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「聞いたことないですよ、二人で歌うためにカラオケ全室貸し切りなんて……」
「しかたないでしょう。ほら、二時間で帰らないとなんだから」
折角生徒会も早めに切り上げたのだから。躊躇してる様子の彼女を促しながら、一号室の扉を開く。カラオケの扉は薄いと聞いたことがあるのだけど。予想してたより重たいその扉に、声をかける前から澪が手を添えてくれる。
「二時間のために貸し切り……」
「リスクを考えてよ。万一他の部屋に歌が漏れたら、伶くんの声だって気付かれるかもしれないし?」
「いや……音漏れも、このレベルの高級店だと大丈夫な気はしますけど」
確かに、仕乃が言うには高級店らしく、内装もまぁ悪くない。生徒会室と同じくらいの広さの空間、その奥側の壁を覆うようにモニターがかかってて、それなりの格のテーブルやソファがゆとりを持って設置されている。手前側には仕切りのあるスペースがあって、ソファベッドが置かれているところを見るに、小休止の為のスペースのようだ。
落ち着かない様子できょろきょろと見渡した澪は、こちらにじとりとした目を向けてきた。
「一応……私はあくまで手伝いですからね? メインは撫子さんですよ」
「……わかってるわよ。私だって練習中の歌を聴かれるのは恥ずかしいの。これなら万が一もないでしょう」
確かにこれなら、そこまで心配はなさそうだけれど。可能性が頭に過ってしまうのと、全くないのとでは心持ちが全然違うし。
いや、まぁ。本気でそういうのを気にするなら、家にレッスン用の設備を用意する案もあったし、カラオケ機材だって直接設置できるとも言われた。どうして貸し切りにしたかと言えば、自宅でやるとまず間違いなく、桃園姉妹辺りが見学しに来るだろうというのがひとつと。
単純に。
友達と……澪とカラオケ、行ってみたかったのもある。今回はほとんど、作戦会議ではあるけれど。
「練習期間はほぼ一ヶ月……でも、ショニの七夕ライブと期末テストが間にあることを考えたら、時間の猶予は全然ないわね」
告知したライブの日程は七月の中旬。皆が気軽に来られるよう、そしてせっかくの告知が色褪せないよう、夏休み前の比較的暇な時期に設定している。
「体力と練習期間を考慮して、アンコール含めても四曲程度が現実的でしょうね。まぁ、アンコールなしの三曲でも十分だと思いますけど」
「用意するわよ、アンコールも。ただ選曲が問題よね」
予定調和のアンコールの是非は置いておいて、単純に一アイドルファンの忌憚なき意見としては、アンコールまで含めてライブだとは考えてしまうし。このくらいのミニライブでは期待されないことも多いけど、自己分析する限りは『桜条撫子の単独ファーストライブ』となれば、ほぼ間違いなく終了後にアンコールを受けるだろう。それに応える曲を持たないようでは、私自身の気が収まらない。
「一応、……Audit10nEEの曲は、その……」
「やらないから安心して。キーも違うしパートも多いし、何よりあなたにとってリスクが大きすぎるでしょう」
「……なら、よかったです」
「ま、そこが使えたら、覚える手間は省けたのだけど」
女性ボーカルのアイドルソングは嗜み程度にしか知らないから、通しで歌える曲はほとんどない。だから、一から選ぶことになるわけだ。
「とりあえず……このリストから試してみるわ」
「あ、秋流さんの。一通り聞いてみましたけど、意外と真っ当なセレクトでしたね」
「ほんとよ。ちょっと私も驚いたわ」
体育祭から二日、特に休みにもなってない月曜日。生徒会もないのに、作戦会議の場にしれっと現れた秋流さんが、ライブのお手伝いです、といきなり差し出してきたA4の紙。そこには十数曲のアイドルソングが一言メモと一緒に並んでて、しかもどれも、トレンドも抑えつつ桜条撫子が歌っても解釈違いじゃない程度の選曲たち。昨晩で一通りMVとかライブ映像を見たけど、どの曲もダンスの難易度も高すぎずで、正直心から助かっている。
