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No.7 第3話『下流階級』-3



嗚咽を漏らす藤へ、吐くなら袋にしろよと伝える。

けど振り向いた先にいたのは、涙を大量に頬へ伝わせながら声を詰まらせているだけの藤だった。


「どうして、こんなに…ッ南よりも小さい子どもが、たくさん…」


ああ、そうか。

こいつは本当に現実を知らなかったのか。


そりゃそうだ。

俺や谷さんが見せねェようにしてきたんだから。


口頭で遺体処理の説明や現状報告は軽くしていたが、それだけで吐きかけていたこいつに現実を見せてなんかやらなかったから。


「俺らの施設は恵まれてる。お前や南が生き残れてんのは奇跡に近い」

「ッ…」

「前から思ってはいたんだろうが、今一番実感してんだろ?感謝しろよ谷さんに」

「……橘は、5歳からこれをやってたの?」


これ、と示しているのはおそらく遺体処理についてだろう。

答えるべき返事の仕方を考えていると、空気を察した藤が言葉を詰まらせながら呟いた。


「ごめん…ッありがとう、ごめん」


両手にいっぱいゴミ袋を抱えて、ゴミ収集車へ駆けていく。

身体の震えや涙は相変わらず止まってはいなかったが、予想していたよりも遥かに動ける藤へ、俺の初仕事の時とは大違いだなと腹ん中で思った。


遺体の腐敗臭に耐えきれず、嗚咽を漏らしてゴミ捨て場で吐いた記憶。

5歳の力では大人の遺体を運び込めず、自分と同じくらいの歳の遺体を引き摺って運んだ記憶。


遺体に薬剤をかける手が震えて滑り、自分の腕にかかりかけたあの時も、谷さんが守り庇ってくれていた。

ほんの数滴かかった谷さんの左手には、今も火傷のような傷跡が残っている。


その傷跡を見る度に思う。

ゴミ捨て場に捨てられている子どもの遺体を見る度に思う。


谷さんがいなければ、俺もこうなっていたんだと。

配給される飯も奪われてまともに食えず、ゴミ処理の仕事もまともに出来ず、野垂れ死んでいたんだろうと。


「橘、細かいゴミは粗方突っ込んだよ」

「…わかった。詰まらねェように子どもからやる」


細かいゴミの収集が終われば、次は子どもの遺体から処理を行う。

いつもの手順を説明しようとした途端、藤の身体が硬直し、その後全身が震えだした。


「…俺が処理する。お前はでかい方運べ」

「ッ…一緒に、やる」

「効率考えろ。今日中に仕事終わんねェだろ」

「僕が、やる!」


意を決したように幼い子どもの遺体を引っ張り抱えだす。

その抱え方が、まるで慈しむように触れているようで、やっぱりこの作業を無理にでもさせなければ良かったと後悔した。


運ぶまでは良くても、これから先の作業は止めた方がよさそうだ。

そう、思っていた時だった。


「ぅ…」


転がっている遺体の中から、僅かに聞こえた呻き声。

気のせいではないと確信した瞬間、収集車の方へ向かった藤へ力の限り叫んで指示を出す。


「ッ藤!!水持って来い!!」


俺の声を聞いた藤が、緊急事態だと察したのか動揺しながらもわかったと返事をする。

藤の姿は見えなかったが走っている足音は聞こえて、とにかく水が来る前に声を発した子どもへと問いかけた。


「おい!聞こえるか!!」

「ぁ…」

「どっか痛むところは?!」

「…み、ず」

「水はすぐ持ってくる!待ってろ!!」


俺の問いかけには答えず、目の焦点が合ってない子どもがほんの僅かに声を発する。

自分の耳を子どもの顔の前まで持っていかなければ、聞き取れないようなか細い声。


藤が息を切らして持ってきた水を受け取り、上半身を支えて飲み口を唇に当てる。


でももう、その時には遅かった。

意識も無く、浅かった呼吸も完全に止まり、虚ろな目だけが前を向いて動かなくなっていた。


「ッ…橘」

「……。」


いくら助けてやりたいと思ったって、同じ下流階級の人間に出来ることなんか限られてる。

死ぬ直前に手を差し伸べてやったって、そんなのは何の意味も無い無駄な行為だ。


でもじゃあ…それ以外に何が出来るんだよ。

助けてやれる方法なんて、どこにあんだよ。


身近にいる藤ですら、こんな仕事はさせたくねェと思っても守ってやることも出来ない。

身近にいる南ですら、満足に病院へ通わせてやれない上、同じ仕事をさせる未来が待っている。


違うエリアの施設に住む子どもに関しては、見て見ぬフリで見殺しにするしか方法がない。

下流階級の子どもに生まれたんだから仕方がないと、最初から諦めるしか方法なんかなかった。


「橘…」

「いい。これは俺が運ぶ」


今死んだばかりの痩せ細った子どもを抱えて、収集車へ移動する。


さっき藤が運んだ子どもに躊躇わず薬剤をかけ、抱えている子どもの心臓に耳を当て、心音がないことを確認した後、静かに処理を行った。


藤の運んでくる遺体を次々と処理していく度、自分の体温が下がり表情が無くなっていくのがわかる。

薬剤を持つ手が錯覚を起こして、次第に幼かった頃の自分の手へと変化していく。


歯を食い縛って行っていた作業も、次第には表情が無くなり何も感じなくなった幼少期。

最初は吐きながらしていた作業でさえも、生きるためにする行為で当たり前のものだと思っていた。


何も疑問を持たず、抗わず、必死で生き抜いた。

その結果が今の俺なんだとしたら、藤の言う通り、まだ南は間に合うんじゃないか。


まだ収集作業員になっていない、何のゴミを燃やしているかもわかっていない南なら、まだ俺みたいにならない可能性はあるんじゃねェのか。


大粒の涙を流しながら、俺の元へ子どもの遺体を運んでくる藤に目線をやる。

いくら現実から遠ざけようとしてやっても、こいつにはこの日が来た。


じゃあ南にこの日が来る前に、何とかしてやれる可能性があるんだとしたら…?

下流階級の子どもがゴミのように死んでいくのを、変えられる可能性があるんだとしたら…?


『変えたくないですか?現状を…今の生活を』


また脳内に響いてきたあいつの声に、一瞬作業をしていた手が止まる。

昨夜はうるさいと振り払った女の声が、まるで今は光のように真っ暗な目の前を照らしていた。


『なあなあ、谷さん!ゴホッ、俺の話も聞いて!俺も今日ゴミ山でバンビみたいな子と手繋いだんだぜ!』


咳をして呼吸を荒くしながらも、元気よく笑う南の声。

その笑い声が俺の中に響いてきた瞬間、やっと自分の手に体温が戻ってきたような気がした。


「橘…ッ、大丈、夫?」

「…悪い、藤。昨日の話、あしらって」


藤の言うように、南が俺みたいにならない未来が存在するのだとしたら、何を迷う必要がある。

俺の無駄なプライドで、万が一あるかもしれない可能性を棒に振る気か?


「俺も諦めねェよ。お前のことも、南のことも…諦めねェ」


ぐっと歯を食い縛り、遺体処理を再開する。

その日仕事を全て終わらせられたのは、いつもの終了時刻より3時間も後のことだった。



『もしあなたが現状を変えたいと思うのなら!また、私の所へ来て下さい!』



夜、藤と南が無事に眠れたことを確認し、フードを被って施設を飛び出す。

雨の中を駆け出して、服が絞れるほど濡れきった頃には…


俺は呆然と、あの女のマンションの前で立ち尽くしていた。

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