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No.14 第6話『花街』-2



隅の方に寄せてあった小さな文机を持ってきて、梅の隣にドカッと音を響かせて置く。

ポケットに入れていたグシャグシャの紙切れと、短い青の色鉛筆を取り出して机の上へ軽く放った。


出したは良いものの、子どもの小指程度の長さしかない色鉛筆に口をへの字に曲げる。

出来るだけ早めに新しい筆記用具を手に入れるべきだなと後頭部を掻いて座った。


「前回よりもひどい紙切れじゃないか。鉛筆も前のと同じ短いままだし…手に入んなかったのかい?」

「上流階級のゴミ収集当たんなかったんだよ」

「中流階級は?」

「あいつら出すゴミ大体汚ねェからもう漁ってねェよ。まともに使えるもん入ってねェし」

「でも謎だよね。上流階級のゴミって何で汚いの少ないんだろう」

「ああ、その理由は知ってるよ」


俺の隣に座った梅が、布団を敷き終わった藤に顏を向けて微笑む。

情報代、と右手を真っすぐ差し出した梅に、えー!ケチ!と藤が唇を尖らして南の両脇に腕を差し込み抱き締めだした。


「南も知りたい?」

「うん!」

「じゃあ梅さんにおねだりして?」

「お前が一番無賃で利用してんだろコラ」


無賃は悪いことだと散々言っていたくせに純粋そうな顔をしながら兄弟揃って目を潤ませ、こちらを見つめてくる。

呆れた目線を向ける俺とは対照的に、梅は仕方ないね…と楽しそうに笑いながら説明を始めた。


「上流階級の家には、生ゴミを肥料に変えられる機械が必ずあるそうだよ」

「兄ちゃん、ひりょうって何?」

「たぶん上流階級のお金」

「違ェよ」


適当に知ったかぶる藤が人差し指を出しながら南に答える。

間髪入れずに突っ込んだ俺へ、じゃあ橘は知ってんの?と首を傾げながら再び唇を尖らせていた。


一から説明すると俺の勉強時間が無くなるから、花とかの栄養、と簡単に答えて文机に紙切れを広げる。

拾った時からグシャグシャだった所為で、綺麗に伸ばしても皺々のまま文字が書き辛かった。


「梅、平仮名はもうたぶんいける」

「本当かい?ついこの前読めるようになったばかりだろ?」

「今から何も見ずに全部書く。後で違ったら言ってほしい」

「…わかったよ」


半信半疑といった様子で返事をしてから、梅が隣から立ち上がる。

俺が書き終わるまでは花札の相手をしようと思ったのか、南の座る布団の隣に腰を下ろしていた。


「ゴホッ、梅は学校行ってたのか?」

「いんや、下流階級だもん。あんたらと一緒さ」

「でもすげェ何でも知ってるじゃん!どうやって知ったんだ?俺なんか、やっとこの前……上流階級の子どもは両親と暮らしてるって知ったんだぜ?」

「……。」


2日前の夜、藤に見せられたクシャクシャの写真を思い出す。

あれから何故か南はあの写真をお守りのように持っていて、時折開いてはしばらく眺めた後、丁寧に折り畳んでパーカーの胸ポケットに入れていた。


感情が昂ぶってぐっと力が入った所為で、青色の文字が不自然に歪んでしまう。

消す物なんてもちろんなくて、誤魔化せなくなった平仮名の『き』の字を静かに塗り潰した。


「私はもう21だし、南よりもずっと長く生きてるだろ?」

「うん…ゴホッ、でも字も読めるし、他の事だっていっぱい知ってる」

「字は数字と平仮名しかわからないよ。品書きや値段が読めなきゃ仕事になんないから、楼主や若い衆が子どもん時に教えてくれたんだ。他の事は全部お客さんが教えてくれんだよ」

「お客さん…?」

「上流や中流階級の客もたまに来るからね。聞かなくてもペラペラ情報はしゃべってくれるし、知りたい知識は尋ねればそんなことも知らないのかって鼻高々に教えてくれるよ」

「へえ!良いお客さんだな!」

「……そうさね」


優しく微笑んだ梅が、南の頭を慈しむように撫でる。

2人の話を黙って聞いていた俺と藤は、南の感想を否定することなく口を閉ざして、各々の手を動かし続けていた。


酒に酔い、下流階級の女を見下しながら知識を教える男の姿。

この目で見たわけではないのに、容易にその光景が想像出来て吐き気がする。


腹が煮えくり返るような思いをしながらも、少しずつ少しずつ得ていった世の中の情報と知識。

梅が血の滲むような思いで得てきた財産は、無賃で提供されて良いものではない。


初めて勉強を教わった時、金は要らないと言った梅に無理やり紙幣を渡したのはそれが理由だった。

今でもその考えは変わらない。

南の治療費以外で費やすべきところがあるとするなら、間違いなく梅への対価だ。


「…やっぱり僕も払うようにする」


俺と同じことを考えていたのか、藤が反省したような声で俯きながら呟く。

それを聞いた梅がまた慈しむように笑って、藤の背中を摩りだした。


「藤も男前だからサービスだ」

「お前な」


眉間に思い切り皺を寄せると、3人が俺の顔を見てプッと吹き出しケラケラと笑いだす。

布団に転がって笑う南へ、さっさと花札やらねェと梅は返してもらうぞと釘を刺しておいた。


「ほんじゃ、勉強熱心な長男は置いといて、私らだけで少し遊ぶかね」

「うん!……でも兄ちゃん、何で橘は最近文字の読み書き覚え始めたんだ?」

「たぶんイヤラシイ本とか読むためだよ」

「聞こえてんだよお前らッ!」


コソコソと耳打ちし合う兄弟にキレて、近くに転がっていた枕を投げ飛ばす。

藤の顔面へぶつかり跳ね返った枕が南の顔面へも軽くぶつかって、それだけでまた嬉しそうに兄弟で笑い転げていた。


ここへ来ると毎度テンション高く遊びだす2人へ、はあっと溜息をついて青い色鉛筆を握り直す。

嬉しそうに笑い続ける声を聞きながら、こっちはお前らを守るためにやってんだよ、と内心ぼやいた。


書かれている文字が読めたりするだけで、身の危険を回避出来る可能性は数倍上がる。

自分の知らない世の中の知識を得るだけで、この先に起こる未来を予想しやすくなるし、先回りで動けば2人を守ることにだって繋がる。


例えば中流階級や上流階級の人間は、下流階級の人間の前で話したところでどうせ理解出来ないだろうと高を括って堂々と秘密を話すことがある。


使う言葉をわざと難しくして話すだけで、教養のない下流階級は理解できない。

そう油断してくれたどっかのお偉いさんのお陰で、聞き耳をたてて入手出来た情報も過去にはあった。


あの女に流した情報、ゴミ収集作業員やゴミ処理をしている子どもの給料システムなんかがその1つだ。

難しい言葉を理解するのは、何よりも最優先で学ぶべきこと…


そこまで思考を巡らせたところで、そういえば…とあの女の会話を思い出した。

考えても理解出来なかった言葉が1つ。2つ。

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