もしも、神様が1つだけ願いを叶えてくれるなら、俺はあいつに会った最後の日に戻してくれって頼むだろう。
それが例え命を奪われる契約だったとしても、地面に頭を擦りつけて頼み込むだろう。
あの場所、あの空間、あの一瞬。そこへ戻してくれさえすれば、後はもう何もいらねェから。
これ以上、我がままを言うつもりも泣き叫ぶつもりもねェから。
あのクソ生意気な小さな背中に、好きだって言うチャンスをもう一度だけ下さい。
第1話『クソガキ』
「おい、橘!時間だ、行くぞ」
「…ウッス」
生臭い大型車の後方。そこの腐りかけた鉄へ掴まって中流階級の住宅街へと移動する。
今手を離してしまえば後ろから走ってきた車に轢かれてあの世逝き。
そんな環境でも13年同じことを繰り返していれば容易に眠気が襲ってくる。
「目覚まさねェと落っことされんぞ!夜中に何やってんだ?女遊びか?」
「谷さんこそ頭押さえてねェとカツラ飛んでいきますよ」
「…!」
閉じかけていた目を薄らと開けながら言い返す。
収集車後方の脇に掴まっている谷さんは、40代後半くらいで少々ハゲ気味。
気にしてたのか今日から何食わぬ顔でカツラを着用してきてて、早朝から吹きそうになった。
どこのゴミから拾ってきたんだよ。
カツラに触れないで黙っててやろうと思ってたのに、谷さんからからかってきたのが悪い。
「バ、バレてたか…」
「え、逆にバレねェと思ってたことにビビりました」
「橘お前敬うって言葉知ってるか?」
明らかに顔を顰めながら言ってくる谷さんを無視して欠伸をする。
ふわーっと口から声が漏れたその時、中流階級の住宅街が見えてきた。
あー、だるい。谷さん1人でやってくんねェかな…
キーッとブレーキをかけて車が止まったのと同時に、2人で車から飛び降りる。
汚ねェ仕事場。異臭の漂う空間。
この道路の至る所に固めて置いてある汚物。それを回収して車の後方に投げ入れる。
ガシャンッと音を鳴らして機械が物を潰しだす。それを眺めてからもう一度車へと飛び乗った。
中流階級のゴミ収集は遺体がゴミとして出ることは稀で、まだマシな方だが…それでもこんな仕事をしてて、良かったことなんて1つもない。
言わなきゃ殺すって言われても綺麗事すら出てこねェ仕事。
ひたすらゴミを掴んで投げて回収して、最低限の飯食って汚い床で寝る毎日。
何も自分の人生について希望が見い出せなかった。
あいつと、出会うまでは…
「谷さん、これラス1」
「おー、了解。向こうの方に転がってるペットボトル見えるか?あれ取って来てくれ」
「心の綺麗な俺には見えねェ」
「そーかそーか、見えねェか。手繋いであそこまで連れてってやろうな」
「あ、見えました余裕で取ってきますね」
危うく手を握られそうになった瞬間、谷さんをかわして走りだす。
小さいマンションの隣に生い茂った草や木々。そのちょっとしたジャングル状態の所にペットボトルが落ちていた。
誰かが飲んだ後に投げ入れたのか?
つーか谷さんもあざとく見つけんなよな。歩くゴミ収集車か。
ブツブツ文句を言いながら辿りついた目的地でペットボトルを拾い上げる。
はあっと一際大きな溜息が零れた瞬間、すごい衝撃と共に体へ激痛が走った。
「痛ッてー!!!」
鈍い痛みを頭に感じた時にやっと現状に気付く。
ゴミがぎゅうぎゅう詰めにされてるでっかい袋。そのゴミ袋がマンションの方向から俺の頭へ向かって誰かが投げつけてきた。
バッと頭を上げて誰がやったのかを確認する。
見つけたらゴミ収集車に投げ入れてブッ殺してやる。
そう思っていたのに1階のベランダから顔を出した人物を見て、ハ…?と奇妙な声が出た。
「良かったー、間に合わないかと思いました。それも持ってって下さいね」
想像してた男とは全然違う。小柄で、容姿も幼く見える女だった。
自分よりも明らかに年齢の低い子どもに投げつけられて、汚い言葉で罵れなくなる。
なんだこいつ…。つーか謝れよ子どもでも。
「次からは時間内にゴミ出しといて下さいね」
「面倒臭いのでゴミの日ここに取りに来てくれませんか?」
「来るかよクソガキ。親はどうした」
「1人暮らしです。あなたは下流階級の施設で親に甘えて生きてるんですか?駄目ですよーそんなことしてちゃ」
よーし、抹殺決定。クソガキ殺す。
営業用の笑顔で接していた顔に殺意を浮かべる。
その俺の顔を察したのか、向こうもにっこりと笑いながら口を開いた。
「怒った顔も子どもっぽいですねー。私より年下だったりします?」
「ああ゛?んなわけねェだろ」
「クソガキって言ってましたけど私もう18ですよ?」
「じゃあなクソガキ死に晒せ」
会話を無理やり終わらせてその場を立ち去る。
イライラが最高潮に達しながら思うことは、この仕事や階級制度への嫌悪感だった。
悪臭がするペットボトルを右手に、クソガキが投げたゴミ袋を左手に持ちながら収拾車へ向かう。
クソガキが投げたゴミ袋からは何故か悪臭がしなかった。
その時はイライラもあって、特に気に留めることもなくいつも通り車の後方へ袋を投げ入れて仕事に戻った。
次の週、真夏の暑さに汗を滲ませながら収集車に乗った。
この時にはすっかり先週の出来事は忘れていたし、あいつのことなんか気にもしていなかった。
けど同じ収拾場に着いた瞬間、また谷さんに声をかけられる。
「橘、悪いな。またゴミ落ちてるわあっち」
「……。」
誰の仕業かくらいはすぐにわかった。
先週、俺の顔面にゴミを投げつけてきやがったクソガキの仕業。
俺が拾いに行けばどうなるかくらいは予想出来る。
例の場所まで辿りつき、ゴミを拾う格好をしてみせた瞬間…
「おいコラ」
「あ…!バレちゃいましたか」