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何かが。
「――澪ちゃん、今日、クッキー作ってきたんだ。おから使っててヘルシーだから、お弁当と一緒でも大丈夫だと思うんだけど……」
「え、かすみありがとう! 形もかわいいし、……うん! 食べてもおいしい!」
「え、えへへ……いい感じのハートの型、見つけたから……」
と。撫子さんのライブ翌日。昼食時。かすみが焼いてきてくれたクッキーに舌鼓を打っていると。
「クッキーに合う茶葉なら用意があって……淹れたてなんだけど、一杯どう?」
「ひゃっ!?」
「い、犬伏先輩……!?」
す、と目の前に差し出されたティーポットと、カップを載せたソーサー。気配も音もなく、隣には犬伏先輩が。いや。かすみと二人でご飯を食べてるこの屋上、扉が開いたらさすがにわかるはずだけど。
「……え、ええと……淹れていただいたなら、……いただきます」
「澪ちゃん!?」
「かすみくんは、砂糖は二つで合ってたっけ?」
「あ、……合ってます、けど……え? か、かすみくん?」
「後輩に親愛を込めて。澪くん、かすみくんで呼んでいくことにしたよ」
言いながらも。そんなキザったらしい所作が似合いの手つきで、とぽとぽと手際よく。
カップに注がれた紅茶は確かに、優しくほろほろした味わいのクッキーとよく合った。まだ動揺の抜けきらないかすみと、しれっと居座る先輩とで昼食が再開しかけたところで。
――がらっ!
と今度はあまりにわかりやすく、扉が開け放たれる。
「――澪! シェフがお弁当を作り過ぎてしまったから、すこし手伝っていただきたいわ!」
「重箱!? 五段の重箱作り過ぎます!?」
片手で持つのはギリギリに見える、精緻な装飾の施された重箱を堂々と掲げて現れたのは、当然撫子さん。
「ちなみにどれも最高級の絶品ですわ!!」
「桜条さんすみません! 澪ちゃんもうお弁当食べちゃったところで……」
「ねえそれ、私も手伝っていいかな? 運動やってると食べても食べても足りなくて」
「別に皆さん食べていただいて構いません! 残ってもスタッフがおいしくいただきますから」
「あっ、えっ、とっ……え!? スタッフって誰……」
開いた重箱に詰まったのは、名前もわからない、何か高級そうな料理たち。いや寿司とか肉くらいはわかるけど。
「――さあ、澪! 遠慮しなくていいですわよ!」
「澪ちゃん、もう入らないよね?」
「この一番下の段、丸々もらっていいかな?」
何かが。
『澪ちゃん、用事がなかったら今日は一緒に帰りたいんだけど、どうかな?』
『今日は何もないわよね? 放課後空けておきなさい』
『今日は残念、部活なんだけど、見学者向けに席を解放していてね。澪くんが気になったら特等席も用意できるよ』
同日、放課後。全員からほぼ同じタイミングで送られてきた、そんなメールに頭を抱えたり。
何かが。
「あ、かすみ。おはよう」
「おはよ、澪ちゃん……」
「……? どうしたの?」
翌日、木曜。
いつもの待ち合わせ場所で、ちらちらと向けられた視線に首を傾げると。
「あっ、ううん! そ、……の。澪ちゃん、って今日も素敵だよねって思って! あっえっ、えっと、学校行かなきゃね!」
「う、うん? えっと、……ありがとう?」
あれ、いつもとセット変えたりしたっけ。寝癖を指摘できない仲でもないし、イメチェンをした記憶もないし。なんだかしどろもどろなかすみは慌てて私の手を引いて、学校に向かい始めて。
「――お。これは奇遇だね、澪くんにかすみくん」
「え!? 先輩!?」
「……おはようございます、えっと……先輩は、ランニング中ですか?」
すぐに、爽やかな汗を光らせる犬伏先輩に遭遇。素直に驚いてしまった私と対照的に、かすみは冷静に質問。
「うん。ちょうど今日からはじめてね。だけどちょうど終わるところだったし、どうせ学校で着替えるから、……よければこのまま、一緒に登校しようかな?」
「………………」
