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045 -選択肢-


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「飛鳥井、いいか?」

「あ、……響次さん」

 金曜日。

 ライブに向けて、今日は生徒会も早退させてもらった。普段の練習スタジオではなく、本番と同じ会場を使っての、いわゆるゲネプロというやつで。明日は前日な分、細かい調整や段取りの確認が主だから、皆もここでパフォーマンスを詰めていくことになる。そんな、休憩中。

 魚守うおもり響次きょうじ。我がAudit10nEEでも屈指の歌唱力を持つメンバーである彼は、今日も今日とて会場に完璧な歌声を響かせていた。そして、私……オレはと言えば。

「自覚はあるか?」

「えっと、……新曲、ですよね?」

「ああ。他の楽曲は流石、言うことはないが」

 頷くと、彼は楽譜を取り出してそのまま、ソロパートの部分を示してくる。

「はっきり言えば、気が散っている。ここの歌詞だけ、明らかに動揺が見える」

「……はい。いや、……ありますよ、心当たり」

 新曲は。初恋に自分でも自覚的でない想いを歌う曲で、ソロパートで任されているのは。

『君がくれた 初めての 名前を探してる』

 多分。前のファンミーティングの時に、海老名と話したことにもかなり引っ張られてはいるのだろう。あの時と状況は変わっているけど、きっとだからこそ、余計に。

 初めてだから。まだ自分の感情に、気付いていない。

『今の君に必要なのは、……自分の気持ちに気付いてあげることかもね?』

 犬伏先輩の声が再生されて、溜め息を吐く。

「想い人でもいるのか?」

「……いませんし、今時聞かないです、想い人とか」

「そうか」

 特に追及はせず、響次さんはこくりと頷く。

 そう。少なくとも、伶くんとしての答えはそうだ。アイドル、飛鳥井伶は、応援してくれる皆が大事で、特別な一人を作るつもりはない。それは間違いないし、伶としては、そう動揺なく答えられる。そして、そのままの心情で歌えるつもりだった。

 そこに、余計な感情が交ざるから。

 ……いや。

 別に。澪としてだって、そういう感情ではない、とは思うのだけど。

「心当たりがあるなら、お前に任せることもできる。ただライブもすぐそこだからな、具体的な対処法のアドバイスはしておこう」

「……正直、いただけるなら助かります」

 そうでなくとも、メンバー間での助言というのはそれだけでありがたいものだし、それが響次さんからというなら尚更。それにどう手を打てばいいかもわからないし、この件を自分だけで解決するのは、このタイミングではほとんど不可能だろうから。

 素直に頼れば、彼は頷いて。

「選択肢は二つだ」

 すらりとした指が二本立つ。

「中途半端に感情が乗って気が散るのなら、いっそ完全に委ねるか。あるいは完全に感情を消して、技術でカバーするかだ。判断は、飛鳥井に任せよう」

「…………ありがとう、ございます」

「いや。ライブの成功には必要だと考えたまでだ」

 するりと首を振って、そのまま自身の荷物の方へ歩いていく。

 正直、感情を消す方だけアドバイスされると思っていた。完全に委ねる、なんて手を示されるとは思っていなくて、すこし面食らっていた。どこか根性論にも思える言葉で、あまり想像は付かないもので。

「…………」

 いや。言葉通りに受け取って、真面目に検討してみれば、方法としてどうすればいいかは想像がつく。

 伶として乗せる感情は、本来伶からファンに向けたものだから。それを多分、今、歌っていて交じってくる感情に委ねるということで。つまり、ソロパートを完全に、澪としての想いに委ねるということになる。 

 そして。

 アイドル飛鳥井伶として、どちらを選ぶべきかは、わかりきっていた。



「……お。伶、少しは顔つきマシになったか?」

「ん、……そんなわかるくらい変わってる?」

「ああ。大分な」

 ゲネプロが再開して。新曲は今日の段取りではもうやらないから、すべては明日の調整次第。そう割り切って挑んでいたら途中、魚守うおもりしきが声をかけてきて。

 兄に比べるとやや攻撃的な色を帯びた笑みを浮かべて、彼は頷いてみせた。

「ま、事情は知らねーが、伶がブレてんのはらしくないしな。虎走にでもアドバイスもらったか?」

「いや、響次さん」

「っ、……アイツかよ」

 ちゃんと舌打ちが出る辺り、相変わらずの兄弟仲なようだ。何よりだと思っていれば、不満げな表情のままで、それでもこちらに目を向けてくれる。

「……で? 大丈夫なんだな?」

「うん、……少なくとも、ライブ本番では迷惑かけない。明日はちょっと、わからないけど」

「いーんだよ、最終調整なんだから。本番大丈夫ならそれでいい」

 本当に、よく似た兄弟だ。兄も弟も、パフォーマンスやライブの成功を一番に考えつつも、メンバーのことをよく見て、気にかけてくれている。

 だからこそ。

 伶として、そんな二人を裏切るわけにはいかない。


「…………」

 帰り道。

 新曲の音源を聞き返しながら、ソロパートのイメージを考える。

 二通り。


 そう。

 二つ選択肢を挙げてもらったら、伶としてどちらを選ぶべきかはわかりきっている。

 実際に二つとも試して、より良いパフォーマンスに繋がる方を、選ぶのだ。



 ■



「……まさか、三年も一緒にいるのに、今になって気が付くとはね」

 Audit10nEE、七夕ライブのライブ会場は、これまでの公演規模と比べても最大と言っていいほど、大きな会場になっている。もちろん、トップレベルのアイドルと比べればまだまだではあるが、そこのステージでライブをしたと言えば、アイドル業界ではそれなりに羨望の眼差しで見られるような、そんな会場。

 その裏側は、Audit10nEEのメンバー用に各ブースが設営されていて。ライブ前の慌ただしい雰囲気を残しつつ、ゲネプロを終えた今日は、一部調整の為のスタッフを残して、もうほとんどの人間が帰宅していた。

 すっかり暗くなった、そんな建物の片隅で。

 Audit10nEE、グループのリーダーである虎走こばせまことは、小さな部屋を眺めて、薄らと笑みを浮かべていた。

 小さくて飾り気のない部屋に、椅子と化粧台と、簡易的な収納がいくつか設置されている。

 メンバー用に割り当てられた控え室とは全く異なる場所で、部屋名を示すプレートもなく。まず見つけられることもなければ、部屋を覗いたとしても、何の部屋かと想像を巡らせる興味も起こさない程度の、そんな地味な部屋。

 その収納の一つを開けて、――虎走一は、いつもの通り、完璧な笑みを浮かべた。

 収納の中にいくつか収まっているのは、見覚えのある髪型のウィッグ。そして。今日のゲネプロで、声をかけるために飛鳥井伶を追いかけていたら、人目を気にするような素振りで随分な遠回りをして、この部屋に入っていった。

 ウィッグを外したところの想像が付くわけではないが、かわり、虎走一の脳裏には、飛鳥井伶と重なる、一人の人物の姿があった。



「まさか、……君が、女だったとは」


 もう、一ヶ月は前になるか。

 いつか遊園地に遊びに行った時に、妙に印象に残った少女。他の誰もがほとんど気にしてもいない、人目に付かないような印象の彼女が。

 ステージで多くの人を惹きつけて止まない――そして、虎走一の目をも奪う彼と、ぴったりと重なっていた。

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