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064 -夏休みデート:花糸かすみの場合(2)-


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 ぐるぐると。

 浮かんだたくさんのハテナたちに気を取られて、道中で何を話していたのかはうまく思い出せなかった。

 ただ脳裏に過るのは、頼んだパフェ。澪ちゃんがいい、なんて言葉と、それを発したかすみの赤らんだ頬。すこし俯けた視線が、ぱっと一瞬持ち上がって、逸らされた時のあの表情。



「あ、――澪ちゃん」


 と。

 かすみの声が、意識の外から届いて。同時、ざらりと湿った風が日傘の下を吹き抜けて、深い潮の香りが鼻腔を満たした。瞬きをすればようやく目に飛び込んでくる、目的地。

「……ついたみたい」

 その言葉にうん、と小さく返事をして。

 気のせいかもしれないけど。かすみの声はいつもより少しだけ静かで、少しだけ浮き上がりそうな、その後ろに何かの感情が隠れているような。

 でももしも、この感覚が正しかったなら、だって、それは。

「えへへ……暑いね」

 周囲をゆっくりと見回したかすみは、ハンカチで柔らかく汗を拭いながら、日傘の影で微笑む。その目は一瞬合うけど、するりと逸れて、水平線の先を見る。

 きらきらと波間で輝く日差し。その向こうで海面に出来た暗がりと、その上に浮かぶ入道雲。そんな海の景色を見つめられるここは、ハート型を模した石の置かれた、海沿いの小さな公園。ここ近辺では定番のデートスポット。

 かすみの話だと、恋が叶う、とかなんとか。


「…………」

 買い足してた水を手に取って、バス停からの十分くらいで失った水分を補給した。公園の中央にその石はあって、すぐ傍に立った看板に、書いてある由来を眺めたり。

 そうしている間もずっと、思考のほとんどを埋めているのは、かすみのこと。

 恋をしている、らしいこと。

 このスポットについて説明してくれた時のあの表情も、その後に見せた赤い頬も、声の上擦りも。今まで見たことのないもので、でもその真剣さまでも伝わってくるようで。

 当然、ファンクラブだってあるんだし、そうじゃなくてもこれほど魅力的なんだから、かすみに惹かれる子はたくさんいて。かすみが同じように誰かに惹かれて、恋をしてても不思議はない。そういえば昔から恋愛ものは大好きだし。憧れているような言葉だって、何度も聴いたことがある。何ならほんとはそういう相手と過ごせるはずなのに、私が時間を取っちゃってごめんっていつも思ってたくらいなのに。

 なのに。やっぱり、動揺したのだ。

 幼馴染で親友の彼女の、知らない表情に。


「……秘めた想いを、届ける……」


 ぽつりと。眺めてた案内板の一文を、かすみが読み上げた。その横顔には緊張と、すこしの期待と切なさが同居しているようにも見えた。

 きっと。

 幼馴染が恋をした。それだけでも十分動揺しただろうし、飲み込みかけの状態のまま、今日のデートを過ごせただろう。

 恋の相手はどんな人なのかすごく気になってるし、きっと余計なお世話なんだろうけど、あまり相応しくないと感じてしまう相手なら、親友として忠告くらいはしちゃいそうだ、とか。色々、要らないことを思ったりして、でも詮索されたくないだろうって呑み込んだりして。

「……叶うかなぁ」

 かすみはそうしてはにかんで。私はそれに、うん、と曖昧な、共感か応援かもわからない相槌を返しただけだった。

 ハートの石にそっと手を当てて。すこしの臆病も交えながら、彼女は真剣な顔で目を瞑る。そうして祈るといいらしく。観光のために作られたものだから、由緒正しい場所とかでもないけど。

 たとえ願掛けに縋らなくても、かすみならきっと叶えられる。でもそうして遠回りしながらも段々想いに近づいていくのも、それはそれでかすみらしい。そんなことをそのまま言葉にして伝えられて、恋を叶えたい親友を、ちょっとだけ寂しいような心地で応援できたと思うのだ。花糸かすみが知らない誰かに恋をした。そう思っただけだったなら。



『澪ちゃんとが、いい』



 あの時。

 かすみの浮かべていた表情。

 一瞬、どきりとしてしまった。動揺してしまった。そのまま勘違いしそうになった。

 私のことが好きなのかとか、思いそうになった。

 もちろん、ちゃんと他に思ってる相手がいるから、ただいつかのために、あーん、なんて甘酸っぱいことを練習しておきたかったとか、そんなとこだとわかっている。少なくとも私が知ってるかすみなら、私に恋をしてたとしても、そんな相手とカップル向けのパフェを頼む、なんてとこから躊躇するだろうし。

