目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報
No.4 第2話『うるせェよ』- 2



「橘聞いてる?笑ってないでちゃんと聞いて」

「クッ…いや笑ってるのはお前の所為…」

「僕はまだ南の可能性は残ってるって信じてる。みんなが諦めてても、僕は諦めないから!」


鼻息荒く藤が叫んだ瞬間、今日の昼間の出来事が薄っすらと蘇る。

ムカつく女に言われた内容が、ほんの僅かだが脳内に木霊した。


『でも普通の下流階級の人は違います。諦めるんです』


チッと小さく舌打ちをして、思い出した記憶を脳内から消そうと視線を藤から逸らす。


さっきまで乱闘騒ぎや賭けをしていた奴らと目が合って、血の気が多い奴らばかりの顔ぶれにハッと乾いた笑いが漏れた。


『中流階級である私にゴミを投げつけられて、文句も言わずに諦めるんですよ。これが普通だって、蔑まれるのが当たり前なんだって』


こんな血の気の多い奴らがどうして文句も言わずに諦めるのか。あの女は知らねェのか?


下流階級の人間が上の階級の人間に逆らって傷を負わせたのが見つかれば即射殺される。

まともな神経持ってる奴は、わざわざ自分の命が一瞬で奪われるようなリスクは犯さねェだろ。


まあそもそも現行犯で無ければ射殺も無ェし、碌に証拠集めもしねェ警察だからな。隠れてブッ殺す奴なんていくらでもいるが…


今までゴミ投げてきた奴らが黙って引き下がるタイプのハズレばっかで、命拾いしてんのも気づかねェクソガキが。

俺の脅しで少しは大人しくしとけっつーの。


「ねえ、橘が今日は一段と人の話聞かないんだけど谷さん何かあったの?」

「ああ、バンビみたいな彼女が出来た」

「バンビって何、兄ちゃん」

「たぶんイヤラシイって意味だよ。無視しな」

「テメーら…」


突っ込みどころしかねェ会話に、呆れて否定するのが遅れる。

誤解なんでやめて下さいと言おうとして開いた俺の口は、感慨深げに頷く谷さんの言葉に遮られた。


「あんな小さかった橘がなぁ…でっかくなって、あんな可愛い彼女作んだもんなぁ…父さん感激しちゃった」

「兄ちゃん、バンビって可愛いって意味かもよ」

「シッ、南にはまだ早いよ耳塞いでな。橘みたいなエロい人間になっちゃ駄目だよ」

「藤は後でブッ殺す」


黙れという意味を込めて、モタモタ食っていた藤のパンを引っ手繰る。

そのまま膝の上に乗っている南の口へ突っ込んで、南の頭上にあるヅラを谷さんの方へと投げ返した。


「谷さん何度も言ってっけど彼女じゃないんで」

「みなまで言うな。あれだろ?もうちょっとで彼女なんだろ?密会してたしな」

「密会じゃないってこれも言いましたよね」

「橘さん!ってハート飛ばしてたじゃねェかあの子。父にはわかる。隠すなよぉ橘ぁ」

「……。」


父、父、と繰り返す谷さんに俺はよく言葉が詰まる。


谷さんには確かに幼い頃から世話になった。

ただどこかで、本当の父親ではないだろうって感情が顔を出して素直に喜べない自分がいる。


下流階級の施設にいるここの住人は、藤と南以外に本当の血縁者と言われる家族は1人もいない。


家族ごっこをしたがる谷さんの想いが、どこか虚しさを助長させているような気がして、いつもどこかで否定したくなり言葉が濁る。


「俺は良い子そうだと思ったなぁ…。優しそうな子で、似合いのカップルって感じで」

「……。」

「なあなあ、谷さん!ゴホッ、俺の話も聞いて!俺も今日ゴミ山でバンビみたいな子と手繋いだんだぜ!」

「本当か?!」

「ゲホッ、内緒の話な!こっち来て!!」


俺の膝から谷さんの膝へと移った南が、満面の笑顔で甘えだす。

血の繋がりが無くても父親のように谷さんへ接する南は、純粋で、穢れの無い違う階級の子どものように見えた。


「フッ…南が羨ましい?」

「…何が」

「そんな目して見てたから」

