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「っ、…………! ……」
乱れた息は最低限に、うるさい動悸もばれないように。
本当に、一部簡略化はしたけれど、どういう難易度の曲をやっているのか。これを何曲もこなしたライブの中で、一番盛り上がるタイミングにぶつけてくるのだから、本当にプロはすごい、と。
思いながらも。
ぺこり、と頭を下げる。
幕引きの時まで、ライブは続く。
流れる汗も心地よく、頬も自然と持ち上がる。
確信している。現状で、最高のパフォーマンスを出し切れたと。
顔を上げれば、見つめた先の澪はぱちぱちと、全力で拍手を贈ってくれていて。
『以上、……桜条撫子1stライブ! 全演目を、終了いたします』
そうして、――アイドルの時間が終わり。
握ったマイクで宣言すれば、やっと、どっと息を吐いた。
少し、一瞬だけ荒げた息を短く出して、目を閉じる。くらくらと揺れる感覚さえ心地よくて、それでも倒れたりなんてしないよう、踏み留まって、目を開けて。
そして。
そこでぱちぱち……と、控え目な音がもう一つ。
澪がはっと瞬きをして、私の視線を追うように、あるいは音につられたように、体育館の奥を向く。
その先に、唇を強く引き結んで、こちらを睨むように見つめる、花糸かすみ。
――そう。
まだ気は抜けない。アイドルは終わっても、『桜条撫子』としてはまだ、この場に凛と立たねばならない。
澪の視線がこちらを向いて、もう一度花糸さんを見る。花糸さんはただじっと、私に問うように視線を向ける。
かちり、とマイクのスイッチを切った。ざらついたノイズが消えればシンと静寂が訪れて。熱気で溢れてた体育館には、先ほどまでの密度高い音響の余韻もあるけれど。言葉を交わすには、十分な静けさ。
「――宣言するわ」
そう、きっぱりと。
花糸さんへと、まっすぐに。
「以前、あなたに問われたこと。私なりに答えが出たの」
「…………」
「私は……わたくしは、欲張りですの。どちらかではなく、どちらも欲しい。どちらもわたくしの望むもの。恨むなら恨んでもらっていいけれど、気付いたからには譲る気はない」
戸惑っている澪を横目に、花糸さんには伝わるように。
「言っていたわね。同じ気持ちなら、その時はきちんと勝負をすると」
「…………はい」
あちらも、ちり、と冷静さの下に焦げるような熱を伏せて、ただ短くそう返す。
そう。
あなたの覚悟がいいのなら。
「なら――正々堂々やり合いましょう。お互い、手段は選ばずに」
それだけ本気であるのなら、全力を出し合い、ぶつけ合い。
「…………いいですけど。全然負ける気ないですよ?」
彼女はころりと首を傾げる。その唇はいつものような緩い微笑みの一つさえなく、瞳の奥には炎が揺れる。
そうしていただけたのだから。わたくしは寧ろ、優雅に唇で弧を描き。纏うのは王者としての風格。桜条の名に相応しい余裕をたっぷりと湛えて、短く告げる。
「望むところよ」
互い、目を逸らすこともなく、じ、と覚悟をぶつけ合う。
と。
「――あ、その勝負、私も入っていいかな?」
完全な不意打ち。響いた声に、今度は澪も含めての三人共がびくりも肩を跳ねさせて、咄嗟に目を向ける。
二階。体育館の観覧席に、いつからいたのかぽつりと人影。その姿を認めた途端、ざわり、と本能的な警告が発せられる。思わずこほんと咳払いをして。
「……特別公演は、関係者以外のご参加は許可しかねますが」
「うん。けど退場するタイミングを見失っちゃって……あまりに見事なパフォーマンスだったから、つい見入っていたわけなんだけど」
にこにこと読めない笑みを浮かべる彼女は、三年生、フェンシング部の、犬伏稜稀先輩。
彼女はふと座席から立ち上がると、たん、たん、と段を降りた。そして、観覧席と体育館とを隔てる柵に、ゆるりと手を添える。
「――こうなったら、関係者になる以外ないよね?」
「あっ!」
その一言と共に、――先輩の体が、宙を舞う。
いや。危なすぎるし、いかに運動神経抜群の先輩と言えど、この高さから落下して無事とは到底、と。
思う間にすとりと、重力を感じさせない素振りで着地を済ませ、それでもそれなりに距離のあった澪までの距離が、ほんの少しの足さばきで、一気に詰められる。
先輩はそのままドサクサに紛れて澪の手を掴もうとして! ちょっと! 何をしてるの!!
「花糸さん!」
「もちろんですっ……ちょっと、犬伏先輩!!」
「私も混ぜてもらおうってだけだよ! いいじゃない、これで全員仲間でしょ?」
「え!? ちょ、ちょっとかすみも先輩も撫子さんも!! 私だけ仲間外れなんですけど!?」
何がどうしてこうなるのよ!! もうかっこつけとか雰囲気とかもかなぐり捨てて、遠慮なしに距離を詰めようとする先輩と、澪との間に割り入ろうとして、その更に内側に入ろうとする花糸さんと押し合いへし合いしたり、先輩がその隙に澪の手を取ろうとしたり。
そうこうしている内に、澪が本当に情けない顔で、
「えっ、……え? かすみ、え、先輩も……アイドルやるの?」
なんて、本当に心底間抜けに言うものだから、花糸さんと先輩と三人で、一分くらい笑いを堪えたり。
「あははははっ!! ほんっとうに素山さんって愉快だね! あ、澪呼びでもいいかな?」
「あの、私はしんけ――え? い、いいですけ――」
「っふふ、……ってダメ! ダメですっ!! 先輩は素山さんでお願いします!!」
「そうですわ! 急に乱入してきてズケズケと! あなたは何なんですか!!」
「私は澪の大事な先輩だよ?」
そう言ってまた手を伸ばそうとする先輩を、花糸さんと二人がかりで引き留めたり。その間にも澪は目は白黒させていて、その姿を見てると本当に、心からのため息だとか、もどかしさとか苛々とか、馬鹿らしささえも浮かぶけど。
本当に。
なんでこの子なのか、自分でも不思議なところがあるけど。
だけど。
そういう姿さえ愛しいくらい、花糸さんや犬伏先輩とも親しげなのが、ほんの少し悔しく思えるくらい、純粋に恋をしているから。
「……はぁっ、……はぁ、……とりあえず、片付け、ましょう……」
荒げた息を整えつつ。いつまでもこうしてる訳にもいかないから、全員相手に切り出した。後輩二人は準備で散々頑張ってもらったから、片付けくらいはと先に帰ってもらっている。まぁそう考えれば、いきなり乱入してきた先輩も、戦力に加算できるからマシではあるけれど。
そうして。
桜条撫子1stライブも。
ここしばらくずっと引きずっていた、無駄な思考や悩みも全部。
完璧に幕を引けたから。
「ねぇ、澪」
「…………何ですか」
返ったちょっとだけ不貞腐れたような声に、また吹き出しそうになるのを堪えて。帰り道。花糸さんと先輩とは何やら後ろで揉めていて、その隙にそっと澪へと近づいて。
「私、諦めないから」
「…………えっと、……」
と。こそこそ話しているのに気付いた花糸さんが、先輩と一緒に慌てて戻ってきて。その間にものんびり思考を巡らせていた彼女は、やがて首を捻ってみせた。
「……望むところです?」
「ふふっ!」
ああもう、本当。
諦めてあげないんだから。
あなたも、これから覚悟なさい。