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060 -さすがに無理がある-


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「………………え、……これが家?」

「そうだけど……何か文句があるわけ?」

「い、いや……いえ、もちろん、文句とかないですけど」



 城?


 いや。どうやら家の種類から言えば規模の大きい平屋のようだし、天守閣とかはないけれど。

 そういうシンプルな言葉を当てはめたくなるくらいには、重厚な印象が伝わってくる、上に。

「えっと、……あそこの方にあるのは」

「牧場ね。馬を飼っているのよ」

 示した先には立派な厩舎と、広々とした牧草地。

「あれはコンビニ?」

「系列のコンビニね。手伝いに来てくださってる皆様のご要望で設置しているの。敷地の分、中にあった方が意外に便利なのよね」

 なるほど、だからあの辺りには馴染みのチェーン店なんかもあるわけだ。というかここ一応、撫子さん家の庭なんだよね? ていうか、あのよく見るコンビニが知人の家の系列なことあるんだ。私結構お気に入りなんだけど。

「……これは、劇場?」

「ええ。随分昔に建てられたみたいだけど、今も点検は入っているから十二分に現役ね。節目節目に楽団やアーティストを誘致したり、それこそ劇団に公演を依頼することもあるわ」

 示した劇場は、学園にあるものよりも立派じゃないかと感じさせる、三階建てらしい大きなもので。



「いや、…………さすがに桁違い」

「まだ言ってるの?」

「そんなすぐに抜けないですよ、……こんな衝撃」

 8月3日。

 そこは珍しく予定のない日。というより正確には、課題をやるために空けていた日。今回は正に、その目的通りに集まったわけで、だから立派な門を潜ってからのあれこれに浸る間もなく、そう悠長にしていられないからと急かされつつ、応接室の一つらしい部屋に案内されたのだけど。

 広げた課題を半ば呆然と進める中で、何度目かの呟きを漏らしたら、撫子さんが嘆息をする。

「それより集中してちょうだい。あなたの為に集まっているんだから」

「う、うん、……わかってるつもりではありますけど」

「そうだよ澪ちゃん! 集中ルートに入らないと。集中ルートにね」

「あんまり聞かない表現だけど……そうだね、ごめん」


 集中ルートに、か。まぁ確かにさっきまでは、注意散漫ルートだったかもしれない。いやでもこれだけの豪邸を見せられては、同様しても仕方がない。最早建物単体のレベルじゃないし。

 いやじゃなくて、集中、集中ルートに。

 ええと、……ああ、答えは√2か。軽く検算をした後で、次の問題に。



「まぁ、全課題を今日で終わらせられるとは思っていないし、別にそこまで心配していないけれど、精一杯、目一杯、通常課題くらいは失敗しないようにしてちょうだい。ほら、先輩にも付き合ってもらっているのだし」

「う、うん……それはありがたいし、それに今のペースなら、通常課題は確実に終えられると思うよ」


 何か、やたらと押しが強いような。いやまぁ、お誘いを受け続けてるのに、ずっと都合の合わない私がほんとによくないんだけど。撫子さんが一番だけど、かすみも先輩もそれなりに提案してくれていて、そのどれもを断っている。彼女たちのファンクラブの面々が知ったら、恨まれるどころじゃ済まない気がする。

 流石にこれは、本腰入れて取り組まないとマズいかも。精一杯、目一杯。ええと、次の解答はπ、と。



「まぁまぁ、澪くんが忙しい理由については私も理解したから。まさか男装してアイドルやってるなんて思ってもなかったから、直接会わなければ気付けなかっただろうけど」

「う、……一応、直接でも気付かれない自信はあったんですけどね」

 まぁ。撫子さんにかすみと、これまで二人に気付かれている分、その自信も段々揺らいできてるけど。

「ふふっ。もちろん、かすみくんがわざわざ会いたい相手、というのが決め手だったけどね」

「……ご、ごめん、澪ちゃん」

「いや……私こそ、全然会えてなかったもんね」

「まぁまぁ、私も別に言いふらしたりしないしさ、そんなに心配しなくとも大丈夫だよ」

 心底申し訳なさそうなかすみを余所に、先輩は気軽に笑ってみせる。そういうところがかなり心配ではあるのだけど。かつ、と先輩は課題の紙をつつきながら、ふとそこにペンを走らせる。


「いやでも、アイドルって大変だよね。ほら、サインとかもあるんでしょ? 街中で求められてサイン書くってやつ」

「ああ……いえ、大体皆変装しっかりしてますし、書く機会があるとしたらそれこそサイン会とか、ファンに向けてのキャンペーン品とかなので、街なかでは流石にあんまりないですよ」

「うーん……そう? でもさ、サインってこう……サインねぇ」

 かりかりとペン先を走らせながら、先輩は何かを悩むような表情。自分のサインでも考えているのだろうかと思いつつ、ちょっと長めに話し込んでしまったからと、改めて問題に目を落とす。三角関数の絡む問題か、ええと……。


「いやサインねぇ。ほら、サイン……エックス分の一……書いたりね」

「いやさすがに無理ありますから!!!」


 何かおかしいと思ってたけど! さっきから解答書く度に何か覚えあるなって引っかかってたけど!!

