進むか…?

冷静になれと唱えれば唱えるほど、最悪な現状だけが浮き彫りになってくる。


もう最後の手段しかない。

俺が体張ってこいつを足止めしてる間に、2人を出入口へ向かわせて鍵を開けさせる。


扉が開き次第、2人だけで脱出させるしかない。

地下から脱出出来たところで、非力な2人が花街から逃げ切れるとは到底思えない。

それでも、もうそれしか方法は残ってなかった。


「俺が…あいつを足止めする。その間に、2人だけで鍵開けて逃げろ」


俺が死のうが脱出出来なかろうが関係ない。

2人が捕まらずに生き残る可能性が少しでもあるのなら、それに賭けてやる。

他に、方法なんてないんだ…


そう、覚悟を決めた時だった。


「やっと冷静になってくれましたか!よかった!いつもの橘さんです!」


場違いに元気な声が、右隣から響き渡る。

驚いて目を丸くしたのは俺だけじゃなかった。


後ろで怯えていたはずの南も、前方に離れて立っていた妓夫さえも、呆気にとられてシオンの空気に飲み込まれている。

内緒話をするように右手を口元に当てて、俺と南だけへ聞こえるように小さく呟いた。


「でも鍵を開けに行くのは橘さんと南くんです。そうすれば、3人で逃げられます」


呟かれた内容には更に目を見開いて驚く。

何とかあいつの攻撃を避けて横を通り抜け、出入口まで辿り着けたとしても、鍵を開けようとすれば背後から襲ってくるに決まっている。

その足止めをする奴が必要で、だから俺がその役割を――ってまさか……!


「私があの人の相手をします。出入口へ行ける隙も私が作って指示を出しますので、橘さんは南くんを抱えて真っ直ぐ走ってください」

「ッ!お前1人で、どうやって…」

「ごめんなさい、全部を説明する時間はないんです。私が今ですと言ったら走って、出入口の鍵を探して開けてください。その間、何があっても私の方へは来ないと約束してください。南くんを守ることだけに集中して」

「お前ッ、全員で逃げるってさっき言っただろうが!」

「そうです。そのためです。……私を」


……私を、信じて。


そう呟いたシオンが、強い眼差しで口角を上げて微笑む。

手袋を着用した状態で、ポケットから懐中電灯を取り出し始めた。


「俺は…ッ、バンビちゃんの、こと…信じる」


南が泣くのを我慢しながら、鼻を啜って乱暴に目元を拭う。

シオンが着用している厚手の手袋越しに左手を握って、強く願うように額を寄せ始めた。


「橘のこと絶対…ッ、守るって、約束、覚えてる…?」

「……もちろんです。南くんのことも守りますよ」

「ゴホッ……それに、バンビちゃん自身、のことも…付け加えといて」

「……。」


南が最後に願ったことへは返事をせず、眉尻を下げて慈しむように微笑む。


お前も無事に逃げるんだよな…

南にわかったって返事しろよ。


そう俺が強く願っても、シオンから答えが返ってくることはなかった。


「なーにコソコソ話してんだぁ?誰から切られるか話し合ってんのかぁ?」


南の頭を撫でて、シオンが何かを口にしようとした瞬間、それを遮るように妓夫が声をかけてくる。

少しずつ近づいてきていた妓夫が、5メートル程の近さで歩みを止めた。

それを確認したシオンが透かさず俺の目の前に移動して、盾のように立ちはだかる。


右手に持った懐中電灯と、異様に膨らんで見える右ポケット。それから素早く左ポケットから取り出して左手に握り込んだ何か。

リュウマから渡された道具を手にして、一際大きくシオンが言い放った。



「誰があなたにお灸を据えるかって話ですよッ!!このクソ野郎が!!!」

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