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No.2 第1話『クソガキ』- 2



俺へ投げようとしていたゴミ袋を両手で頭上へ持ち上げたまま、女が笑顔で停止する。

ベランダにいる女へギロッと睨みを利かせると、更に笑みを深めてベッと舌を出された。マジでぶっ殺すぞ。


「こういう嫌がらせ行為を何度もするのやめてもらえますか」

「前の汚いペットボトルは私が捨てたんじゃないですよ。言いがかりです」

「じゃあこれはお前だな」

「墓穴掘っちゃいました」


誘導尋問なんて卑怯です…と小声で抗議してくる相手へ眉間に皺を寄せる。

墓穴やら誘導尋問やら言葉の意味はわからねェが、こいつがアホだということはよくわかった。


俺の記憶が定かなら、前に歳は18だって言ってたよな?

このアホが俺と同い年…?


中流階級は俺らと違って学校行けてんだろ。学校で何を学んでんだよ。

変な言葉の言い回しだけか?


「お前ほんとは階級偽ってんだろ。絶対無学歴の下流階級」

「えー、そんなこと初めて言われましたよ。上品過ぎて上流階級の方ですかー?とはよく言われますけど」

「いいからそのゴミ早く下ろせよ!!いつまで持ち上げてんだ、ぶっ飛ばすぞ!!」


どうでもいい話を遮って、さっきから頭上にゴミを掲げたまま投げる素振りを解除しない女へキレる。

未だ投げる照準を俺の頭に合わせようとする相手へ、盛大に舌打ちをしながら近づきゴミ袋を奪い取った。


「お前が女じゃなかったら、とっくに収集車へ投げ入れてブッ殺してる」

「へー、亡くなった下流階級の人達みたいにですか?」

「あ゛?」

「上流や中流階級は一般的な納棺やお葬式なので知ってるんですけど、下流階級はお金が無くてゴミ処理作業員が遺体を処理するって習いました。詳しい方法は教科書に記述されてませんでしたけど…」


遺体の処理方法も、ゴミと同じ方法で処理するんですか?


そう笑顔で問われた瞬間、ブチッと自分の頭から音が聞こえた。

持っていたゴミ袋を投げ捨てて、代わりに小柄な女の胸ぐらを掴み上げる。


ベランダの外から勢い良く掴んだ拍子に、一瞬女の片足が浮いた。

それを気に留めることもなく、ドスの効いた声で相手の目を見て呟く。


「下流を蔑んで満足かよ、中流ごときが」

「ふっ、その言い方だと私が上流ならOKってことになっちゃいますよ」

「減らず口ばっか叩きやがってクソガキが。舐めてんのか」

「まさか。胸ぐら掴まれてビビリ倒してますよ」


笑顔のままで言ってのける女を見て、更に眉間へ皺を寄せる。

その数秒後、胸ぐらを掴んでいる俺の手へ震える女の手が触れて、ぎょっとして突き放すように手を離した。


「……。」

「ね?ビビってたでしょう?」

「…お前、何がしたいんだよ」


俺に恐れながらも、笑顔を絶やすことなく会話を続けようとする女へ違和感を覚える。

ただひたすら下流階級の人間を蔑んで差別し、日頃の鬱憤を晴らしたがるクソみたいな奴らなんて五万といる。


でも何故か、目の前にいる女は不思議とそうじゃないってこの時わかった。

震えながらも必死で話を続けようとする姿が、まるで何かを訴えかけているようにも見えた。


「下流階級の遺体の処理方法を聞かれて怒ったでしょう?」

「……。」

「私達中流階級や上流階級の人間は、一部の人しかその方法を知りません。だって学校で習わないし、実際に現場を目で見るなんてことは無いもの」

「…だから何なんだよ」

「ゴミを投げつけられてあなたは怒ったでしょう?でも普通の下流階級の人は違います。諦めるんです。中流階級である私にゴミを投げつけられて、文句も言わずに諦めるんですよ。これが普通だって、蔑まれるのが当たり前なんだって」