「夏だし、元気な曲は一曲入れたいの。リストで言うと二番とか五番みたいなものね。ただゆったりしたテンポのものも挟みたいから、七番と十一番のどっちかもほしいのよね」
「あ、十一番ですけど、たしかに曲調はゆっくりですが、その分体勢の維持が結構キツいと思います。個人的には、七番の方がオススメです」
「ありがとう、そうなのね……そういう情報がほしかったのよ」
MVは何度も再生してるし、ショニの人気曲の大体、特に伶くんのパートの振り付けは頭に刻み込んでたりはするけど。自分で踊るのに積極的なわけじゃないし、ダンスに関しては社交ダンスや舞踊の経験がある程度で、素人。
まぁ、忙しい伶くんに頼り切りになるわけにはいかないけど。だからこそこうして、頼れるタイミングで全力で頼るのだ。当然この桜条撫子、使えるものは全部使う。
そうこうして。
「……有力候補はこの七曲ね。一曲ずつ歌えるか確かめるから、聞いた感想を教えてちょうだい」
振り付けの難易度や曲の長さなんかも考慮して、セトリの候補を選出し終えたらいよいよ、カラオケに曲を予約していく。秋流さんのこのリスト、どこまでも有能なセレクトで、どの曲もMV付きでしっかり入ってたから、ダンスの難易度も歌と合わせて再確認できた。
「思い出の中にぃい……! ……この曲は高さは問題なさそうだけど、コーラスないと物足りないわね」
「……そうですね」
「君だからぁあ……! ……ここの振り、結構難しそうね。アウトロでこんなに動くのね」
「……」
「だからもっとっ……! 好きになれぇ……あら、結構悪くなかったんじゃない?」
そうして。
三曲歌ったところで、澪が、ぽつり。
「えっと…………」
「…………何?」
何か、あるのかしら?
にこりと、綺麗な笑みを向けてあげる。
「い、いえ、……その」
「言いたいことがあるならはっきり言いなさい」
「う、ええと…………」
迷うように視線を揺らしながらも、澪がおずおずと。
「少し歌い方のテイストが、歌謡とか演歌っぽすぎるかも……」
「ええそうなのよ!! どうしたらいい!?」
やっぱり人が聞いてもそうなのね!? 歌いながら嫌な予感してたけど!!
「私も何でかわからないの!! どうしたら直るのよこれ!」
採点でもやたらこぶしで加点多いなって思ってたけど!!
「さ、さすがに振りが入ったらダンスにも体力持っていかれるとは思うので、多少軽減されるかも」
「それだとヘロヘロの演歌になるだけじゃない!」
「う、……そうかもですけど……」
曲を入れずに、今歌ったばかりの三曲目のラストを口ずさんでみる。浮かぶ音のイメージは三味線とか壮大な弦楽器とピアノとかで、澪がますます微妙な顔になっていく。
「これは、相当手強いですね……」
「なんで、……どうしてよ…………!!」
それから十分ほど、アドバイスをもらいながら試行錯誤してみても、ますますこぶしに磨きがかかっていく一方で。
「そうだわ!」
そうだ。これしかない……!
「ねぇ澪、伶くんじゃなくて、あなたとして歌ってみなさい!」
「えぇ!?」
ぐい、とマイクを持たせて、三曲目をもう一度予約する。
「あなたのを参考にするから! 素山澪として歌ってちょうだい!」
「そ、そんな! 女性ボーカルは守備範囲外ですって! 数年歌ってないですから!」
「手伝うと言ったのはあなたでしょう! ほら、いいから歌ってちょうだい! わたくしを助けると思って……!」
言っている間にイントロが流れ始め、澪は慌ててマイクを握り直す。職業病なのか、軽く振りを真似ながら彼女は流れる歌詞を追い始めて。
「だからもっと、好きになれ…………」
「……全然参考にならないじゃない!!」
ふにゃふにゃの歌声が、余韻も残さず部屋に吸い込まれた。