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040 -花はいくつも植えられない-


 ■



 本当は。

 こうして知ってしまっても。このまま気付かないフリをした方がいいのかなとか、思ってた。

 物販コーナーに並ぶ写真。映ったその人が一目で澪ちゃんだとわかって、混乱しながらも動画サイトのMVで歌を聴いてみて、声で確信してからも。そうする頃には澪ちゃんが隠してた理由とか、色々察しがついたから。

 軽快なアイドルソングのMVが流れる中で、感情同士がぶつかって。今まで気付かなかった自分の情けなさとか、澪ちゃんの新しい一面に胸が高鳴ったりとか、その一面をもう知ってたファンの人たちに嫉妬や焦燥が浮かんだり、でも明かしてない様子の男装に、ちょっとほっとしてる私もいて。これなら、澪ちゃんが演じている『飛鳥井伶』くんを好きになる人はいても、本当の澪ちゃんに行き着ける人はいない。そう確信できるくらい、普段とは全然違う方向性のかっこいい姿を作れてるのが、あらためてすごいなって思ったりとか。

 していたら。



 Audit10nEE。そのイベント会場。

 あくまで気紛れに立ち入っただけだし、どんなマナーがあるのかとか、ファンの心得とか、どころかイベントの概要すらも全然知らないで来ちゃったから。澪ちゃんを見つけられた興奮であんまり落ち着かなかったっていうのもあるけど。なんとなく居心地が悪くて、会場の隅に歩いて行った。

 そうして。

『伶くん、…………わたくしはあなたに、こ――!?』

 咄嗟に。

 こつりと一歩、廊下に踏み入りかけたところで身を引いて隠れたから、一瞬だったけど。

 サングラスとマスクで軽く変装はしてたけど。声だってちょっとしか聞こえてなかったけど。間違いなかった。

 あれは、桜条さんで。

 彼女が口にしていた伶くんというのは、澪ちゃんがしてるアイドルの名前だ。


 咄嗟にトイレに駆け込んだ。足下が竦む感覚がきゅっと押し寄せて、多分酷い顔をしてた。廊下に立ち止まっていたら誰かに心配させてしまいそうだったし、もしかしたら吐いてしまうかもと頭を過った。

 その時。遭遇しかけてようやく、私は気付いたのだ。

 見つけた衝撃でただぼんやりと、綯い交ぜになってた感情が、それでも見つけられたって無邪気に浮かんでた嬉しさが。その時ようやく、強烈な悔しさと、恐怖に変わった。

 ――繋がった。

 どうして急に、桜条さんと澪ちゃんの距離が近づいたのかとか。ここ最近のやり取りとか。

 きっと、桜条さんも気が付いたのだ。

 飛鳥井伶、……多分、推していたのだろう、アイドルの正体に。



 だから。



「そういうわけで、……ほんと、今まで黙っててごめん……」

「ううん。……話してくれて、ありがとう」

 お昼休み。いつもの通りに教室まで澪ちゃんを迎えに行って、二人きりになれる場所。

 申し訳なさそうな澪ちゃんに、首を振った。わかってる。ただアイドルというだけじゃない。男性アイドルとして振る舞うのなら、知られた時のリスクはずっと大きい。それなら万が一を考えて、話せないのもわかっていて。

「……意地悪な聞き方だったよね。ごめんね」

「いや。私からは言い出しづらいことだったし、その……かすみに話したいって思ってたのは、本当だから」

「その、……私が伝えたかったのは、私は澪ちゃんに協力するから、たとえばデートの予定にアイドル活動が被っちゃったりしたら、そういう時は遠慮なく言ってねって……澪ちゃん、大変だと思うから」

「あー……たしかに、それは素直に助かるなぁ。そもそも、急なスケジュール変更とか起こらないのが一番だけどね」

 なんて、建前で。

 澪ちゃんに嫌われないように飾る私は、本当に嫌な子。澪ちゃんから教えてもらう形を取りたかったから、わざわざブロマイドを見せ付けた癖に。桜条さんが先に知ってるのが悔しくて堪らなかったから。私の知らない澪ちゃんを知ってるのが怖くて仕方なかったから、気付かないフリができなかった、だけの癖に。

