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「……会長サマ、……桜条先輩ちゃんサマの練習、見なくていいの……?」
「あ、うん、…………ほら。ライブの段取りとか、照明とかさ、色々決めることあるし。そもそもご意見箱の設置についても決めないといけないこととかあるし」
「書記や会計の出る幕ではないと? 私たちも生徒会の一員ではありますが」
「あはは、私と桜条さんで勝手にやってることだから、そこまで迷惑かけられないよ。だから、桜条さんの練習も、見に行きたかったらでいいからね」
少なくとも笑顔は浮かべられている。目も真っ直ぐ見つめられているし、声も少しも震えていない。
完璧に取り繕えているはずなのに、小薬さんは心配そうな顔のままだし。秋流さんは普段の表情からそう変わってないながら、いつも小さく漂っているどこか楽しげな雰囲気はぱたりと止んでいる。
火曜日、生徒会室。
まあ。この一週間。避け方がそもそも露骨だし、呼び方だって明らかに変わってるしで、何かあったということは十二分に察されてしまっているだろう。
でも。
『一方的で悪いのだけど、しばらく距離を離しましょう、…………素山さん』
それも全部、私にはどうしようもないことだ。
距離を空けたいと言われたのだから、こちらから詰めるわけにもいかない。そのきっかけさえ教えてもらっていないけど。
それでも。素山澪とは、もう仲良くしたくないのだということは、ちゃんとわかっているつもり。
「…………」
未だにショックだし、正直に言えば引きずっている。私のせいかもしれないけど、さすがに傷付くくらいは、桜条さんも許してくれるのじゃないかと思う。
遊園地で一緒に遊んだあの日、たしかに、心の距離を縮められた気がした。ちゃんとお友達になれた気がした。それは桜条さんも同じだと思っていたのだ。だけど。
小薬さんたちを送り出して、一人になった生徒会室。
スマホを取り出して、音はミュートしたまま、昨日の配信アーカイブを再生する。チャット欄の履歴も流れていって、シークバーで真ん中くらいに飛ばす。ちらちらとコメント欄にいた彼女が、スパチャを送ってくれた辺り。
たしかこのくらいの時間の話題は、もう翌週末に迫った七夕ライブだったから、楽しみにしているというメッセージ。先週延期してしまった配信も、振り替え後のものにちゃんと来てくれて、ファンミーティングの感想を送ってくれていた。
なこさんとして……ううん、きっと桜条撫子としても、飛鳥井伶のことは好きなままでいてくれている。というか。きっとそれだけで十分なのだろう。
「…………あー」
考えて、動画を止めて俯いて目を閉じる。
「……落ち込むな、私……」
当然のことだ。私は私で、伶くんは伶くん。ショックは受けても、引きずってはいけない。もう既に一週間も後輩を心配させていて、アイドル活動でもメンバーに何度か声をかけられているのだから。これ以上はダメだ。
SNSのアイコンで、輝く笑顔を振りまいている伶くん。それを見つめる私は、地味で目立たない、名前もろくに覚えてもらえない人間。頭も固いし面白みもないし、友達になっても積極的に誘いもしない。推しの正体というバフがかかって友達になりたいと思われてただけで、でも現実の私に気付かれれば、こうして愛想を尽かされるのだ。
うわ。思い返したらどんどん自己肯定感が下がる。かすみもよくこんな私と仲良くしてくれてる。ずっとアイドルなのも隠してたし、そのせいで誘いを何度断ったかもわからないのに。
「…………あーもう……」
息を吐き出して、ゆっくり身体を持ち上げる。
所詮、私は私でしかない。アイドル、飛鳥井伶が好きなら、こんな本性知りたくなくて当然だし、これ以上夢を壊したくないのだろう。
「っよし、仕事仕事……」
それなら、こんなことでクヨクヨしててもしかたない。
やるべきことがあるというのは本当だし、実際没頭していれば、そういう落ち込むことも考えなくて済む。桜条さんが魅力的な人だという事実は揺るぎないし、ライブが成功してほしいというのは今もちゃんと思っていること。
