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No.8 第4話『夢』-1



降り続ける雨に打たれながら、下がっていく体温に表情を無くしていく。

それはまるで、全てを諦めていた幼少期の頃の自分と重なるようだった。




第4話『夢』




マンションの前で立ち尽くし、雨音を聞き続けておそらく5分ほどは経過している。

正気に戻って意識がはっきりしてきたのは、また脳内に南の元気な笑い声が響いてきたからだった。


「おい…クソガキ。聞こえるか?」


ゴミ袋を投げつけられてベランダ越しに会話をしたあの場所。

そこへ立ちながら、小さく声を発して問いかける。


ガラス扉で遮られていること以前に、勢いを増してきた雨音の所為で声が掻き消されていく。


「お前は現状を変えたいか?って聞いたよな。今の生活を変えたいかって…」


脱力していた両手に力が入り、拳を強く握り締める。

ぐっと限界まで力の入った拳が震えだし、耐えられなくなった感情が言葉となって飛び出していた。


「じゃあお前は変えられんのかッ?!俺にはどうにも出来なかった地獄みてェな現状でも!お前は!変えられんのかよ!!」


やっと雨音を超えた音量が出ても、ベランダの奥…カーテンが掛かった室内は、真っ暗で人が出てくる気配はない。

それでもまだ可能性が残っているのなら、何度だって言ってやる。何度だって叫んでやる。


「お前の所へ来ただけで!何かが変わんのか?!俺らのクソみてェな生活も!変えられんのかよ!!」


俺が問いかけてる相手からの反応は一切ない。

それなのに、隣の部屋のベランダからは微かに反応が見える。


明るいカーテンの隙間から、家族らしき人間が数人顔を出して、不審者を見るような目でこちらを覗き込んでいた。


何も知らない奴からしてみれば、不審な行動をとっている自覚は十分にある。

あいつを叫んで呼び出せる時間もおそらく残り僅かだ。


隣の住人が警察へ通報してしまえば、否応無く逃げるしかなくなる。

警察が来る前に、どうしてもあいつの返事を聞きたかった。


「いい加減答えろよクソガキ!!……ッ」


…シオン!!


一際大きな声であいつの名前を叫んだ直後、隣の部屋のベランダから誰かが出てくる音が聞こえた。


目線を向ければ、大柄の中流階級の男…おそらく上流階級のボディガード職をしている人間だろう。それがこちらを睨んで様子を窺っている。


中流階級の住宅街で叫び続ける下流階級の人間なんて…警察だったら即射殺。

ボディガードなら職務外でも拘束して即死刑送りに出来る案件だ。


ジリッと右脚を下げて、すぐに反応が出来るように体勢を低くする。

相手が動いたら同時に動けるように、意識を集中させた時だった。


ガララッと素早くガラス扉を開ける音が聞こえて、全裸にバスタオル姿のあの女がベランダへと飛び出してくる。

ベランダの柵越しに勢いよく首へと抱きつかれて、ハ…?と奇妙な声が漏れた。


「仲良し!!仲良しなんで!!脅されてるわけじゃないんで!!」

「……。」


隣の部屋の大男にだけ首を向けて、必死に叫ぶ横顔。

俺の首に巻きついた両腕は湿っていて、濡れた髪から香る匂いが嗅いだことのない匂いで、一瞬意味がわからなかった。


「橘さん?!何で玄関扉のインターホン鳴らさないんです?!」

「あ゛?」

「私たち仲良しでしょう?!全くもう!ベランダから来たらびっくりするじゃないですかー!!私の彼氏ったらサプライズ好きの照れ屋さんでー!あはッ、はははは!!」


謎の言い訳を隣の男へ発しながら、目線では俺に対して、さっさとこっちへ来いと指示を出してくる。

眉間に皺を寄せて、ベランダの柵を片手で飛び越えた後、舌打ちをしてから自分のパーカーを脱いだ。


雨で濡れきった服を女の頭から被し、首が入ったことを確認して下まで一気に引きおろす。

その一連の動作を見た隣の大男が、黙って部屋の中へと戻っていった。


隣の談笑が聞こえた直後、女が勢いよく俺の腕を引いて部屋の中へと入っていく。

ベランダのガラス扉を閉めてカーテンを閉めて静かに振り返った女の顔は、今まで見せていた笑顔とは全く違う、般若のような赤い顔だった。


「橘さん知らないんですかッ?!」

「テメーッ!服着ろコラ!!」

「下流階級の人が上の階級の人襲ってるように見られたら拘束の後、死刑ですよ?!ここ!中流階級のマンション!!通報されたらどうするんです?!現行犯なら射殺されるんですよ?!」


かなりの剣幕で怒りながらズンズンと距離を詰められる。

自分が半裸なことも俺が上半身裸なことも気にも留めず、平気で捲くし立ててくる相手へ俺の方からジリジリと下がって距離をとった。


「聞いてます?!橘さん!何でジリジリ下がるんですか!」

「中流階級の貴族被りは知らねェみてェだから教えてやるよ。警察は現行犯なら射殺、拘束出来なきゃ後に証拠を調べることも無ェ。実質無罪なんだよ。通報されりゃ逃げきればいい」

「んな無茶な!!」

「つーか!さっさと服着ろ変態女!!」


勢いよく距離を詰めてくる足取りの所為で、女の巻いていたバスタオルが落ちる。

俺の着せたパーカーが無ければ今頃は全裸。

それにも関わらず仁王立ちで説教をしてくる女へ、いい加減にしろと叫びたくなった。


「俺以外の下流階級にもゴミ投げてたって言ってたよな。そん時から思ってた。よく知りもしねェ男の前で半裸になってお前危機回避能力ゼロか?」

「射殺されるのに外で叫んでる橘さんには言われたくないです」


サイズの合っていない俺のパーカーから伸びる素足が視界に入り、余計に苛立ってキレる。

その俺の反応にはやれやれと首を横に振って、あたかも子どもへ接するみたいに溜息をつかれた。


「そんな風に自分の命を蔑ろにしていたら、施設にいる親御さんも泣きますよ」

「…下流階級の人間に親がいるわけねェだろ」

「え…?」


急に目を見開いてピタッと固まる女に、苛立ちを隠さず再度舌打ちをする。

何度言っても服を着ようとしない女に向かって、床に落ちたバスタオルを拾い上げ勢いよく投げつけた。


「ぶっ!!」

「学校で何学んでんだよクソが。半裸で男の前歩き回れって習ったか?テメーは本当に無知だな」

「ッ……本当に、無知ですね。…私は」

「あ゛?」

「いえ…すみません」


着替えます。


そう素直に返事をした女に内心安堵して、多少怒りを収める。

けど次にしようとした女の行動に、更にぶちギレることになった。


着せたパーカーの首元を引っ張り、両手で自分の鼻に持っていきながら深呼吸をしている。

その拍子に雨で濡れたパーカーから雫が滴って、限界まで上げられた衣服の所為で女の大腿部へ伝って落ちていった。


「臭い嗅いでんじゃねェよ!ふざけんなッ!!」

「橘さん前から思ってたんですけど、施設にお風呂って備わってますか?」

「んなもん、あるわけねェだろッ!!」

「……。」


本当に、教科書で習ったこととは違い過ぎますね…


俯きながら小さく言われた内容に、あ゛?と眉間に皺を寄せる。

いえこっちの話です、と呟いた直後、女が別の部屋へと移動してすぐに真新しいバスタオルを持ち出してきた。


「橘さん、お風呂に入ってください」

「は…?」

「今なら湯船まだ温かいです。私の入った後で申し訳ないですけど」

「???」

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