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『あらためて、犬伏先輩と花糸さんもいらっしゃるようですわ』
「…………」
まぁかすみは私も連絡取ったしわかるけど、なんで犬伏先輩まで。
と。練習中に来ていた連絡を確かめて、微妙な心境になっていたら。
「彼女?」
「――わわわっ!? っわわっ、とと!」
ひょい、とかけられた声に思わずスマホを取り落としそうになって、空中で手をあわあわさせる。セーフ。どうにか死守。
「彼女だった時の反応だ」
「違うから!! ……って
「ちょうどこっちの収録終わったから。二人もいるよ」
今日はソロレッスンの予定だったし、このスタジオに他のメンバーの予約もなかった。スケジュールを頭の中で思い出す。
「あ、ああ……そういえば、
「そうそう。伶くんの話も出たよ」
するりとマイペースにレッスンスタジオに足を踏み入れて、当然のように更衣室に向かっていく。
「いや、予約時間までもう三十分くらいだけど」
「それだけあったら十分でしょ。
「……まぁ、いいんだけど」
ここのところ、グループとしての活動や配信以外は、ソロでのレッスンばかりしていたし。複数人での練習は、それはそれで得るものが多い。
「おっまたせー! れーくんどう? やってる? まこっちがせっかくだし寄っていこうって聞かなくてさ~」
「はは、そう言われるとすこし照れ臭いけど……最近、伶は随分頑張っているようだったから、気になってね」
そんなこんなで受付に話を通してきたらしい虎走と海老名も合流。
残り時間の関係上、曲の間に反省や確認、切り替え作業なんかもあるから、できたのは三曲くらいだったけど。
「でもさー、れーくん頑張ってるのはほんとだよなー」
「うん。頑張ってるというか、伶くん、ソロの予定入れすぎじゃない? 僕最初あの予定見た時、普通に入れ間違ってるのかと思ったよ」
「あはは、いや、……オレにも事情があって」
「向上心だろうね。元々伶は努力家だし、何か刺激を受ける出来事でもあったんじゃないかな」
「えー、おれたちに言えない何かが? 気になるけどな~」
流石は虎走というか。Audit10nEEの中でも関わりが多い分、見透かしたようなことを言う。対して素直に気になってる様子の海老名には、適当に笑って話を流した。いや別に言えないことでもないんだけど、ライバルのアイドルを掘り下げられた日には、うまく誤魔化せる自信がない。申し訳ないけど、男装バレのリスクは低いにこしたことはないのだ。
幸いにして、今のところグループの誰にも気付かれていないのだし。
三年も活動を続けているのにバレていないのは奇跡だと自分でも思うけど。特にこの、妙に鋭いリーダーにバレていないのは僥倖という外ない。
と。
『確認したいことがあるんだ。今日この後、すこし時間を空けられないかな』
レッスンの途中。
どうしてか、同じ部屋にいる件のリーダーから、そんなメッセージが投げられていて。
ちらりと視線を向けて、……ぶるり、と背が震える。
目が合った虎走の瞳は、妙に確信的な色を帯びていて、緩やかな笑みでこくりと頷いてみせて。
それでなぜか、猛烈に嫌な予感に襲われた。
やばい。
何かわからないけど、できたらこの連絡は断りたい。
ひじょーに不味い何かがある気がする。うまく言語化できないけど。
「れーくん?」
「い、いや! なんでも……」
「あ、また彼女だ」
露骨すぎた。慌ててスマホを置くと、今度は小鹿がそんなややこしいことを言い始めて。
「だから違うって! 別に彼女とかいないから!」
「その反応が彼女いそうな反応なんだよ、伶くん」
「こう反応する以外にないから!」
いやもっと冷静になればいいかもだけど!!
「ふうん……彼女? 伶、好きな子でもいるの?」
「は、……はぁ……?」
いやいやいや。
今はどう見ても虎走、そっちの連絡で動揺してるのわかるでしょ。面白がるような瞳に、助け船なのか本当に気になってるのかがイマイチ掴めなくて、そんな中途半端な返事になる。
「もし他のメンバーに言いづらいなら、僕だけに相談してくれてもいいよ。リーダーとして、メンバーのことはよく知っておきたいし」
「えー! おれも気になるのに!」
「七緒くんはこの場合ただの野次馬でしょ。というか、伶くん何だかガチっぽいけど、本当に恋愛してるわけ?」
「い、いやいや! 違うってば!!」
恋愛って!
というかこれ虎走、自然な流れでこの後時間作ろうとしてる?