 澪ちゃんは、すこしほっとした顔をしていて、相変わらず私のことを信じてくれているって顔だった。だからぽつりと、色んな想いを含んだ言葉を呟く。

「……澪ちゃんって、たくさんの人の、大切な人なんだ」

「そう言われたらちょっとくすぐったいけど……うん。アイドルって、応援されるの、ちゃんと嬉しいんだなってすごく実感する」

「それなら…………私は、一番近くで、……応援しようかな」

 親友として、って、いつもなら挟んだだろうけど。

 思い浮かんだそれも敢えて足さずに伝えても、澪ちゃんは嬉しそうに微笑んでくれて。

 胸がいっぱいになった。こんな私でも、想いでも受け入れてくれるって信じられたら、もっと言葉を重ねたいと。思っても、微笑んだまま、唇を開けない。

 ふと。その手をぎゅっと握りたくなって。そんな勇気さえ出なかったから、かわりにお弁当箱を手に取った。



 +



「……ええと……念の為、もう一度聞きますけど」

「はい! 何度でも大丈夫ですよ、会長サマっ」

 デジタルホワイトボードの前。

 ニコニコと頷く小薬さんと、ずずずとマテ茶を啜っている秋流さんと、頭を抱えている私、素山澪。撫子さんはライブの為の自主練習中で、火曜日の生徒会、本日の議題は、桜条撫子1stライブの演出について。

「私の聞き間違いじゃなければ……今、ステージを飛ばすって言いませんでした?」

「はい! リリリ様、ステージに飛行機能付けたくてっ、大体200メートルくらい? 上がったら嬉しいなって」

「却下ですよねどう頑張っても!? 5メートルでも却下ですよね!?」

「却下……!?」

 ずががーん、と本気のショック顔。いや当然なのをわかってほしいし、秋流さんと一緒に考えたという案の披露タイムのはずなんだけど、マテ茶を啜ってないで検討段階で止めてほしい。あと屋内公演の予定な現状、200メートルも飛ばせば確実に屋根がどうにかなる。

「そ、そんなっ……会長サマっ、リリリ様絶対安全に作れます! あっもしかして、桜条先輩ちゃんサマのダンスが見れなくなるのが心配ですか? 映像中継機能も付けるからそこはバッチリだし、それにそれに、もし会長サマが間近で見たかったら一緒に飛ばします! 会長サマ、ファンって設定でしたもんね?」

「設定にしたのは二人と撫子さんですけどね!? あとほんとにどんな補足出されてもステージ飛行は無理です!! っというかそれだけじゃなくてこの爆発演出も確実に無理だし、リリリ様特製スモークというのは先に成分とか確認させてください!! 校内映像設備ジャック中継も絶対ダメ!! あとこのホログラム投影は……!!」

「と、……投影は……?」

「投影はっ、……いいかもですけど!!」

「会長サマっ……! さすがです!」

 いや。どれくらい強い投影機器を使うのかとか、そういう問題はあるかもだけど、安全性の意味では一応許可は降りるかもしれない。というかそもそもどうやって投影する映像を用意するのかとか色々あるけども。ダメだ、他のインパクトで基準がかなり緩くなってる。

「ふむ。リリ考案の演出に関しては、なかなか苦戦しているようですね」

「ううっ……残念だけど、会長サマがダメっていうなら、リリリ様は諦めます……」

「安心してください、リリ」

 こつりとマテ茶を置いた秋流さんが、電子ボードの画面を次に切り替える。

「この私の名演出の数々で、必ずやライブを大成功に導いてみせましょう。噂が噂を呼んで年末には桜条先輩も紅白出演です。ステージ飛行はその時に」

「ううっ……秋流ちゃん……その展開はありえないけど、今回のライブは任せるねっ」

 あり得ないけど。小薬さんもちゃんとそう返すんだ。秋流さんも相変わらず何も気にしてなさそうだし。

「では会長。こちらをご覧ください」

「ええと…………申し訳ないけど、全部却下になりそうです」

 示された画面を見て。また半分頭を抱えつつ、先手を打つ。

「む。まだ何も解説していませんよ。まずはこの一文目を見てからでもよいのでは。ここにある案の数々はどれも、同じコンセプトで立案されたものです。そのコンセプトこそがこの一文目、『桜条撫子1stライブ、生徒会ウハウハ荒稼ぎ草案』」

「そこを見たからなんだけどね!?」

 学内ライブで金稼ぎしていいわけないでしょ! 特に生徒会主導のライブなら余計に!!