だから。
そうして意識を集中させて、公演の計画を詳細に詰めていったり、ご意見箱の運用方法とかも対外的に公開するための文章としてまとめていったり、していたら。
コンコン、とノックがあって。声が発される前から何となく予感があって、すこし身構える。
『どうも、
もう。
本当に、どういうわけなのか。
ため息を吐きながら立ち上がって、生徒会室の扉を開ける。
そこには名乗られた通り、三年生の有名人、犬伏先輩が立っていた。
「や。今、暇?」
「忙しくはしていますが……ええと、何か御用でしょうか?」
「うん。用という用はないんだけど、素山さんとお話したくてね」
「……すみませんが、一応私も、仕事中なので」
「口は空いてるでしょ? 話すのはゆっくりでもいいから」
言いながら、するりと扉の中に入ってきてしまう。ミディアムの髪がさらりと揺れて、その朗らかな笑顔は見る人の警戒を解くもの、のはずだけど。学内の評価だって、スポーツには純粋に向き合うけどそれ以外は柔軟で明るく、屈託のなさが人気な先輩、というのが大体なのだけど。
『今、暇かな?』
というのが先週水曜、落ち込みまくってた私に急にかけてきた言葉で。金曜の生徒会でも、桜条さんのことは小薬さんと秋流さんに任せて、生徒会室で一人作業をしていた私に、同じように尋ねてきて。暇なのはそちらじゃないかと思うし、理由が全然わからないから、自然と警戒もしてしまう。
まぁ、一応。どうも話を聞く限り、借り物競走の件がきっかけで興味を持たれたらしく、やっぱり目立つのはよくないととても反省したけれど。
「ティーセット借りるね? 今日は茶葉を持参したんだ」
「あ、」
「いいよ、仕事してて。こちらが押し掛けたのだし」
お茶くらいは淹れないとと立ち上がりかけるとさらりと制しつつ、食い下がる前に手際よく準備を始めてしまった。
「両親がお茶が好きでね。父が特に紅茶党で、家に茶葉が有り余ってるんだ。これは最近仕入れていたもので、私好みのものだった」
こういうところ、人気はさすがだと思う。
やがてこつりと置かれたティーカップから、すんと爽やかな香りが鼻先をくすぐった。お礼を告げて口を付ければ確かに、美味しい、と素直に溢れるような飲み心地で。こういう姿もきっと、ファンクラブの皆にものすごく刺さるのだろう。かくいう私も、意外に紅茶に詳しいところとか、ずるいけど魅力的だと思ったりもしている。
ぽつぽつと。本当に仕事を邪魔しない程度に、それでも心地よい会話をしてくれるところも。
やっぱり。犬伏先輩は、ファンがいるだけのことはある。フェンシングやその他のスポーツはもちろんだし、それ以外の立ち振る舞いも、兼ね備えた魅力も『本物』で。私とは、全然違う。作り上げられたアイドルとは、全然違っている。
かすみや桜条さんと一緒だ。放っておいても誰かが目を留めて、人が集まって、一所にいたいと思える人。
「……あの」
一通りまとめた文章を見直しながら、ぽつりと。意識が作業に割かれていて、思い浮かんでたそれを言うか言うまいか迷っている間に、先に口から溢れ落ちた。
聞こえたかと目を向ければ、先輩は言葉を待つように微笑んでいる。だから、言いかけた勢いのまま、続けてしまうことにした。
「……私なんかといて、楽しいですか?」
考えていたより、ずっと情けない尋ね方。
先輩はくすりと笑って、あっさりと。
「もちろん。そうじゃなかったら、来てないよ」
「でも」
楽しいかなんて、誰に尋ねても大抵は楽しいと答えてくれるだろう。だからもっと踏み込んで。桜条さんのことを思い出して、ずきりと痛むまま、言葉が出てくるままに尋ねてしまって。
「私は愛想もよくないし、頭は固いし、つまらない人間です。地味だし名前も覚えられないし、私から先輩に会いに行くこともありません」
「……」
先輩はぱちりと瞬きをすると、応接テーブルから立ち上がって、たった数歩ですぐそばに来た。そんな所作まで無駄がなくて、魅力的なのだから、彼女の居場所はここではない。こんな私なんかのために、時間を無為に過ごすことはない。
「どうしてわざわざ私に会いに来るんですか? 申し訳ないですが、……仲良くなれる自信がないです」