「え、ええっと……目立たないようになら、いいですけど。かすみは……?」
「……澪ちゃんがいいなら、いいよ?」
「ええと……なら一応、大丈夫です」
「それじゃ、失礼して」
するり、と先輩は私の隣に並んで立って。左隣には天使美少女の花糸かすみ、右隣にはスポーツ万能の犬伏先輩。いやこれ、目立たないという方が無理かもしれない。流石に考え直そうかと思ったところで。
ずお――、と通りの先。鼻先だけで存在感のあるリムジンが、そのまま滑るように近づいてきて、すぐ近くで停車。
いや。
「澪、おはよう。花糸さんに犬伏先輩も、おはようございます。たまたま通りかかったのだけれど、皆さんがよければ、ご一緒に登校なさらない?」
「え、えっと。流石に目立つので却下――」
「なら、降りるわね」
言い終わる前にかちゃ、とあっさり扉を開けて、問答を許さず歩み寄ってくる撫子さん。
とか。
何か、何かが明らかにおかしい。
多分きっかけは、撫子さんのあのライブの後、私の為に追加してくれたショニの新曲、その後にわちゃわちゃ三人で揉めてたことだろうけど。結局あれも有耶無耶なままで、といって三人で何か企んでるというより、競い合っているようにも思えて。
「……」
『会長サマ、リリリ様もちょっとだけ、呆れちゃうかも』
『会長が望むなら、私とリリとで放課後のドキッ。特別授業で詳細にお教えすることもできますが』
他に相手も思いつかず、後輩二人に相談のメッセージを入れてみても、返事はこんな感じだし。
そして、放課後。
夏休み前の最後の週。授業内容も定期試験の答案返却と振り返りが主で、だから椅子にかけた生徒はもちろん、ホームルームの終了を告げる教師の声も、なんならチャイムの音さえも、どこか気怠げな木曜日。
「……」
終業、チャイムの余韻。ざわめきが上がるのすら普段よりすこし緩慢。同じペースで帰り支度を始めた皆を余所目に、――嫌な予感が胸をざわりと騒がせたから、私はぱっと立ち上がる。
迅速に。よどみなく。
荷物はまとめてあるから手に取るだけで、このまま急いで教室を出て――。
――がらり、と。
手をかける前に開いた扉と、向こう側に立つ三人の影。
「澪ちゃん! 一緒に帰ろ!」
「澪、すこし付き合いなさい」
「素山さん、今日は空いてるかな?」
――ぴしゃり、と扉を一旦閉じる。
いや。うん。見間違いの可能性だってあるし。
冷静になるために一度深呼吸を挟んで。もう一度。今度こそ扉に手をかけて。
がらり、と。
「澪ちゃんっ」
「澪……」
「素山さん?」
「――いやもう、皆さん何がどうしたんですか!?」
そりゃ見間違いじゃないでしょうけど!
扉の前に並ぶのは当然、花糸かすみ、桜条撫子、犬伏稜稀の三人で。順に、一度扉を閉めたのを、寂しがるような、訝しむような、からかうような表情を浮かべている。
「えへへ……今日は絶対、澪ちゃんと一緒に帰りたくって……」
「昨日はよくわからない理由で断られたから、直接迎えにきただけよ」
「前に言った通り、木曜なら空いているから……澪くんはどうしてくれるかなって」
「そうじゃなくて!! いやそうですけど!!」
どう考えても頻度とか、圧とかが前と一変している。
と。
「えっ、……あの三人」
「ほんとだ! わ……学園の華が勢揃い」
まずい。
背後で広がるざわめきにどっと冷や汗。これは、不味い。多分浮かんでいた本能的な嫌な予感は、こういう展開に対してだろう。このままでは、私のそれなりに穏やかで目立たない、波風立てない学生生活が危ない。
「澪ちゃんは、私と帰るよね?」
「あら。澪はわたくしの誘いに乗れないのかしら?」
「一緒にそのまま帰宅するでも、お茶を飲むでも歓迎するよ」
「っ――皆で!」
「うん?」
「何よ」
「ふふ……何かな?」
「皆で過ごしましょう! だからほら、行きましょう!! 急いで!!」
「あれ、扉の前のあの子って……確か生徒会長?」
「ほら、花糸さんの幼馴染みの……」
「あ、えっと、……素山さん」
「早く行きますよ!! ほら!!!」