まずい。このまま話の流れに任せていたら、あれよあれよと二人で残される流れになる。経験上わかる。虎走はそういう、話の流れのコントロールが抜群にうまいのだ。海老名はその辺イレギュラーな突飛さを持ってるから、どうにか二人きりを回避するなら彼にかかっているんだけど。
と。
願いを込めてぱっと視線をやれば、さすが海老名。この日も回避する流れを作ってくれて。
「ちぇー。ま、直接教えてくれなくてもいいや。ってか彼女だったらもしかして、外で待ってたりして!」
そして。
それは、とても幸いと呼べるような出来事でもなくて。
「……って! ちょ、外!」
「え?」
「女の人!」
ちり、と。
さっきの比にならないほどの嫌な予感。
言われて咄嗟に窓に駆け寄る、間に海老名は走っていって。
見つめた先。
薄汚れた窓の向こうに、見知った幼馴染の姿と、そこに迫る、野蛮な男が三人。
「――っ……!」
「っ、はっ!? れーくんはやすぎ!!」
何をどうできるとか、どうすべきとか、考える前に体が動く。
怪我のリスクを考えたら絶対にやってはいけない階段の駆け下りも、数段飛ばしも、頭に浮かぶ隙もなく。
「ッ――かすみ!」
ば、と裏口を開いて真っ先に。
「っ……みおちゃ……!」
真っ青な彼女と目が合った。掠れた彼女の声はほとんど音になっていなくて、怯えたその表情に、また咄嗟に体が動く。
「っ……てえなクソ! ちょっと声かけてただけだろうが!」
かすみの腕をぎゅうっと力任せに掴んでたその手を思い切り払って。激昂した相手が乱暴に腕を払う。
迫るその腕が、スローモーションに見える。
分が悪い。三人相手に体格差。本質的には異なる性別の差。ここは真っ向からやり合うよりも、多少受けて相手の気を晴らしつつ、かすみの安全を確保する方がとか、アイドルだから顔は傷付けないようにしないととか、刹那で巡った思考。
その解を出す前に、腕が頬に迫ってきて。
「――てえ!」
瞬間、相手の腕が、反対側に弾き飛ばされた。
目の前には、振り抜かれた足。
にこりと浮かべた、余裕の表情。
「……専門はフェンシングなんだけどね。残念。何でもできてしまうんだ」
「っんだ女かよ! てめッ、急に蹴りやがって、覚悟できてんだろうな!?」
「せ、先輩!? なんで」
「せんぱ……?」
「ふふ! 性格がいいからさ、表情を見てたらつい後をつけたくなって」
モブ丸出しの台詞を吐く、それでも実際に脅威となる暴漢を無視して先輩はそうヒーロー染みて微笑むと、ぱっとかすみの手を取った。その視線が私の肩越しに裏口を見つめて、それでようやく、慌てた足音が迫っていることに気が付いて。
「さて。状況見るに、ここにいるとややこしそうだし、話は後でゆっくりしよう」
「っおいクソ女、逃がすかよ!」
「おやおや、それじゃ正当防衛になってしまうよ、ありがたいなぁ」
先輩の姿が一瞬ぶれて。何をしたのかは全然わからないまま、ずん、と後を追おうとした男が倒れ。残り二人が戦いてる間に、先輩はそのままかすみを連れて走り去り。直後、階段を降りてきた三人が現れて。
「れ、れーくん……え!? これれーくんが倒したの!?」
「い、いや、……え、っと……」
「とりあえず警備員の人を呼んでるから。あなた方も、申し訳ないですが……」
虎走がそう言って残る二人に歩み寄ると、彼らはたじたじになって、倒れた男の方にぱっと飛びついた。
「お、俺たちは関係ないんで! いやまじでただナンパしてただけだから!」
「ほらこーちゃん行こうぜ! っ重た……!」
そうして。慌てて抱え去った後に、虎走に一応確認をしてみる。
「……警備員の人、呼んでくれたの?」
「いや?」
「…………まぁ、……助かった」
「ねーれーくん、何があったのって! ってかさっきの! 彼女さんでしょあれ!?」
うん、もう。大変に面倒臭い。
そういうわけで。
小鹿と海老名には無駄に彼女いる疑惑を持たれてしまい。虎走は奇妙な訳知り顔だし、先輩から中々イケメンだったよと連絡が送られてきたから、観念してショニの話を告げることにして。
裏口周りに新しく防犯カメラを設置して、監視態勢を強化してくれることになったのが、唯一の救いだった。