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「…………ダメね」
録画した映像を見返して、思わず溜め息が漏れる。
推しは推し。ライブはライブ。己で選択したことなのだし、切り替えるのは当然のこと。実際私自身は完璧に振る舞えているし、別に推し活も、生徒会でのやり取りも、そう妙な形にはしていない。
それなのに、これだけが。
「…………」
もう一度、始めから再生する。流れる歌声は技術的には問題なく、演歌のような調子でもない。けど。
胸が痛くなって、思わず歯を食いしばる。歌っているのは甘い恋心のはずなのに、歌声も表情も悲痛なものだ。曲に合ってなさ過ぎるのに、感情ばかりは真っ直ぐに揺さぶってくる。これならそれこそ演歌でも歌うか、切ないバラードソングでまとめた方がマシ。
本当に、どうしてこうなるのか。伶くんへの想いは変わっていない。MVを見ると胸が焦がれるし、七夕ライブも本気で楽しみだし、配信だって安心するし、恋は今も、ちゃんと続いてる。
なのに。一週間前までは完璧な秘策だったはずなのに、今はこの体たらく。
「…………」
これではまるで。と考えかけたところで。
「桜条先輩ちゃんサマ! リリリ様が見に来てあげたよぉ、ひゃははっ! ねぇねぇ、嬉しい? 待ってた?」
「失礼します。どうぞ私たちのことはお気になさらず、アイドルスマイルを存分に振りまいてください。あ、一応最前列の真ん中失礼はしますが、ファンサは最低限で十分ですよ」
がちゃりと無遠慮に扉が開いて、後輩二人がやってくる。金曜に引き続きだから、何となく予想はしていたけど。相変わらず口の減らない二人に嘆息しつつも、微妙な気分も無理矢理にでも掻き混ぜられるから、よっぽどマシかもしれないと思ったり。
「……率直な意見をください。忖度などは要りませんので」
「いいけどぉ、リリリ様は先に会長サマと仲良くした方がいいと思うな~」
「…………」
「ひゃっ! そ、忖度無い意見だよっ、です……!」
「先週も言ったけれど、別に喧嘩とかではないですから」
ため息と共に、そう伝える。
いえ。こうして先輩二人の仲が大きく変われば、色々と気にせざるを得ないのはわかっているつもりだ。事情を詳しく話せるようなことじゃないから伏せるしかない分、そこはちゃんとフォローはしたい。
「わたくしたち、それぞれの立場を見直したまでですわ。それに、素山さんには素山さんの交友関係がありますし」
「桜条先輩ちゃんサマ、そうは言うけどさぁ……」
「まぁまぁリリ、桜条先輩がこう仰るのですから、歌を聴いて忖度の無い意見を言えばいいのです」
「ひゃはっ、それもそっか」
「…………」
本当に、一切忖度はなさそうだけど。まぁいい。望むところだ。
それに、ちょうど新しい手を試すところだったから。
「……? 桜条先輩ちゃんサマ、リリリ様たち開演まってるよ~」
「少しお待ちくださるかしら。確認したいことがあるの」
返しながら、イヤホンを耳に当てて、再生開始。
「む。私が推し量るに、あれは推しアイドルの曲を聴いてテンションを高めることでポジティブな気分で歌おうとしているのでしょう」
いつもの適当なこと言うノリで正解を言わないでちょうだい。いや本当にそうなんだけども。
わざわざ確認したいと言って、ライブで歌う曲を聴くニュアンスを出したから、別に訂正も反応もしないけど。
「…………」
何度も聴いた曲。軽快な音楽と、重なるハーモニー。そして、どの楽曲でも確実に聞き分けられる、推しの声。
やっぱり。伶くんに触れていると、心が満たされる。純粋に甘い感情が起こって、気分が高揚する。
今週末には七夕ライブも控えている。先週休ませてしまったのは少し心配だったけど、伶くんとしての活動を見る限り、さすが、ライブはプロとして熟すだろう。そこにはもう純粋な信頼しか残っていないから、ファンとして抱く気持ちも、楽しみだというそればかり。
このまま曲に移れれば、妙な悲哀なんかを混ぜずに済むのではという、とても単純な作戦だから。イヤホンを付けたまま機材を操作して、イヤホン越しにイントロが始まった辺りで、再生は続けたままイヤホンを取る。