 だからきっと違うんだけど。

 違うのだって、わかっているけど。



「み、……澪ちゃん、もうちょっと近づける?」

「うん、……えっと、こう?」

「う、うんっ、…………」

 写真を撮ろうって話になって、横並びで普通に一枚撮ったあと。かすみはスマホの画面に集中してて、差した日傘の薄影の中では、頬がどんな色かはわからない。

 言われた通り。半歩、かすみに近づく。かすみはびくりと肩を跳ねさせて。私から近づいた距離のさらに半分だけ、彼女もこちらに近づいて。

 いつもならきっと、特に何も感じない距離のはずだった。でもあんな勘違いをしかけたからか変に動揺してしまってて、かすみの持ってるスマホの中で、私の表情はわずかに強張って見えた。いやま、かすみも構図調整に集中してるからか、ちょっと硬い表情で、画面越しには同じように見えてたけど。

 もうちょっと待ってね、のかすみの言葉。撮る準備が完了するまでのわずかな猶予でどうにか心を落ち着けて、何とか自然な微笑みに入れ替えてみる。平常心。そう、ただ友達同士の思い出を残すだけだし、確かにこのくらいの距離感の方が、画面の中の収まりもいい気がするし。言い聞かせても、意識すると潮に混じって届く髪の香りとか、触れ合った肩の華奢さとか、夏だと少し暑苦しいくらいの体温とか。そういう色々に邪魔されたから、結局にこっとしてみた笑みも、アイドルとしてデビューしたばかりの時期と同じくらいにぎこちなく。それを思い出してようやく、くすりと自然に微笑めたけど。かすみも気を取り直すように笑顔を浮かべ直して。

 まだすこし強張って見える彼女を、画面越しによく見てみれば。スマホ画面の、日傘の下の表情でも。どこか頬が赤い気がして。

「……」

 いや、さすがに。違うはず。

「撮るね」

「っう、……うん、私は大丈夫――っ」

 答えた声は、一瞬上擦った。彼女の指先が画面をタップした途端に、鼓動がとく、と。かすみが撮る瞬間に、さらに身を寄せてきた。それで鼓動が鳴ったその瞬間が、ぱしゃりと写真に切り取られて。

 画面に、撮れた写真が表示される。かすみはぱっと二、三歩離れて、写真の映りを確かめている。その後ろ姿に何となく目が行って、訊きたいことがある気がするけど、うまく言葉が出てこない。

 暑かった。それはそうだ。夏だから。

 どくどくと鼓動が鳴っていて。ぽたりと汗が頬を伝う。それをハンカチで抑えたら、その下の頬さえ熱を持っている気がしていて。

 混乱、していた。

 恋。してるとするなら。

 かすみに、恋をされてるとしたら。

 そうしたら、私は?



 恋。

 考えて。

 脳裏に、撫子さんが浮かぶ。

 そのことに何より、私自身が動揺していた。



 ■



 お願い。

 帰りの電車の私の心境は、それでいっぱい。

 お昼の暑い公園ではずっとは過ごせないから、その後は近くにあるお土産屋さんに寄ったり、またバスに乗って移動した先の、植物園に向かったりした。

 多分、成功したんだと思う。

 澪ちゃんは明らかにいつもと違って。私がすこし近づいたら、動揺した顔をしてくれていた。

 通じたのかもしれない。意識させられたのかもしれない。

 だから。

 だからもう、戻れない。

 ここから先は、進むしかない。ずっと親友で、幼馴染で、誰より澪ちゃんと仲良しだって、言える場所にはもういられない。

「澪ちゃん、……」

「……うん」

「その、…………」

 膝の上で手を。ほんの少しだけ動かして。指を開いて、弱々しく閉じて。

 繋ぎたい、とは、言えなかった。

「……今日、楽しかった?」

「うん! ……っその、…………いつもとは、ちょっと違った雰囲気で」

「…………」

 どくどくと。痛い。心臓がすごいスピードで鼓動を鳴らして、ほんとはぎゅっと手で押さえたいくらい。澪ちゃんはどう思ってるんだろう。顔を見たいけど見られない。いいって思ってくれてるのかな。嬉しいって感じてくれてるのかな。このまま勢いに任せて告白してしまったら、受け入れてもらえるのかな。

「……もっと、……デートしても、いいかな」

「……う、ん…………うん」

 だから、お願い。

 お昼に触った、ハートの石のことを思い出して。いつかに水族館で買った、ハート型のストラップを小さく握り込んで。

 どうか澪ちゃんに、この気持ちが、届きますように。

 この恋が、叶いますように。


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