幼い頃、自分がゴミ山で燃やして処理していたモノが何だったのか。
収集作業員になって初めて気づいた時、胃の中からこみ上げてきたものを止められなかった。
第3話『下流階級』
砂利の音を響かせながら歩いていると、その音を遥かに上回るうるさい蝉の声が響いてくる。
虫の騒音と暑さに苛立ちながら、並ぶ収集車の中で一際異臭を放つ車の前で止まった。
「橘よくわかったね。下流収集車これだって。…いつも僕が車取りに来るのに」
「こんだけ死臭漂っててわからねェ奴いんのかよ」
一見、他の階級を回る収集車とは見分けのつかない外装。
それでも鼻がちゃんと機能している奴なら、すぐに気づくレベルの死臭が漂っている。
車の後方にある鍵穴に鍵を差し込み回した瞬間、更に悪臭が広がった。
「う゛ッ…」
「おい、藤。本当にやんのか?やめとけよ」
「駄目だよ!ッ…いい加減、僕だって下流階級の収集やらないと」
「何で急にやる気になったか知らねェけど…お前そもそも後ろで掴まってられんのか。車走ってる間に落ちたら死ぬぞ」
「まさかの握力問題」
あ゛ー、考えてなかったそこ!と顔面に両手を当てて蹲る藤へ、呆れて溜息を漏らす。
下流階級のゴミ収集をする以前に、その場所へ辿り着くことすら命がけになる非力さ。
同じ飯を食ってるはずがこうも変わるか?と首を傾げたくなるくらい、藤の腕は細い。
更に言えば俺と谷さんがゴミ回収してて運転しかしてこなかった分、日にも焼けず女みたいに白かった。
「今日の現場。結構距離あんぞ」
「途中で落ちたらごめん、死んだら回収して」
「シャレになんねェ」
やっぱお前は止めとけ。
そう軽く言ってのけながら、車の鍵を藤の胸ポケットへと押し込む。
車の後方、開けたシャッターの中を覗き込んで、今日の仕事が支障なく出来るかどうかを確認した。
上流階級や中流階級とは違う構造の収集車。
主に遺体がゴミとして出やすい下流階級のゴミ収集は、この専用の収集車のみを使用する。
中流階級でもごく稀に使用することはあるが、無縁仏の時にしか使用されず、その場合大体がマンションのオーナーから回収依頼が入る。
依頼があった時にしか稼動しないなんてな。本当に…良いご身分なこった。
「待って!今日は橘が運転して!」
「あのな…」
「言いたいことはわかるよ!でも僕もこのままじゃ駄目だ…橘や谷さんに守ってもらって、それで南の将来を諦めない!とか言ってたって…そりゃ、響かないよね」
「それとこれとは話が別」
「……別じゃないよ。橘は優しいね」
いつもありがとう。
グッと握り込んだ車の鍵を、俺の胸元に当てて呟く。
今日は任せてほしいと目線で訴えながら、藤が収集車後方を覗き込んだ。
「溶かす薬剤…これで足りるかな」
「普段はこれで足りる。足りねェ時は分解して突っ込む」
「分解…」
「…やり方は後で説明する」
言葉での説明だけで顔を青くさせ始めた藤へ、一度落ち着かせるためにシャッターを下ろす。
最終チェックは俺が済ませたとだけ伝えて、後方の鉄に掴まって乗れと目線で促した。
「谷さん待ってんだろ。さっさと行くぞ」
「これ片手しか掴まるとこないじゃん。どうやって乗ってんの」
「足、この辺。腕、ここに挟め。体、逆。シャッター側見てどうすんだよ。落ちた時受身とれねェだろ」
園児かよ、こいつ…
そう眉間に皺を寄せたのとほぼ同時だった。
5歳の時、初めて収集作業員として仕事を始めた時のことを思い出す。
小さい体で必死に後方へと掴まった記憶。
出来るだけ落ちないようにと、俺の体を収集車へ紐で縛り付けてくれた谷さん。
足は小さ過ぎるからここへ、手は腕が届かないからここへと、一緒に考えてくれていた谷さんの表情を思い出した瞬間、何ともいえない感情が喉の奥につっかえて取れなくなった。
「…落ちねェように縛ってやろうか?」
「橘そういう趣味あったの」
「黙れ。お前もう落ちろ。谷さんとこ行くまでに落ちてたら速攻交代させるからな」
「フッ、はーい、がんばりまーす」
間の抜けた返事を聞いて眉間に皺を寄せた後、はあっと思い切り溜息をついて運転席に乗り込む。
車を走らせてしばらく、緊張で手が震えたのは久々の運転だったからじゃない。
バックミラーに少し映る藤のパーカーが、いつ消えて無くなるかに冷や冷やしたからだった。
南を仕事場へ送って行った谷さんが、無事に送り終え施設前で待ってはいたが、俺が運転していることに気づいて慌てて飛び上がる。
後ろに掴まっていた藤を見て、普段は血色の良い谷さんが顔面蒼白になっていた。
「おい、藤!自殺行為はよせ!!」
「だ、大ジョブ…」
「し、縛れ!縛るものあるか橘!!」
「そういう趣味流行ってんの」
口では冗談を言ってのける藤だったが、それでも歩いて行けるような短距離で滝のような汗をかいている。
呆れ果てた俺が、縛るか運転か3秒で選べと脅せば、何故か縛る方を秒もかからず選んでいた。何でだよ。
「意地張ってんじゃねェよ」
「意地も張るよ!今日から僕は!変わるんだ!!」
諦めないって言ったろ!!
そう強い眼差しで叫ぶ藤が、また昨夜と同じようにあの女の声と被る。
意思を貫こうとする瞳でさえもどこか似ているような気がして、勝手にしろと低く突き放すように呟いて運転席に戻った。
今日の仕事場1ヶ所目。
下流階級のゴミ収集現場へ着いた途端、谷さんが藤を心配する大音声が響き渡る。
本来なら運転の奴は、いつでも車の移動が出来るように運転席で待機が原則。
けど今日に限っては、俺が座ったまま仕事を終えるのは無理だと端からわかっていた。
ブレーキをかけて、谷さんの声が聞こえたのとほぼ同時くらいに運転席から離れる。
ひどい悪臭の中、未だ縛っていたロープに体を絡ませている藤が屈んで蹲っていた。
「藤、水飲め!一旦休め!」
「何回落ちかけた?谷さん」
「3回くらいだな…縄無けりゃ死んでた」
「おい、藤。まだ仕事始まってもねェけど?」
浅い呼吸を繰り返し、声を発する体力も残っていない藤へ上から問いかける。
精神抉られるような…歯食いしばってやらくちゃいけない仕事はこっからだろ…
これから始まる、目を逸らしたくなるような現実。
出来ることなら、そんな仕事をこいつへさせたくはない。
よく谷さんへ父親のフリはよせと内心呟いてはいるが、人のことは棚に上げて、俺もどっかで藤のことを1つ下の弟だと思い込んでいる。