そんなの、おかしいじゃないですか。


そう言った女の表情が、初めて笑顔以外の表情へと変わる。


眉は垂れ下がり、困ったような悲しむような…何とも表現しがたい表情へと変わって、その女の顔を見た俺の心臓は、気持ち悪いくらいドクッと大きく脈を打った。


「変えたくないですか?現状を…今の生活を」

「は…?」

「あなたもおかしいって、嫌だって思って、私に怒ったんですよね?こんな扱いを受けるのはおかしいって」


今度は女の方がベランダから身を乗り出して、俺の胸ぐらへと手を伸ばす。

両手で掴み、精一杯の女の力で引き寄せられて、至近距離から両目を射抜かれ呟かれた。


「やっと見つけたんです。本気で不満を表して、怒ってくれる人…あなたを」

「ッおい!近ェんだよ!!離れろ!!」

「あなたさっき私にしたじゃないですか!ちょっ、暴れない、で…わっ!!」


女の瞳に自分が映っていることを認識した途端、あまりの近さに苛立って腕を振り払う。

その拍子にバランスを崩した女がベランダから落ちかけていた。


「何なんですか!あなたはやって良くて私はやっちゃ駄目なんですか!不公平です!」

「黙れ!……二度とすんなよ」

「あ、ちょっ!まだ話は終わってな…ちょっと!」


投げ捨てた女のゴミ袋を引っ掴み、背中を向けて歩き出す。

また話を強制的に終わらせて立ち去ろうとする俺へ、女は先週とは違い必死に止めようと叫び続けていた。


「待って!私の名前はシオンです!もしあなたが現状を変えたいと思うのなら!また、私の所へ来て下さい!」

「……。」

「必ず!来て下さいね!!キレ症のガキんちょ!!」

「橘だクソガキ!!」


振り向きざまに中指を立てて、足を止めずにズンズンと歩みを進める。

収集車の後ろでゴミ袋を投げ入れていた谷さんが、戻ってきた俺の表情を見て心配そうに口を開いた。


「……何かされたか」

「別に!大したことねェッスよ!」


手に持っていたあの女のゴミ袋を乱暴に収集車へ投げ入れる。

それを見た谷さんがそうか…と小さく零した後、何とも言えない表情で呟いた。


「橘、言い辛ェんだがな」

「…何ッスか」

「お前落ちてたゴミ拾ったか?」


片手で顔面を覆い、勢いよく真上を向く。

あ゛ーッと叫びたくなる衝動を抑えて、深呼吸をしてから谷さんの方へ振り向いた。


「無かったんで」

「橘…」

「谷さん仕事のし過ぎで幻覚見たんですよ。落ちてなかったんで」

「橘、あのな」

「その代わりこんなでっけェゴミ見つけられたんだから良かったじゃないです…か」


会話途中でずっと俺と目が合ってなかった谷さんが、俺の真後ろを指差す。

疑問に思った俺が振り向いた時には、満面の笑みでペットボトルを持っているあの女が立っていた。


「橘さんったらー、あわてん坊ですねー。忘れ物ですよ?」

「…!!」

「絶対また会いに来て下さいね。約束です!」


誰がお前なんかに…と口を開きかけた瞬間、谷さんの表情に視線がいく。

10代女子のように両手を口に当て、キャーッと気持ち悪い笑顔で花を咲かせていた。


「橘ぁ、おまえー、遅いと思ったらそういうことか!」

「違う」

「お仕事中にすみません、私が引き止めちゃって」

「どんどん引き止めてやって!こんな可愛い子と密会してたとはなぁ、そりゃお前ゴミも忘れるわ」

「違う」

「ありがとうございます!じゃあまた遠慮なく密会させていただきますね!ね、橘さん!」

「おお!ここ来た時はゴミ収集、俺に任せな橘!」

「……。」


違うっつってんだろクソがッ!!!



ムカつく女とオッサンの花が飛び交う中、俺の叫び声が住宅街へと虚しく響き渡った。

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