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035 -それぞれの歌-


「なんでそんなぼそぼそ歌うのよ!」

「だ、だから守備範囲外って言ったじゃないですか!」

 いくらなんでも伶くんと違いすぎるでしょ!

「そこまで素山澪じゃなくていいから! ほらもう一回行くわよ! 今度はちょっと伶くんも足してちょうだい!」

「ええ!? 言ってること無茶苦茶ですって! 撫子さんが自分でがんばってくださいよ!!」

「頑張るにも方向を見定めるのは大事なんだから、あなたが見せてちょうだい!」

 やいのやいの言いながらマイクを押し付け合っているうち、また予約した三曲目のイントロが流れ始めて。何だかんだ二人とも立ち上がった状態で、曲が始まる。

「あっ、え……あ、あの日にかけた魔法は……」

「今もぉっ……残ってぇいる゛かなぁ゛……」

 下手にパートが別れている分、有耶無耶なままデュエットが始まった。迷っていた様子の澪も、途中から観念したように目を閉じて。

 開いた途端、歌が変わった。

「――」

 意識してるだけなのか、完全に伶くんではない。声音は澪のままだし、歌詞に合わせて可愛い歌い方になっていて。でも、歌詞の言葉を大事に歌うところとか、ロングトーンの残し方とか、私の知ってる伶くんすぎて。え? 私今、推しとデュエットしてる? というか推しとカラオケに来てる!?

「だからもーっと……好きになれ〜!」

 ロングトーンが明るく決まって、澪は笑顔で振りを真似て。私もほとんど呆然としながらそれを真似たら、彼女は曲の余韻が完全に消える前に、ぱっとこちらに顔を向けた。


「今の!」

「え?」

「後半のですよ! かなりよかったと思います!」

「え、……あっ、え?」

「歌い方! 力が抜けたのと、あと何だか甘い感じのニュアンスがあったというか、……それこそ、恋の感情が綺麗に出てたと思います!」



「はっ、………………は、はあーーーー!?!?」


 なななっ、何を!?

「あれができたらアイドルはばっちりですよ。もしかして、何か思い浮かべてたりしてましたか?」

「何も考えてなかったわバカ!! 才能よ才能!! なな、何言ってるの急に!!」

 え!? 伶くんに見とれてたらうまく歌えたって言いたいの!? こっちは何も記憶残ってないから!!

「いや、でも……」

「いいから!! っていうかせっかくだしあの、伶くんごめん持ち曲歌って!!」

「ええ!? 今!? いや今いい感じだったから、その感覚で撫子さんもう一回」

「いいからお願い!! 私が脅迫した体でいいから!!」

「その画像出されたら実際に脅迫なんですって!!」

 例の、澪と伶くんの画像を切り替えて素早くしゃしゃしゃと示したら、澪ははぁ、と溜め息を吐く。それから、少しの躊躇の後に、前髪を持ち上げて。

「……強引なところ、嫌いじゃないけどね。じゃあ、……撫子だけの、特別だから」

「…………!」

 ぶわ、と頬が熱くなる。

 澪の言葉が本当なのであれば、こうするのが、一番正解のはず。



「――完璧ですよ! あれが再現できれば、本番もばっちりのはずです!」

「――はっ!?」


 推しのセンター曲を間近で浴びたと思えば。

 気が付けば帰りの車中になっていた。

 いやどう歌ってたのか覚えてないけど!?



 +



 初めて歌で感動したのは、アイドル活動を始めてから。

 ようやく余裕を持てたタイミングだっていうのもあっただろうけど。


 アイドルになる少し前は、ほんとに全然余裕がなかった。お父さんが亡くなってしばらくで、これから進学とか入学を控えた弟妹たちのため、それから生活費のために、どうしてもお金が必要な時期で。手当たり次第に応募して、年齢とかバイト禁止とか、接客不向きを理由に落とされ続けてて。それでも日々疲弊していくお母さんをそのままにしておけなくて、やがてろくに内容も見なくなってたから、アイドル事務所の面接だと気付いたのは直前。服もいつもの雑な私服で、間の悪い雨の中走ってって、根暗っぽいと言われ続けてたからやけくそで前髪を持ち上げて、アイドル志望者のつもりで質問に答えて。

