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No.19 第8話『結び』-1



丸い月だけが、真っ暗な闇を照らしている光景。

その中に1人佇んで、ぼーっと光り輝く満月を眺めていた。


これが夢の中だと気付いたのは、見つめていた満月が異様に大きかったからなのと…

立ち尽くしていた俺の手を後ろから握ってきた人物が、嬉しそうに微笑む、あの女だったからだ。


自分の胸に広がっていく温かさが幸せで心地良いと感じた時…これがこのままずっと続けば良いのにと、無意識に終わりを憂いて女の手を握り返していた。




第8話『結び』




「橘さん…!!」


女の呼ぶ声で一気に覚醒して、勢いよく上体を起こす。

両目を隠していた布は完全にずれて緩み、首元まで落ちていた。


女へ目線を向ければ自力で口に巻かれた布を外したのか、俺の目隠しと同じように布が首元まで落ちきっている。

次にさっきまで俺が気絶していた場所を確認して、一瞬複雑な気持ちになった。


俺が転がっていた頭の位置に女の膝がある。

もしかしなくてもこいつの膝を枕にしてたのか…?

そう思うとむず痒くなって、思い切り眉間に皺が寄り始めた。


「あ、私の口に巻かれてた布は暴れたら取れたんです!たぶん私の拘束は緩めにされてたんだと思います!」


だよな。どうやって口の布取れたのかを気にする方が先だよな。

残念ながら俺の頭ん中は気絶してた時になんで膝枕してたのかでいっぱいだよ。


「後頭部…殴られたとこ平気ですか?」

「ん゛…」

「橘さんの口も外せないかやってみます」


急いで近づいてきた女が俺の左頬に顔を寄せる。

俺の口に巻かれた布を噛んで引っ張り、少しだけ緩んだ隙間を見逃さずそのまま首へと引き下ろしていた。


首元に布が落ちた瞬間、更に口の中へ丸めて入れられていた布を吐き出す。

助かったと一言だけ礼を言った後、状況を把握するため牢の中や外に視線を向けて呟いた。


「どのくらい気失ってた?」

「おそらく15分ほどです」


あの妓夫と警察が来る前に意識を取り戻せたのは不幸中の幸いだろうが、気絶で時間を無駄にしてしまったことはかなり痛い。


女が自力で口布を外して俺の目を覚ますために叫んでくれてなければ、おそらく覚醒するのは取り返しがつかない時間まで遅れていただろう。


心の底からもう一度感謝を述べた後、女に立ち上がれるか?と急いで促す。

両手を後ろに縛られたままの状態で立ち辛そうに身体を動かし始めた女が、殴られた後頭部は痛みますか?と再度尋ねてきた。


心配ねェよ、と端的に答えて、完全に立ち上がった女の後ろへと回り込み膝をつく。

俺の返事を聞いて微かに鼻を啜った女が今度は、殴られたり蹴られたりしたお腹は痛みますか?と震える声で尋ねてきた。


痛まねェ、とまた端的に答えて、目の前にある女の手首を凝視する。

縛っている紐の形状から、噛み切れる可能性が高いと踏んで口を開いた。


紐を咥える直前にまた女が、ナイフで切られた右手は?と途切れ途切れに尋ねてきて、キリねェだろ、と出来るだけ優しく返事をする。


ここからは返答しないという意味も込めて、わかりやすく手首の紐に噛み付いた。

すると我慢の限界だとでも言うかのごとく、女が嗚咽を漏らしながら声を発し始める。


「ごめ、なさい…う゛ッ…巻き込ん、で……ッほんとに、ごめんなさ…う゛ぅ」

「……。」


正面から見なくてもわかる、女の表情。

堪えていた分、大量の涙が頬へ伝って流れているんだろう。


泣かなくていいと伝えたところで、現状最悪な状態から抜け出せていないのだから、こいつの自責の念を拭ってやることなんて出来ない。


自分のしたことで他の人間が死ぬかもしれない状況なのだから、気にするなと言われて気にしない方が無理な話だ。


この前知り合ったばかりでも、こいつが人を巻き込んで平気でいられるタイプではないということくらいは薄々わかってきている。

かける言葉を考えながら、手首の紐をひたすら噛み続けた。


「う゛…私の、所為で…ヒック、いっぱい…怪我、して…橘さ、が…」


