「えっ……」
「速かったのももちろんだけどさ、それはほら、本人が何か運動やってるか、天性のものかってことでしょう? でもあの子、あの学園一の有名人、桜条撫子さんにライバルとして手を引かれてた」
突然の質問。想定外の内容で。
口の中が乾く。喉奥に言葉が引っかかる。
パニックになって、答えられずに固まっているうちに、先輩はにこにこと続ける。
「それで聞いてみたら生徒会長で二年の首席、しかも、うちの学園で二番目にファンが多い花糸かすみさんが幼馴染だっていうでしょ? それで本人が全然有名じゃないの、面白いなって思って」
「え、……っと、あ、……あの」
「あははっ! ごめんごめん。何だか警戒されてるみたいだったから、大切なお友達なのかなって」
「み、……澪ちゃんは、大事な、親友です」
ドキドキと鼓動が打つ。先輩はそうだよね、と笑顔で頷いて、それからグラウンドに目を向けた。
同時、パン、と。
いつの間にか準備が済んでたみたいで、開始の合図が鳴り響く。一斉に駆け出す選手たち。第一走者の秋流さんは、自分のペースで走者たちの真ん中くらいを淡々と走って、小薬さんにバトンを渡す前に立ち止まった。
『生徒、保護者の皆さんこんにちは。清正院学園高等部生徒会書記、清正院秋流です。掛け持ちで清正院の覇者もしています。私たち生徒会は、生徒の皆さんが過ごす学生生活がより良いものとなるよう、最新鋭の科学技術や占い、心理テストを駆使して様々な施策を制定し、学園の改善に尽力しています。ですが表立っての活動は少なく、生徒の皆さんに直接活動を示すこと、また生徒の皆さんからのお声をいただくことが十分にできていない現状がありました』
まだ走者じゃない桜条さんが騒いでるから、多分あることないこと足してるんだろう。そこまで言うと秋流さんは小薬さんにバトンを渡して、涼しい顔で集合場所に戻っていく。
小薬さんも駆け出したけど、『全自動リレー完走機一号くん』はさっき没収されていたから、地道に自分の足で走り始めていて、開始10mくらいで足取りが重くなっている。
「私、面白い子が好きだから、どんな子なのか興味があってね」
「……」
「生徒会長なのに目立ってなかったっていうのは……単純に、生徒会が裏方だからってだけじゃないでしょ? この学園だと成績順でなるはずだし、それだけの学力で注目されてないのは、意図的に、影を薄くしてたのかなって思えもする」
それは、そうなのだろう。
私は単に、澪ちゃんが目立ちたくないだけだと思っていたけど。でも。成績以外にも隠してることがあるのは、さっきの借り物競走のことで、わかってしまった。
思えば。
澪ちゃんは随分忙しい。一緒に遊びに行ったりだって、放課後帰るくらいだって、うまく時間を見つけたり、がんばって動かないと中々捕まらなくて。
何となく、家族のためにバイトしてるらしいことは察している。学園の規則上は学生のバイトは禁止だから、そこには触れずにいるけれど。
『ひゃっ、……え、ふ、……会はっ、……ます、…………っこの、おえ゛っ…………せっち、…………はあっ、…………はあっ、……う゛っ……』
小薬さんがようやく桜条さんの元に辿り着いて、息を乱しながらマイクを握る。ほとんど言えてなくて伝わってはこなかったけど、そのままマイクをパスすると、秋流さんと風紀委員の子に回収されていった。桜条さんは溜息一つでマイクを握り直すと、表情を改めて、整った姿勢で颯爽と走り始める。
そして。先輩はそんな様子に目を留めながら、言葉を重ねた。
「でもさ。これは私の勘なんだけど。桜条撫子、……あの子は知ってそうじゃない? 素山さんの秘密」
「……わかりません」
「花糸さんは、あの子があんなに速かった理由、知らないんだよね?」
「……」
知らなかった。けど。だからって、桜条さんが知ってる理由にはならない。
「桜条さん、借り物で素山さんを選んだ後、手加減なしでそのまま走り出してたし、ゴールした後も、ただ悔しそうな表情だった。あれだけ動ける桜条さんが走りで負けたら、もっと驚いてると思うんだよね」
「……」
どくり、と。嫌な動悸と、胸の痛み。
澪ちゃんが困るだろうとわかっていながら、どうしてアイの続きを尋ねたくなったのか。どうしてずっとモヤモヤしてたのか。目を背けてたその理由を、突き付けられた気がした。
『皆様ごきげんよう。清正院学園高等部生徒会、副会長の桜条撫子です。まず、訂正ですけれど……』
さらさらと、秋流さんの虚言を訂正していく。
そんなコミカルな様子さえ優雅さを保ったまま、桜条さんはすらりとスピーチを締めていった。
『会計、小薬リリもよく走ってくださいました。おつかれさま。彼女と私の分のスピーチを簡潔にまとめます。生徒の皆様の意見をうまく汲み取れるよう、ご意見箱を設置することにいたしました。ただ設置するばかりでは投書が少なくなる懸念もありましたので、設置に際して投書を増やすための案を、生徒会内で最初の投書として募ってみました』
台本外だろう台詞を流暢に紡いで、桜条さんはマイクを澪ちゃんへ渡す。
すこしだけ、期待したけど。澪ちゃんの視線はこっちに向いたりすることはなくて。淡々とスタートしたその走りは、借り物競走の時よりずっと速度を落としていた。
「気にならない? あの子の秘密」
「……なりません。迷惑になるし」
「そっか。でも私、結構気になっちゃったな。花糸さんと話してたら、余計面白そうだって思ったし」
ざわり、とその言葉でまた胸騒ぎがしたけど。変に反応したらもっと興味を持たせてしまいそうで、何も言わずに口をつぐんだ。
気になる。もちろん気になる。アイ、で途切れた渚ちゃんの言葉が、本当はなんと言おうとしてたのか。
澪ちゃんが何を隠してるのか。
桜条さんが何を知ってるのか。
澪ちゃんは淡々と100m走りこなすと、マイクを握って話し始める。
『生徒、保護者の皆さんこんにちは。清正院学園高等部生徒会会長、素山澪です。ええと……ご意見箱への最初の投書ですが、いくつかある案の中から、ひとつ採用されたのでここで発表します』
コホン、と。その咳払いは、いつもの澪ちゃんの振る舞いとすこし違って、皆の注目がちゃんと惹きつけられた。
『投書の内容ですが……「桜条撫子さんの大ファンなので、ご意見箱の告知としてライブしてほしいです! そこで校内の気になることも応募すれば、注目も集められるし、数も集まると思います。アイドルソングのカバー希望です」……となります。日程は追って連絡するので……』
歓声が沸いた。主に、桜条さんのファンクラブの方から。言わされてるのかぼそぼそと、私の投書が採用されました、の言葉も付け足されるけど、そんな澪ちゃんの声は掻き消されて、会場の注目は桜条さんに移っていく。
私は。
「あははっ、想像よりもっと面白そうかも! ライブかぁ……しかもファン名乗るんだ」
そんな先輩の言葉も聞こえないまま、ある単語が、頭の中を巡っていた。
アイドル。
それが、アイの先だとしたら。
それが、澪ちゃんの秘密だったとしたら。
そんなはず、と思いながらも、どうしてか動悸が消えなくて。動画撮るのを忘れてたのに気付いたのは、帰りに皆と合流してからだった。