 はあ、と撫子さんが深く溜め息を吐いて、私から若干気まずそうに逸らした視線をそのまま細め、いわゆるジト目で先輩を睨む。


「……犬伏先輩」

「ははは。中々難しいね」

「いえ、……やって感じましたけど、ヒントを出すのも一筋縄じゃいかないですし、余計な会話が出る分、澪が普通に解いた方が早そうですわね。正直失策でしたわ」

「あはは……私も結構、無理矢理になっちゃってたね……」

 かすみも苦笑いをして、先輩はけろりと肩を竦める。いやそうだろうけど、やっぱり皆グルなのね。

「どうしてわざわざそんな……」

「どうしてだと思う?」

「…………え?」

 友達同士での遊びなのか何なのか。思ってぽつりと尋ねれば、真っ直ぐに向けられる撫子さんの視線。

「え、…………ええと、……え、じゃあ、早く解いてほしいから?」

「そうね。そしてそれは、何故でしょうか?」

「……………………私の空き日程を確保するため、です…………」

「ご名答!! そうよ、あなたの日程が詰まりすぎてるからこんなことまでしてるのよ!!」

 う、い、いや、それについては確かに罪悪感はあるけれど。だからって直接手伝うと言わずにこんな愉快な形式にせずとも。と思ったけど、直接提案されても断って普通に一人で解いてる気がしたから、口をつぐむ。

「わかったらさっさと解きなさい! ここから先はヒント無しで、単純に澪がどれだけ巻けるかで順位を決めるから! 二人ともそれでいいわね!」

「構わないよ。私はそっちの方が勝ち目があるしね」

「うん、私も澪ちゃん次第で大丈夫」

「順位って何!?」

 動画投稿者の企画とかやってる!? あ、でもドッキリ的な形にアレンジすれば、ショニで動画企画にしてみるのはありかも。既にあるネタだろうから先行研究とリスペクトも必須だし、後で撫子さんにも軽く許可は取って……じゃなくて!!

「ほら澪、あなた次第なんだから!! 五番の課題は最速で終わらせなさい!! 駆け抜けて!!」

「澪ちゃんっ、自分のペースでいいんだけどね、八番が早く終わると嬉しいかも……」

「私は六と七をオススメするよ。何なら二人で分担しようか?」

「あーもうわかった、わかりました!! 全部すぐに終わらせますから!! 集中するので見守っててください!!」

 どの問題を早く解いても気まずすぎる! というか、どの問題に時間をかけるのも気まずすぎる、というわけで。背水の陣。窮鼠猫を噛む。火事場の馬鹿力というか、とにかく周囲から圧をかけられ続けながらも全力で走り抜けて通常課題を終え、追加課題も何故か分担が決まったようでそれぞれに応援を受けながら取り組み、昼食もしっかり味わいつつも三十分で完食して、気が付けば追加課題までもが、夕食の一時間前には完了していた。



「っはぁ、……はぁ……! み、澪……あなた、……想像以上だったわ」

「み、みおちゃっ……すごい、……さすがだねっ…………」

「あはは! 応援だけでここまで疲れたのは初めてだ」

「っ、………………」

 いや、先輩は、全然疲れてなさそうですけど。

 と返事をするのも難しく、いや、何かこれ本当に全力疾走してたみたいだな。そんなことは流石にないけど。でも撫子さんもかすみもヘロヘロのようだし、それぐらい疲れたのは間違いない。

「あのっ、……ありがとう、ございますっ……」

 息を切らしながらもどうにかお礼をする。まぁ急かされたのはそれとして、とはいえ一緒に過ごしたいと思ってもらえることは本当に嬉しいし。前に先輩にも言われた積極性のことを、ここ最近はすごく後回しにしてしまってた。っていうのを、ここまで全力で応援してもらいながら、ひしひしと感じたわけで。

「順位、……仕乃に、出してもらってるから……」

 息を整えながら、お手伝いさんから紙を受け取った撫子さんはなんでよと一言叫んだ。示された順序は、三位が撫子さん、二位がかすみ、一位が先輩。

「あはは。まぁまぁ、追加課題まで終わったのなら、そこまで時間は変わらないんじゃないかな?」

「それはそうですけど、納得はいきません! いえ、勝負ですから文句は付けませんが……!!」

 半分文句ではと思うようなそんな叫びを漏らした撫子さんは、ぶんぶんと首を振ってから、溜め息を吐きだした。

「じゃあ、……覚悟はいいわね、澪! 今度こそ、皆と予定を合わせてもらうわよ!」

「う、うん、……空いたから大丈夫、だけど……えっと、四人で遊ぶんじゃなくて?」

 折角三日も空いたのだし、その分を皆で時間を過ごすのが一番いい気はするんだけど。

 と。いい提案をしたと思ったのに。撫子さんはやれやれというように首を振って、先輩はおかしそうに吹き出すし、かすみまで苦笑いをしてる。

「はぁ、もうこの際はっきり言うわ。いい?」

「え? い、……いいですけど」


 コホン、と咳払いをした撫子さんは、すこしだけ気恥ずかしそうにしながら、こう告げてきた。


「予定が空いたのだったら、……わたくしたちそれぞれと、デートしてちょうだい」


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