ボタボタと床へ涙を降らせながら謝罪し続ける女に、いくら考えても最適な言葉が浮かばない。

一度口を離してどこまで擦り切れているのかを確認した時、血のりで見え辛かったが、手首が腫れているように見えた。


俺が気絶している間も、必死にもがいて紐を外そうとしていたんだろう。

手首を傷めても、諦めずに暴れていた痕跡がくっきりと残っている。


ここまで来て、逮捕されたくなくて逃げ出すために必死だったとか、そんな風には思えねェよ。

俺が殺されねェように、何とかしようと必死だったんだよな。

咄嗟にほっそい両手で投石から俺の頭守ろうとするくらいだもんな…


昨晩は疑ってたくせに、悪いように考えられなくなるくらいには、こいつへの情が深くなってきている。


「お前は最初から俺を巻き込もうとなんてしてなかった。俺が勝手に動いて…結果こうなった。自業自得だろ」

「ッそれは…!」

「もうこの話は終わっとけ。泣いてると目蓋腫れんだろ。余計ブスになんぞ」


言い終えて、もう一度手首の紐へと齧り付く。

あともう少しで切れそうだと希望を見いだしたところで、女が泣きながら小さくフッと笑みを零した。

その数秒後、スーッと大きく深呼吸をして、意を決したように前を向き始める。


「…絶対、橘さんは死なせないです。どんなことをしてでもここから脱出します」


あとブスじゃないです失礼な!


そう女が叫んだのと同時に、拘束していた紐が噛み切れる。

タイミング的に最後の方は自力でブチッと千切ったようにも見えて、んな場合じゃねェのにハッと笑みが零れた。


拘束から完全に解放された女が素早く俺の後ろへと回り込み、腕と首が繋がった縄を解き始める。

頑丈に結ばれている所を女のか弱そうな手が引っ張っている感覚がして、いけるか?と問えば、透かさずいけます!と頼もしい答えが返ってきた。


「お前は?頭打ったのはもう平気なのかよ」

「…もう私は大丈夫です。意識もはっきりしてきましたから」

「全部血のりか?少しはお前の血も出てんのか」

「……どうして、私の心配ばっかり…」


さっき頭殴られて気絶したのは橘さんでしょう?


そう震える声で呟いた女が、また泣きそうになっている気配がした。


後ろにいて、姿が見えなくてもわかる。

会話を続けようとする声が、涙を耐えようとしているのか小さく小さく途切れていて消え入りそうだった。


「自分が…死ぬかもしれないのに、どうして…私の心配ばっかり……」


縛られている両手に数滴温かい雫が降ってくる。

それとほぼ同時に縄が外れて、首と手首の圧迫感から開放された。


振り向こうとした刹那、女が俺の真横を突っ走り鉄格子に向かって体当たりをし始める。

女の小さい身体で鉄格子が揺らぐわけもなく、何度も繰り返そうとする自虐行為にやめろ!と大声をあげた。


「止まれ!怪我するだけだろ冷静になれ!」

「離して下さい!他に方法なんてないッ!」

「おい暴れんな!止まれって!おい!…ッ」


シオン!!!


一際大きく叫んだ俺の声に、目を見開いて動きが止まる。

一度止まったはずの涙がまた新しく両目一杯に溜まっていて、それを拭うように右腕を伸ばした。


少し乱暴に目元を腕で擦ってから、左手で捕まえていたシオンの腕を離す。

大人しくなったシオンに目線を合わせて屈み、ずっと伝えたかった言葉を呟いた。


「昨日お前がしてくれたこと全部、嬉しかった」

「……え?」

「もしこっから出れて、生きて帰れたら…」


お前が言ってた夢の話、協力してやる。


そうはっきりと言い放った俺の顔を見て、シオンが呆けたように再び固まる。

え?え?と繰り返し声を発した数秒後、何か返事をしようとシオンが口を開いた時だった。


「シッ……誰か来る」


ガタンッと物音が響き、ゆっくりと足音が近づいてくるのが聞こえる。

咄嗟にシオンを背中へ隠して、まだ姿が見えない相手へ鋭く視線を向けて警戒した。


その瞬間…

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