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041 -懇願-


 *



「――……」

 一人きりの視聴覚ホールで、歌声の余韻が消えていく。

 候補の中から有力な六曲を選出して、実際に練習しながらも、絞っていく段階。アンコール含めてでこの四曲かなというのはほとんど決まっているから、その中でも難度の高い曲を重点的に練習中。

 なんだけど。

「……これ、……相当不便ね」

 ホールの舞台から降りて、すぐそこの座席に置いていたスマホの録画を停止する。せめてこういうことを担ってくれる人員がいれば別なんだけど、他の三人はライブ演出を考えてもらってるし、生徒会以外の生徒を駆り出す訳にもいかない。もちろん、学内までは流石に仕乃や桃園姉妹を招き入れるわけにもいかない。

 そうして、録画した動画を確認していけば。

「…………なんでよ、ほんとに」

 勝手に頬が熱くなる。この温度感から言って、今顔を見られたら間違いなく、赤面していると気付かれるほど。

 反対に、動画の中の私は自然なもので。上気した頬はダンスの動きと重なって、アイドルとしての魅力に加点。そして歌声も、演歌の影も形もなく、あるのはただ純粋に、歌詞に重なる恋心。

 そう。

 自分でこうして見返しても、アイドルソングに想いを乗せて、見事に歌い上げている。

『だからもーっと……好きになれ!』

「…………」

 いや、まぁ伶くんには実際恋してるのだし、この戦略でうまくいくのは当然なのだけども。せめて記憶は飛ばないでほしい。まぁ記憶飛ばなくとも録画して見返すことはしただろうけど。

 この間の握手会とか、半年前のライブとか、初めて伶くんを知った時とか。色んな思い出と、私自身の持つこの、恋と呼べる感情。

 それを意識している間に、そのまま浸ってしまっている。

 何度繰り返しても、歌詞に重ねてる間にぼうっとして、いつの間にか歌いきっている。というか歌ってる間に妄想が暴走して、歌詞に重なった展開で伶くんから想いを伝えられたり、甘い日常とかのない記憶まで出てくるし。なぜか妄想の中に若干澪が出張ってもくるし。

「……はあ」

 まあ、いいのよ。とりあえずクオリティとしては及第点だし。本来は、パフォーマンス中に意識飛ばすよりは自己分析できた方がいいから、まだまだ練習する必要はあるけど。

 けど。

「…………」

 こうして、歌に感情を乗せてみると、一つ弊害も見つかった。

 この間、うまく伝えられなかったこともあるだろうけど。

『わたくし、伶くん――』

 体感では、一瞬だった。覚悟を決めるまでの数秒のつもりだったのに。その十倍の時間を費やして、バカみたい。情けなく時間を告げられて、そのまま握手会が終わってしまって。

 想いを伝えたい。

 恋を叶えたい。

 単純なもので。恋愛系のアイドルソングに気持ちを重ねていくと、そんなシンプルな感情が動かされる。恋心が揺さぶられる。

 今日は伶くんの配信で。そこで推しに会えるだけでも楽しみだし、どんなスパチャをしようかなとか、一つ一つのスパチャに丁寧に向き合ってくれる伶くんが、どんな風に返してくれるかなとか。そういうファンとしての、今まで通りの感情もあるけど。

 好きです、って、送りたくなっている。

 いや。

 しないけど。そういうのいきなり送ったら、きっと他の皆に煙たがられてしまうだろうし。ううん、好意を伝えるメッセージも珍しいものじゃない。一人一人が真剣に、あるいは冗談めかしながらも想いを込めて、送っている様は時折目にする。それはある程度流されてもいるし。そんな言葉を送って、何かがどうにかなるなんて、それこそ自意識過剰だろうけど。

 だって。

「………………」

 ドキドキと胸が痛くなる。

 この恋が叶った時の想像をしたら、それだけで身体が軽くなって、息がすこし苦しく、浮かぶみたいな心地がして。手足がじんと熱を持って、何だか空の向こうまで駆けていけそうな心地になる。

 だって私は、一番可能性がある。伶くんと、こんなに近くで生活している。遠慮するつもりもないのだ。だから、本当に、叶えられる。そう信じてるし、諦めない。

「……厄介ね、恋って」

 ぽつりと。溢れる感情で茹だった頭を冷静に戻すため、自覚的に呟いてみても、まだ落ち着いてはくれない。いっそこの熱に乗せてそのまま歌ってしまおう。

 そうして機材を操作して、もう一度。

 歌いきったら。



「…………っ、…………ちょ、ちょっと!!」


 流石に動揺して声を上げるけど、目を向けた先の彼女はにこりと、小さく頭を下げる。

 ホールの後ろの方にひそりと立っていた彼女は、小さく足をこちらに運ぶ。

 ゆるりとしたその所作も、微笑んだその表情も。時折強張っているのが、緊張と、乱入してまで何かを言いに来たのだという覚悟を伝えていて。

 彼女――花糸かすみはそうして、目の前まで来ると、微笑んだ表情のまま、深く頭を下げた。



「お願いします。――澪ちゃんを、諦めてください」

「……は?」



 ■



 私はずるい。

 弱いし、勇気がない。

 それでも。

 それ以上にずっと臆病だし、それ以上に、澪ちゃんが好き。だから。


「私は、澪ちゃんが好きです」

 声も身体も、小さく震えていた。

 きっと桜条さんにもバレてるんだろう。でも、そんなことどうでもいい。ちゃんと伝えないと後悔する。だから息を吸い込んで、できるだけ呼吸を整えようとする。できるだけ、口にするのが怖い言葉を選んでいく。