「……うん、確かに」
と。近くに来た先輩が頷いて、思わずどきっとする。まさか、そのまま認められるとは思わなかった。けど、いや。それも当然だと、痛みと一緒に納得を、胸に馴染ませようとする、と。
「確かに、……素山さんから私に会いにっていうのは、まだまだ見込みがなさそうだね」
そう言葉を続けて。
内心を見透かすような目付きに、今度は別の形でどきりとした。先輩はいつも通りの微笑みを浮かべて、笑顔のまま。
「それにさ。それを本当に訊きたいのって、私じゃないでしょ?」
「…………」
「花糸さん? それとも、最近疎遠な桜条さん?」
こういうところ。
噂とか評判と全然違う。違うし。先輩の思ってる通りでもない。
「……もう、聴いたので」
「直接?」
ああ、もう。
本当に。余計なことをした。
勢いのまま尋ねることではなかったし、先輩も先輩だ。この空気を察して手を緩めてくれたらいいのに、少しの容赦もなくにこにこと、笑顔は何一つ変わらない。しばらく黙ってやり過ごそうとしたけど、観念して呟いた。
「……そうです」
「君が愛想がよくなくて頭が固くて地味でつまらない人間だから、仲良くしたくないって?」
「いや、…………それは、そうは言われてないですけど」
理由さえ、聴いていないから。でもそれくらいしか考えられない。わざわざそんな当然のことで、慰めてるような素振りをしないでほしい。
ざわついた心のまま、ちょっと棘を宿した口調で言ってしまったけど。先輩は執務用の机に肘をついて、こちらを覗き込むようににこりと笑って、出し抜けに。
「木曜日」
「……え?」
「木曜ならいつも放課後空いてるから。会いに来てくれるなら都合いいよ」
「え、……い、いや」
「確かにさ、」
反応をするりと遮って。笑みを作っていた口元が、諭すようにすこし潜められる。
「愛想がよくないとか、頭が固いとかは、何のマイナスでもないけどさ。積極性は大事かもしれないね?」
「……」
「君が仲良くなりたいのなら。それか、もっと先に進みたいなら。それとも……仲を取り戻したいなら?」
何を想定しているのか。どのことを指しているのか。大体、こんなに気軽に会いに来るなら、木曜以外も大抵暇にも思えるし。
「だから私は、こうして会いに来てるよ。素山さんも、私と仲良くなりたいなら、そうしてほしいかな」
するりと先輩が身を離すと、図ったようなタイミングでノックが鳴った。
時計を見れば、もう下校時刻も近く。ノックの相手はきっとかすみだと思い至る間に、先輩は勝手に扉の方へ向かおうとして。
「でもさ」
不意に。
立ち止まって、振り返って、顔がぐっと近づいて。
「今の君に必要なのは、……自分の気持ちに気付いてあげることかもね?」
「…………」
「ふふ、……じゃあ、木曜日は楽しみにしてるよ」
そうして。
あっさり身体を離して、勝手に扉の方に向かっていく。
……いや。
もうそこまで言われたらむしろ、呼びつけられたようなものじゃないですかとは思ったけど。
「ええと、……澪ちゃんを迎えに来た、んですけど……」
「どうも、花糸さん。ちょっと用があって生徒会に来てたんだ。よかったら校門までは一緒に行こう」
「あ、…………えっと、……」
「素山さん、それでいい?」
「別に、いいですけど……もう少しかかりますよ」
と。
まださっきかけられた言葉も処理し切れてないうちだったけど。かすみを心配させるわけにもいかないから、するすると進められる話に、ため息と一緒にそう返す。先輩はうんうんと頷いて、遠慮気味のかすみ相手に、世間話をし始めた。
自分の気持ちとか、積極性とか。
わかっているつもりだ。どっちも。自分の気持ちくらいわかってるはずだし、積極性がないのも痛いほど自覚してる。
「…………」
けど。
ずき、と、痛む胸。
明確に距離を離されて初めて、痛くて、苦しくなる。そこに、うまく言語化できない感情が、混ざっている気もしている。
「澪ちゃん?」
「あ、……ごめん。ぼうっとしてた」
「ううん。疲れてるなら、今日は早く寝ないとね」
考えても答えは出なくて。頭を振って、残った仕事を片付けた。