そして、伶くんへの想いに身を委ねて。
「……どうかしら?」
「…………うーん…………………………」
「ファンサが足りていませんね。せっかく目の前でこのうちわを振っているのですから曲の歌詞の一部を秋流ちゃんに言い換えるくらいは必要ではないかと」
すらすらと言う秋流さんは完全無視で、唸る小薬さんに目を向ける。というかその名前呼んではーとの団扇、いつ用意したのよ。
「まぁ忖度無い意見って言うからぁ、…………金曜よりマシっていうか、最初いーかんじだったんだけど」
「いいですわ、そのまま感じたことを教えてください」
「……なんか、…………後半から未練たらたら、だったかも」
「Cメロくらいから表情も曇っていましたね。どう聞いても、曲の途中で恋が叶う見込みがなくなっていました」
そう。
いえ、まぁ、改善したのならよしとするけど。
「……難儀ね」
「えー、リリリ様にはこーんなに簡単なのに~、桜条先輩ちゃんサマにはわかんないかぁ。桜条先輩ちゃんサマが会長サマとデートしたら、それで全部解決するよ?」
「だから、それはしないと言っているでしょう」
「なんで~?」
「言えません」
言えないし。
そんなことで解決すると思いたくない。というか、これはそもそも、勘違いなのだから。推しと同一視してちょっと感情がバグっているだけで、しばらくすればちゃんと馴染むはず。こうなる前の関係でも十分、生徒会も回っていたのだし。
「……ライブまでは、まだ二週間ありますから。気持ちはきちんと切り替えます」
「え~? 桜条先輩ちゃんサマ、ちゃんとできる? 不安なら、リリリ様が会長サマにデートの約束つけてあげるよぉ? ね、無理しない方がいいんじゃない? ねぇね――ひゃっ」
「……」
「ひゃはっ、はは、お、桜条先輩ちゃんサマなら余裕だよねっ? 会長サマとかもうどうでもいいし、もう今の桜条先輩ちゃんサマなら恋愛ソングも恋するどころか鬼の形相――ひゃっ、般若の顔でっ! 般若の顔で歌える!? や、秋流ちゃん、たすけて!」
「む。では私が菩薩の心を担いましょう」
「秋流ちゃん!」
ともあれ。
それから十分ほど社会における礼節の大切さというものを伝えてあげた後に、コホンと咳払いをして。
「とにかく、……忖度無い意見をくれれば十分ですから。ライブを開催する以上、わたくしも本気で取り組みます。来週火曜にも改善が見られなかったら、……その時は、色々考えますわ」
例えば、花糸さんに頭を下げて、ライブ前だけ、近い距離を許してもらうとか。
いや。まぁ。そんな意味のわからないこと頼まれる花糸さんがどんな気持ちになるかわからないし、そんな中途半端でうまく行くとも思えないし。もしそれでちゃんと歌えるようになるなら、私の感情どうなっているのかというところだけど。
でも。
桜条撫子として、ライブは確実にこなす必要がある。形振りは構っていられない。
伶くんも、ライブは完璧にこなすはずなのだから。
来週の火曜日には、七夕ライブは見終わっている。
この中途半端な未練の荒療治の、本命はそこ。
ライブで伶くんを見られたら、何か変わるかもしれない。
考えて。ステージに立つ伶くんを思い浮かべて。
ずきり、と、胸が痛んだ。
「…………」
おかしい。伶くんのことは、何も心配なく推せているはずなのに。
その日の帰り道でも。
「あ、会長サマ」
「おお。あれは犬伏先輩に花糸先輩。会長も中々やりますね」
「え!? あれ犬伏先輩なんだ」
帰りがけ、後輩二人の言葉に、目を向けて。
「ひゃははっ、桜条先輩ちゃんサマその顔、未練ありすぎっ……ひゃ! あやめて、やだねえ下校時刻! ごめんなさい! ねえごめんなさいっ!!」
小薬さんに礼節を叩き込みながらも、それでも無視できないほど、ずきずきと。
花糸さんと一緒に歩く素山さん。その距離感は、幼馴染というだけあって、ずっと近くて。
きっと、屈託なく笑い合ったり、デートを重ねたり、思いを伝えたり、いつかその先も。
そんな想像を先に進められないくらい。
「……何が未練よ」
ぽつりと。
帰りの車内で呟いたら、仕乃がのんびり、やけますねえ、と呟いた。