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059 -ほんのわずかに-


「図らずもそれっぽくなっていますわ」

 淡々としつつも面白がっている雰囲気の先輩に、素直に頷いてみせる。

 ちなみにホログラムには、仕乃がノリで作ったサムネイルが表示されている。

「これからわたくしたち全員で、通常課題を分担します。それぞれお手伝いさんたちの協力である程度回答時間の予測を出していますから、公平になるように配分しましょう。一人当たり、普通に回答すれば三時間ほどの分量になりますが……これをどれだけ短縮できるか計測するので、貢献度順で澪との自由時間の分量を調整しましょう」

「………………なんか、……桜条さんって、すごいよね」

「本気で取り組みたいだけですわ」

 もっとスマートな方法もあるだろうけれど。ちなみに当然、お手伝いさんたちには臨時手当を出してある。

「夏休みは有限ですし、その半分ほどがもう終わっています。悠長にはしてられません」



 実のところ。

 澪が好きだと自覚して以降、長期休暇に入る前から、夏にやりたいことをいくつも書き出して、何度も誘いをかけたりもした。なのにいつも正当な予定が先にあって、肝心の澪が全然捕まらない。アイドル活動のことを考えれば強くは言えないし、何だったら私も推し活で予定は埋まり気味だし、本分である学業にしてもあの子のコースは登校日もそれなりにあるしで、七月は空虚に終わったわけだ。

 その失敗を経た以上、せめて確保できる可能性がある箇所は、確実に確保する。


「……でもこれ、澪くんが通常課題を終わらせた後は、私たちはやることなくなるのかな?」

「ええ。ですから、残りの時間は好きにしてください。澪とどう過ごすかのプランを検討するのがおすすめですわね。ところで……」

 犬伏先輩に返答しつつ。

 あとは、課題を分担するくらいなんだけど。

「………………犬伏先輩の、それは?」

「うん? あ、このペンライト?」

 それはそうでしょう。

 いや知っている。当然わかっている。見覚えのありすぎる推しの色が、薄暗がりで発光している。綴られたロゴはAudit10nEE。前回の七夕ライブの時に記念グッズとして販売されたLED式のペンライトで、元々そこまで大きくない事務所の所属だから、こういうコストのかかるグッズは去年まではあまりなかったのだけど。売れてきた今、恐らくこういうグッズも展開していくだろうと見込まれていて、ファンの歓喜と悲鳴とが聞こえてきている現状を象徴するようなアイテムで。

「最近推しになったから、買っておこうかなと思ってさ」

「…………ちなみに、推し始めたのがいつか、お伺いしても?」

「一昨日だね」

 一昨日。って、今日の勉強会を提案した日じゃない。

「……お一人でお気付きになったのでしょうか?」

「一目見てわかったよ。会うきっかけをもらってね」

 す、と花糸さんが気まずそうに目を逸らしたのが見えて、小さく嘆息。まぁ、そういうことでしょう。

「……別に、抜け駆けしてはいけないなんて、取り決めていませんものね。手段は選ばないとわたくしも言っていますし」

「あ、あの…………」

「いいですわ。その上で勝つつもりですから」

 そもそも、わたくしだって散々澪に誘いをかけているのだし、今は遠慮してあげてるけど、その気になれば写真で脅せるのだし。まぁそっちに関しては、多少今更感もあるけれど。

「ただ、……澪と伶くんが結び付かないよう、注意はしてあげてください」

「それはもちろん! ……もちろんっていうか、……ごめんね、気を付ける」

 思い返して反省してるのか、すこし俯きつつ頷く花糸さんに、いいのと首を振って見せる。まぁ、犬伏先輩に関してはその内気付くだろうと思っていたし、しかたないとして。夢中になって澪に迷惑をかけてしまっては、恋愛どころの話ではなくなる。

 と言いつつ。勉強会の裏でこんな作戦会議を開催しているわたくしの言えたことではないけれど。


「さて。それはそれとして……あらためて、分担を決めましょうか」


 それからは、澪が来るまで課題の分担を話し合い。案外すんなりと分け合いながらも。どことなく、二人の違和感が気にかかっていた。

 表現にすこし迷うけれど。気のせいでないのなら。


「かすみくん、ここの回答念の為見せてもらってもいいかな?」

「……私より、桜条さんの方がいいと思いますけど」

「大丈夫大丈夫……うん? あれ、私と全然違う」

「え? あれっ、……え!? え、えっと、桜条さんごめんなさい、ここ見せてもらってもいいかな?」

「……どっちも違っていそうね」



 本当、どことなく。

 花糸さんと犬伏先輩が、以前よりもほんのわずかに、近づいている気がしている。



 ■



 澪ちゃんを好きになったきっかけはあっても、好きでい続けるのに理由は要らない。好きなものは好き、それだけで、それが覆ることはない。

 だから。



『――かすみ! 大丈夫?』

 それは、幼い頃の記憶。差し伸ばされた手。自分のことは気にせずに、私だけを真っ直ぐ見つめた澪ちゃん。


 と。



『さて、……ちょっと荒っぽかったけど、怪我はないかな?』

 そう軽い調子で笑いつつ、それでもどこか真剣さを感じた瞳。

 あの日の澪ちゃんと誰かが重なる瞬間があったからって、新しく好きになったりなんかしない。



 お手洗い。

 この本邸の風景から、和式なのかなと身構えたら随分ゆったりとした快適な空間で、それはそれで緊張しつつもお借りした後。

 小さく息を吐いて、鏡越しに自分自身を見つめる。

 ちょっと動揺しただけだ。いつも通りの私の顔。ちょっと弱虫で、臆病で、狡くて、それでも澪ちゃんを諦められない。今も自信を持って言える。私が好きなのは素山澪で、澪ちゃんで、それはずっと変わらない。

「……はあ」

 大体。先輩は澪ちゃんと比べても、普段から言動が適当すぎるし。ちょっと遊んでいそうというか。学園でもそこまで隠しているように見えないのに、先輩があそこまで人気があるのはどうしてなのだろう。ううん、私みたいなのにもファンクラブがある以上、そういうものかもしれないけど。

 そんなことより、今は澪ちゃんだ。

 身嗜みを整えると、一気に緊張で胸が高鳴る。一昨日のことは、あの後慌ててメッセージを送って、謝罪とお礼を伝えたくらいで。それにあの時は一瞬で、だから直接じっくり顔を合わせるのは、実は結構久しぶりだったり。

 そろそろ一旦桜条さんの家を出る頃。今来たって風を装って澪ちゃんと先輩と合流して、三人でこの豪邸を訪れる。回りくどいし、誤魔化す割には妙に律儀な桜条さんのやり方は、どうしてか澪ちゃんの真っ直ぐさに似てるようにも思うけど。



「…………」


 まぁ、結局。

 鏡を見つめる視線はぼんやりと焦点が緩んで、一昨日の光景が脳裏に浮かぶ。手を引っ張って、途中からひらりと抱え上げられて。私は羽のように軽いなんてとても言えないと思うのに、ぐらつくこともなく運びきった先輩は、ちょっとはすごいと思ったけど。

 結局、澪ちゃんには叶わない。それだけなのだ。


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