「……。」


どんな目だよと虚勢を張って開こうとした口が、またゆっくりと意思とは反対に閉じていく。

自覚があった分、わからないフリをすれば余計に虚しくなるような気がした。


「…あいつはまだ、この環境が普通だって思ってるから笑えんだろ」

「この環境って?」

「言わせる必要あんのかよ」


谷さんと手を繋いで、再び笑顔で大部屋を出て行く南の姿を遠くに眺める。

完全にいなくなったことを目で確認した後に、続きを促す藤へ溜息混じりに返事をした。


「まだ小せェのに、意味もわからず人間の死体も混ざったゴミ山で毎日ゴミ燃やして働いてる環境。喘息持ちのくせに埃だらけの場所にしか住めねェ環境。身体が弱ェのに通院すら滅多にままならねェ金のねェ環境。それから」

「言い出したらキリが無いよね、ほんと。でもさ橘、見て?南はたぶん、そろそろちゃんと気づき始めてる」


差し出されたクシャクシャの紙のようなゴミ。

それを受け取って少し開けば、元は写真だったのか仲の良さそうな上流階級の家族が写っていた。


眉間に皺を寄せて、これは?と目線で問えば、南が昨日ゴミ山で拾った物らしいよと口にする。

伏し目がちに教えられた内容へ、チッと舌打ちをしながらゴミを返せば、藤は覚悟を決めたように強い目で前を向き始めた。


「…それでも南は前を向いて笑ってるんだよ。南はまだ、未来を諦めてない」


藤に強い眼差しが戻った直後、タイミングを計ったように谷さんと南が部屋の入り口に姿を現す。

ひどく咳をしていても、楽しげに笑いながら生きようとする南を見て、藤が声を張りながら叫んだ。


「だから僕も、諦めないからね!」


隣で叫ばれた言葉を耳にした瞬間、また昼間起こった出来事が頭の中に浮かんでくる。


『これが普通だって、蔑まれるのが当たり前なんだって…そんなの、おかしいじゃないですか』


頭に響いてきた内容には、未だイライラが抑えられず舌打ちをした。

これが普通なんだと、生き残ることに必死で現状に気づきもしなかったガキの頃の自分が、まるでおかしい奴だと否定されているような気がして…


何も知らねェお前なんかに、学校で下流階級を習っただけのお前なんかに、俺達の何がわかんだよ。

そう、叫びたくなった。


「……橘、今日舌打ち多いね」

「…うるせ」

「ほんとに何かあった?…まさかほんとに彼女?僕、運転だったからなー。今度は小まめに外に出て確認しよっと」


俺の睨みに気づかないフリをして藤が立ち上がり、咳をする南の背中を摩りに行く。

それと入れ違いに戻ってきた谷さんが、さっきまで南に向けていた笑顔とは正反対の表情で呟く。


「今、掲示板見てきた…」


明日は下流のゴミ収集だ。


そう教えられた明日の仕事内容に、ギリッと奥歯を噛み締める。

そうッスか…と返事をした後、谷さんが南と藤の元へ行く背中を見送った。


南の明るい笑い声が聞こえてくる度、脳内に響いてくるのは…必死で訴えかけるようなあいつの声。


『変えたくないですか?現状を…今の生活を』



「うるせェよ」



自分の声で掻き消して、また響いて来ないように体を動かして立ち上がる。

咳をしながらヅラを奪い取る南へ止めとけと盛大に笑って、静かに藤へ歩み寄った。


「橘、谷さんが掲示板見たって。…明日こそ僕が収集変わる」

「やめとけ。吐くぞ」


ぐっと込み上げてきたモノを飲み込む素振りをして顔を青くする藤に、フッと笑いが漏れる。

威勢よく諦めないと言っていた時とは対照的で、思わず腹を抱えそうになった。


「…お前は大人しくいつも通り運転してろ」

「でも橘…」

「任せろよ」


俺は5歳からやってんだ。……もう慣れた。



南に聞こえねェように発した俺の声は、妙に無感情で…体中の全てが、麻痺しているみたいだった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?