「今は、幼馴染で親友だけど。私は澪ちゃんとそういう関係…………恋人、として、一緒にいたい。恋愛的な意味で澪ちゃんが好きです」

「…………」

 桜条さんはショックを受けたような表情で、目を見開いたまま固まっている。

「全然ダメダメだけどアプローチは続けてるつもりだし、……もっと、踏み込んで、ちゃんと伝えるつもりです。だから」

 もう一度頭を下げる。桜条さんにはきっと桜条さんなりに本気の想いがあって、願いがあって、叶えたいと思ってるのだろう。けど。



「だから、……澪ちゃんのこと好きじゃないなら、澪ちゃんから離れてください」



 動揺しているうちに。返す言葉を見つけられる前に。


「…………あなた、……」

「桜条さんは、アイドルの澪ちゃん……飛鳥井伶のファン、ですよね」

「…………」

「彼が好きなら、ファンのままでいて」


 言えた。言った。


「私は、本気で澪ちゃんが好き。澪ちゃんを好きになるつもりがないなら、……澪ちゃんのことを好きじゃないなら、プライベートに踏み込まないで」

 声はやっぱり震えたけど、目は真っ直ぐ、桜条さんを見つめていた。だから、彼女の瞳にゆっくりと、閃くような怒りが宿っていくのも、見えていた。

「……わたくしは、伶くんが好き。恋をしているの、本気で」

「……はい」

「諦めるつもりはありません。好きよ。想いはきちんと伝えるし、ダメでも何度でも伝え直します。あなたは一度でも伝えたの? 今更アイドルをやっていることに気付いたようだけど、それで後出しで諦めると言えるほど、頑張っているつもりなの?」

 何の手加減もない、棘だらけの言葉も当然。それ以上に返すつもりだから、グサグサだけど、強張った顔で頑張って微笑んで、首を振る。

「これが一歩目ですし、違います。桜条さんにお願いしてるのは、澪ちゃんのことですよ」

「同じことでしょう!!」

「同じ、……ですか?」

「っ、…………」


 やっぱり。

 単なる直感に過ぎなかったけど。

 そうだ。きっと桜条さんは、澪ちゃんが好きだとは思ってない。アイドル、飛鳥井伶は好きなのだろう。恋心だって本物のはず。それでも、澪ちゃんのことは考えてない。恋をしようと思ってない。内心がどうかは別として、そんなことも思えてないのなら、どれだけ情けない私でも、この一歩目は踏み出せる。

 とってもずるい手だけど。

 それでも。そうでもしないといられないくらい、私は臆病で。

 澪ちゃんが、好き。


「ライブは好きに行ってください。ファンイベントで想いを何度伝えてもいいです。ラブレターを送っても、SNSとかで想いを綴ってもいいと思います。でも、……全部、アイドル相手ですよね?」

「…………」

「桜条さんが澪ちゃんのこと好きなら、その時は、ちゃんと勝負します。プライベートを奪い合って、どっちが心を掴めるか……澪ちゃんに選んでもらえるか、試しましょう。…………でも。そうじゃ、ないですよね?」

「……わたくしは、…………」

「私は、本気で澪ちゃんが好きです。気にしてるのは、澪ちゃんが許してくれるか、受け入れてくれるかどうかだけ。他のことは全部気にしないくらい、本気で好き。だから、……桜条さんがそうじゃないなら、せめて澪ちゃんのことくらい、諦めてください」

 アイドルが好きならそうしてほしい。澪ちゃんが望んだ活動だろうし、その応援は構わない。生徒会だって、羨ましいとは思うけど、役職である以上しかたない。それでも。

「澪ちゃんのお友達として過ごすのはいいですけど……それならちゃんと、伶くんとは別だってきっぱり伝えて、澪ちゃんは恋愛対象外だって自覚して、澪ちゃんにも伝えてください。だって、事実そうなんですよね?」

 きっと。

 事実は違うだろう。

 それも直感してる。桜条さんが、澪ちゃんのことをどう思い始めてるのか。澪ちゃんとの恋愛があり得ないと思ってるのかどうか。

 でも。それくらいのこと自覚できないなら、言葉にできないなら、自分自身でわからないなら。それなのに、アイドルには恋してるからって澪ちゃんとも距離を近づけてくのは、私よりずっとずっと、ずるい。



「だから、そうじゃないなら、……澪ちゃんに、付き纏わないで」



 こんなに冷たい声が出せるんだって、自分でもびっくりする。

 夏なのに、手先は冷え切っている。まだ震えてるその手をゆっくりと握って、それからにこりともう一度微笑んで、視聴覚ホールを後にした。


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