 そして後日。ないと思ってた合格通知の電話。面白がった声音の女の人に、他の社員が男だと勘違いしてるようで、枠としてもそっちじゃないと見込みはない。キミがいいならそれで通すけどどうする、と。

『魅せる側になるなら、魅せられる経験もないとな』

 そんな言葉と共に、色々手を回してくれたその社長に連れられて、人生で初めて参加したライブ。

 採用された事務所ではない大手所属のアイドルで、理由を尋ねたら『うちは成長中の子しかいないから』とあっけらかんと言われて、ちょっと不安にはなったけど。

 名前は知ってる。顔もなんとなく。曲はぎりぎり聞き覚えがあるくらいで、文脈とか知らなかったし、もちろん推しであるはずもなくて。

 それでも。



『――』



 ステージ上のアイドルに。

 そのパフォーマンスに、魅せられた。


「――み、みおちゃん」

「あ、…………かすみ」


 と。

 公演前特有の落ち着いたざわめきが包む会場の関係者用に用意された席。そこの一席で、声をかけられて意識が戻った。

 考え込んでしまってたようだ。昨日のカラオケ貸し切りでの練習とか、今日の合唱部の公演とかで、歌を意識することが増えてたせいだろう。気を取り直して振り返れば、そこには笑みを……いや、カチコチの笑みを作ったかすみ。

「ふふ、……結構緊張してそうだね」

「うっ、だ、だいじょうぶ! れんしゅうしたから!」

「うん……大丈夫。落ち着いて」

 たどたどしい言葉も自分に言い聞かせてるみたいで、正直に言えば微笑ましくすら思えるほど。本人にとっては笑い事じゃないだろうけど、そういう初々しさも含めて魅力に変わるだろうし。そんな彼女の人気も手伝っているのか、シートは当然のように満席で、後方の通路にさえ立ち見の人が並んでいる。去年はシートの埋まり具合も七割くらいだったから、これは確かに、緊張してもしかたない。

「かすみ。大丈夫」

 こわばった表情もファンの人にとっては可愛いかもしれないけど。このままだと、本番のパフォーマンスにも影響が出るだろうし、それは本意ではないだろうから。かすみの手を優しく握って、なるべく落ち着かせられるように、柔らかくを意識して声を出す。

「不安だったら、私に聞かせるつもりで歌ってよ。私は、かすみがこの一年間頑張った分を、親友として聴かせてもらいに来ただけだから。友達に歌うくらいのつもりで、歌っていいからね」

「う、……うん……。あのっ、……ありがと」

 少し上擦った声で言ってから、かすみはすうはあと深呼吸。

 完全に緊張をほぐせたわけじゃないけど、さっきよりは落ち着いた声音で、こくりと頷いて。

「うん……そうだね、……そうしてみようかな」

「いいよいいよ。じゃあちょっと贅沢だけど、私のために歌ってもらおう」

「ふふ、……うん、そうするね」

 こくり、と頷いたかすみは、ありがとう、とすこしだけ微笑んでくれた。ちょうどそこで開演前のアナウンスが響いて、また少しだけ緊張を思い出した様子で戻っていく。

 内心で応援を送りつつ、あらためて場内を見渡せば、中央付近に撫子さんの姿が見えた。昨日の帰り際、合唱もライブの参考になるかもしれないから、そういう視点で聴いてもいいかもとアドバイスしたのだけれど、実際そのつもりなのか顔つきは音楽鑑賞というより、ライバルグループの研究と表した方がよさそうなくらい真剣そのものだった。周囲にはよくお昼休みに一緒にいる人たちが集まっていて、それぞれ興味の程度は違っていそうだった。

 あらためて舞台に目を向ける。

 かすみにはああ言ったけど。私も私で、研究をするつもりではある。というか、そのつもりがなくてもそういう視点が混じってしまうと思う。アイドルとして活動するようになってからは、音楽の、表現の見方が、なる前と大きく変わっていて。

 それでも。

『鑑賞する時に重要なのは、まずは素直に感じることだ。受容してはじめて、その素のポテンシャルを知ることができる。それを経た上で、振り返って分析するといい』

 それは、我らがAudit10nEEで一番の歌唱パフォーマンスを誇る、魚守兄にもらった、いつかのアドバイス。

「…………」

 研究は後でする。だからその分、今は素直に鑑賞しようと、思考をゆっくり空にしていく。


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