「ウハウハという響きが少々古いでしょうか。では生徒会いとをかし荒稼ぎ」

「ダメです!! あと突っ込まないから!!」

「む……」

 挙げられてる個別の案も、撫子さんのグッズを売るとか、ライブ映像をBD発売とか制作費どうするんだから始まりそうなものばかりだし。

「すみません、リリ。私はここまでのようです」

「うんっ、……でも、リリリ様たち、十分がんばったよ。会長サマの高い壁は越えられなかったけど、……会長サマならきっと、もっとすごい演出で、ライブを盛り上げてくれるから……」

「そうですね。会長の手腕にかかれば、桜条先輩の1stライブを成功裏に終わらせるなど造作もないことでしょう。五十年後の新入生すらライブ映像を購入するような、伝説のライブになりますよ」

「天然と故意でハードル上げないでね!? 私は普通の演出しか考えてきてないから!! あとライブ映像の販売禁止!! ってか秋流さんしれっと下の方にまともな案書いてるね!! それは私も賛成です!!」

 ライブまでに、公演予定の曲を昼休憩の校内放送、リクエスト枠で流すという案。セトリを楽しみにしたい層に向けては若干マイナスかもしれないけど、聞き馴染みがあるのとないのとではライブの楽しみ方も全然変わってくる。時期や形式、ライブでやる曲だと明かすかは検討が必要だけど、悪くない案だ。

「しょうがないですね。会長がそこまで仰るなら採用しましょう」

「立案秋流さんだからね!?」

「では、会長の案を伺いたいです」

「あ、……うん。いいですけど」

 本当に。清正院の覇者として君臨できるポテンシャルはあるのかもしれない。

 ツッコミ疲れでちょっと崩れかけた息を整えつつ、切り替えた画面の説明をはじめる。挙げてる案はどれも目新しさはないものの、ライブとしては定番かつ、校内公演でも実現可能なものに留めたつもり。

「……という感じで、演出案をまとめてみましたが」

「…………会長サマ」

「…………これは」

「え、…………えっと、……ぱっとしないとは思うけど、……どうですかね」

 一通り説明を終えて振り返れば、神妙な顔をする二人にたじろぐ。え。一応おかしな内容とかは入ってないはずだし、そこそこ自信もあったのだけど。

「……リリリ様、……本音で言ってもいいでしょうか?」

「私も便乗したいです。日頃の思いも合わせましょう」

「小薬さんはいいけど秋流さんは今の発表に対して教えてね!? いや日頃思ってることもあとで教えてくれていいですけどね!?」

「えっと、……じゃあ……」

 ちらり、と秋流さんと目を合わせた小薬さんはコクリと頷いて。

 え。打ち合わせもなしに同時に言うことある? 以心伝心というやつなのか、二人はそのまま、口を揃えてこう言った。



「「会長サマって、アイドルオタク?」「マネタイズの検討が足りないかと」」


「言う内容も揃えてね!?」


 そういうわけで。

 ライブ演出の方向性決めは賑々しく進んでいって。大まかに固まる頃にはすっかり体力も消えかけて、今日夜の配信に響かなければいいなとか思いながら。

「じゃあ、私は撫子さんの練習を見てくるので。二人もあまり遅くならないように、帰宅してくださいね」

「……リリリ様、今日は帰りたくないなぁ」

「会長、本日は生徒会室に宿泊予定なので大丈夫ですよ」

「あぁうん、…………まぁ、……行ってきます」

 ヘロヘロな分二人の発言は流しつつ、撫子さんが練習している視聴覚ホールの方へと向かう。


 その時の心情は、そんなに悪いものではなかった。

 確かに疲れてはいたけど、それは心地のいい疲労感。かすみに秘密がバレたのも、自分から言えなかった分は申し訳なかったし落ち込んだけど、打ち明けられた開放感はあったし。撫子さんとの関係もそう悪くないものに落ち着いていて、伶くんとしても私としても、先への明るい予感はあった。

 だから。

「こんにちは。ああいや、こんばんは、かな? 生徒会長、素山澪さん」

「えっ、…………えっと、…………犬伏、先輩?」

「ふふ、知ってもらえてるのは嬉しいな。いや、ね。こんな時間だし、通りすがりに挨拶と、少しだけ、忠告しておこうかなと思って」

 視聴覚ホールの程近く。下校時刻が迫る中、すっかり茜に染まった窓の外と、その分薄暗がりに感じられる廊下の途中。

 困惑する私に犬伏先輩はニコニコと、学内でもファンの多い屈託のない笑みを浮かべながら、続けて。


「どれだけ綺麗な花であってもね、一輪しか植わらない場所にいくつも植えてはいけないよ。じゃないとそのうち枯れてしまう」


 一輪のほかは、摘まないとね。

 ニコニコと。謎めいたそんな言葉を残して、先輩はそのまま去ってしまって。

 その意味も意図も汲めなかったけれど。

 そんな一幕すら忘れてしまうことが、視聴覚ホールであったから。その日の伶くんとしての配信も、体調不良で日付を変えてしまった。


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