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037 -初めてで戸惑っている-


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 繊細なピアノ、しっとりとしたメロディーに、合わせたテンポで動くメンバー。踊るライトが絞られて、やがてスポットの当たる飛鳥井伶……MV用の衣装に身を包んだ私が、切なげな声でソロパートを歌う。


「……研究?」

「っうわわ! っと、……っえ、海老名えびなか」


 唐突な声に落としかけたスマホをどうにかキャッチ、慌てて持ち直す。と、あらわれた海老名えびな七緒ななおはきょとんとした顔をした。

「そんなえっちなビデオ見てたみたいな反応しなくても」

「してないから! いやそう、研究……海老名もした方がいいんじゃないか」

「するするー! するけどわかんないんだよね〜」

 言いながらスマホを覗き込んできたから、シークバーを最初まで戻してあげる。軽い調子には見えても、動画を見つめる海老名の瞳には、真剣な色が宿っている。

「ダンス?」

「いや、……歌」

「へえ! でもこの曲? 難易度高いのじゃないんだ」

 そう。

 一応これまでも伶として、努力家な面は見せてきたけど。大体はピッチの正確さとか、テンポの速い曲をどう歌うかとか、滑舌、発声、そういう技術面を中心に伸ばしてきたから。

「その、……歌に感情、どう込めたらいいかなって」

「あー! おれもそれわかんない!」

 だから、そういう側面の研究は、まだ気恥ずかしさはあるんだけど。海老名はそうして、茶化すでもなくあっさりと共感を示してくれる。こういうとこ信頼がおけるし、相談しやすい相手でもある。

「ここのソロパート、……ピッチは安定してると思うし、表現力も悪くない仕上がりだって思うんだけど……でも、胸に迫る、みたいな感じはないよな~」

「ええ! めちゃくちゃうまいって思うけど!」

 顔も切ないし、と海老名は色々褒めてくれるけど。パートを戻して、もう一度再生。

「ほら、……一応さ、歌詞も考えて、歌う時の声音とかも気を付けてはいるんだけど。胸が苦しくなったりはしないでしょ?」

「あ、切なくてぎゅっとくるみたいな?」

「そうそう」

「あー……」

 海老名の指がシークバーを戻して、目が閉じられる。伶のソロパートが過ぎたところで、ぱっと目が開く。

「ほんとだ! 先にれーくんうまいなーって思うかも」

「そうだよな……そうなんだよ」

 そう。歌詞もわかりやすくて、歌としての難易度も高くない。技術で魅せられる箇所な分、そこばかりが目立ってしまっている、気がする。

「でも、れーくんはマシだって……今聞いたらおれのパート元気すぎない?」

「いやいや! そこが海老名の良さだから」

 それぞれ移ろってくソロパートの中、海老名は確かにすこし目立ってもいるけど。タイムスタンプ付きの『七緒がいつも通りで安心する』ってコメントも、さっき二個くらい見つけたし。

「感情こめるかー……似てる思い出を思い浮かべながら演技する、みたいなの演技の方法であるしさ。歌もそうなのかな?」

「あ~、たしかに。それも手の一つだとは思う」

「そっか! じゃあ……うーん、そっかぁ……」

 近い思い出。もしくは、重なる感情そのものがあれば、もっと真に迫る歌になるんだろうか。

 伶として、どういう路線をどこまで突き詰めるのかっていう問題はあるんだけど。

 ふと。最近聞いたばかりの、対称的な、でもどちらもが一級の歌が、脳裏に過る。


 撫子さんのアイドルソングが急に恋の色を帯び始めたのは、何がきっかけだったのか。

 かすみの独唱は、何を思い浮かべながら歌ったのか。


 そして私は、何を心に浮かべながら、歌った方がいいのか。

「うーん……」

 とかを考えていると、ぽつりと海老名。

「れーくん、片思いしたことある?」

「え? …………は、はあ!?」

 何急に!?

「そんな絶賛片思い中みたいな反応しなくても」

「してないから!! な、何だよ急に……!」

「いやほら、おれ片思いしたことないから、思い出ないなーって」

「あ、…………」

 それはそうだ。歌の話か。

「な、ないけど。オレも全然経験ない」

 考えてるところにいきなりの質問で慌てたけど。そういうことなら答えは簡単。ないです。そのはず。全然思い浮かばないし。告白したりされたりとかも、人生で一度も経験ないし。

「えー! ありそうな反応、っていうか今片思いしてそうだけどなー」

「ない! ないから!!」

「えー……え、じゃあさ、誰かの夢とか見たことない?」

「……はぁ!?」

 ゆ、夢!?

「かかっ、か、関係ないだろ夢とか!! 何言ってんだ!!」

 見てないから!! 観覧車とか撫子さんとか夢で何度か見たりしてないから!!

 いや見たけどあれはタイミング的に戸惑ってたり、アイドルとファンとか脅し脅されでこう色々情緒がバグったのであって、よくわからないし! 友達だし!

 とか口に出せない、誰に言い訳してるかもわからないごちゃごちゃを考えていると、海老名は首を傾げてぽつり。

「……なんかれーくん、初めての恋で戸惑ってる歌、とかの方が感情乗りそう」

「ないから!!」

「あ! 七夕ライブの新曲そんな感じだよ! ちょーどいいじゃん!!」

「よくないから!!」

 そういえばそうだけど!!

「七夕ライブは海老名メインなんだから、そっちこそ感情乗せないとだろ! 七担当!!」

「えーでも、おれにはおれの良さがあるからなー」

「それはそうだけど!! ってかおい、これ次のレッスンで絶対思い返すじゃんこのこと!!」

「あはは! いーじゃんいーじゃん、おれれーくんのソロ楽しみだなー」

 いやもうこれ、ほとんど呪いだ。担当ソロパートの歌詞が脳裏でぐるぐる巡っては、いつかの夢とかはっきり固めていない何かの考えとかと絡み合いそうになって、慌ててぶんぶん頭を振った。

 ところでこんこんとノックと、がちゃりと扉の開く音。

「七緒くーん。伶くんの分のドーナツなくなっちゃうよ」

「あ! 忘れるところだった」

「忘れてた、の間違いでしょ」

 入り口に現れたのは、くすりと微笑む線の細い少年。Audit10nEEの最年少、現中学三年生の小鹿こしか望六のぞむ。色素の薄い髪、端正な顔立ちには、祖父譲りらしい西欧の血が感じられる。最年少らしく無邪気に振る舞ったり、この細さでグループ一の大食漢だったり、それでいてどこかミステリアスだったり、大人びた瞬間があったりする子。

「ドーナツ?」

「ここのオーナーさんから差し入れ。それに開場までもう一時間だし、伶くんもそろそろ控え室戻ったら?」

「うわ、もうそんな時間か」

 一応意識はしてたんだけど、海老名のおかげで確認をすっかり忘れてた。

「今日はライブパートない分、トーク多めでしょ? その辺りでまことくんが打ち合わせておきたいこともあるって」

「おー、さすがまこっち」

「そっか、ごめんごめん、最初から控え室でやればよかった」

 会場入りが早かった分、リハとかは十分済ませてる上だけど。手間をかけさせてしまったようだ。

「ううん。……ふふ、伶くんってよくいなくなるし」

「う……」

「れーくんは一人の方が集中できるもんね?」

「い、いや……あはは、はは……」

 一人の方が集中しやすいのは間違いないとして、普段よくいなくなるのは男装関連の色々がほとんどだから、乾いた笑いで誤魔化しつつ、控え室へと向かっていった。


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