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029 -私立清正院学園 体育祭-


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『続いては、生徒代表、選手宣誓をお願いします』

 梅雨時の晴れ空に、高く吸い込まれていくアナウンス。



 ――私立清正院学園、体育祭。

 伝統と文化を重んじるこの学園では、体育祭という伝統行事そのものは重要視されている。雨天と晴天どちらでも滞りなく実施できるよう、設備を十分に整えておくくらいには。けれど生徒たちがどこまで乗り気かといえば、多少疑問なところで。

 そもそも清正院に通う学生は、それなりの学費を払える家庭出身か、澪のように特待生として、秀でた部分を活かし、入学した生徒がほとんどで。体育祭で主眼となるような、組み分けしての競争だとか、競技ごとの順位なんかには、頓着のない生徒が大多数を占める。

 もちろん、だからといって参加しがいのない行事ではないし、勝ち負けにこだわらなくとも楽しみがないわけではない。

 清正院で体育祭が、どんな行事として楽しまれているのか。

 それは、選手宣誓の光景を見ればわかるだろう。


 アナウンスに従って、彼女が歩みを進めると途端、湧き上がる黄色い歓声。

 普段はミディアムのその髪は、今はポニーテールに結ばれて、それが彼女の元気なイメージを一層健康的に磨き上げ。けれどその端々に、隠しきれない好戦的な野性味が覗いていて。

 そう、生徒代表は私、桜条撫子でも、素山澪でもなく。



「――宣誓!」



 しん、と飛び交っていた歓声は、彼女の一声で静まり返り。

 快活でハキハキとしたその声は、宣誓文を読み上げていき。

 戦場で兵を率いる武将のように、自然と全員の背筋を正す。


「正々堂々と戦い抜くことを誓います! 以上、生徒代表、犬伏いぬぶし稜稀いずき!」


 そして、大歓声。

 彼女こそ、この清正院学園でファンクラブがある三人目。

 高等部三年、スポーツ特待生の犬伏稜稀。

 要するに。清正院での体育祭は、彼女のような一部の生徒の活躍を楽しむ、一大イベントと化しているのだ。


「…………」


 ――と。

 さっきから視界の隅にぱたぱたと、はためく桃色の横断幕。そこに刺繍されているのは、『桜条撫子』の雅な綴り。

 まあ、そうよ。わたくしも当然、注目される側ではあるし。


「桜条さん、ごきげんよう。あちらに大きな名札を落としていましてよ」

「あら。朝日奈さんは、ご気分が優れないのかしら」

 嫌味な言葉と共ににこやかに現れたのは、モブ令嬢としてわたくしの中で認識が固まっている、朝日奈あさひなかつら。事あるごとにマウントを取ったり嫌味を言ってきたりするけど、正直困らせられたことがない。

 今回もにこりと、余裕たっぷりに微笑んでみせる。

「名札と間違えるだなんて相当ね。あれは、わたくしを慕ってくださる方々が、応援してくれているの。横断幕と言うのよ」

「…………」

 にこり、と微笑んだ彼女はくるりと後ろを向くと、すう、と華やかに息を吸った。

「知っってるわよボケカスぅ嫌味に決まってんでしょうがこちとらバリクソ元気だし朝御飯もモリモリ食べたわ茶碗三杯よ茶碗三杯ぃ!!! ワクワクしすぎてちょっと寝不足なくらいだから!!!!」

 はぁ、はぁ、と二、三度肩で息をすると、再度くるりと。

「……わたくしは幸い好調ですわ。それはもう、共に競う方にも気の毒なくらい。ですから戦績についても後々明るいご報告ができると思いますし……あらそういえば。桜条さんは、障害物競走には出場されないわよね?」

「ええ、出ないと思うけれど」

「え゛っ!?」

「あらごめんなさい、出場するわね」

「…………」

 にこり、と微笑むとまたくるり。

「わざとでしょ? ねぇわざとでしょ!? オイ絶っ対わざとでしょ今の間だけで何も見ずに思い出せるかよオイオイこっちが敢えて皆コテンパンだよぉ〜って煽ってやってんだから流れでスッと行かせなさいよ!!!!」

 はぁ、はぁ、くるり。

 まぁたしかに、わざとだったけど。

「あらまぁ! 桜条さんと同じ種目に参加できるなんて光栄ですわ。さすがに桜条さんほど慕われてはおりませんから、ご友人に手伝われては勝ち目はありませんが……正々堂々、お一人で勝負していただけるのよね?」

 ううん、本当に。ちょっと面白くなってしまうくらい露骨な嫌味。朝日奈さんのこういうところは、別に嫌いではないのだけど。

 けれどそれは、彼女からの宣戦布告だ。

 越えるべき壁は澪だけど、挑まれた戦を買わない手はない。

「――ええもちろん。皆さんの応援に報いるためにも、一位を取ってみせますわ」

 ほとんどの生徒は、体育祭での組み分けしての競争だとか、競技ごとの順位なんかには、頓着がないけれど。



「っしゃーーーー見てなさい!! 練習の成果見せてやるんだから!! 借り物競走だってもう、大概の物は友達総出で用意してもらってんのよ!!!」



 そう威勢良く去って行く朝日奈さんに、負けるつもりはさらさらない。

 皆興味がないとして、勝ち負けのある勝負事なんて。

 この桜条撫子が、こだわらないはずないでしょう?



「…………」


 そして。

「…………あの子……」

 本当、目立つ気も、こだわる気もなさすぎでしょう。

 目線を移した先、隣のクラスの端っこで、澪はひっそりと立っている。

 彼女はあるいは、犬伏さんにさえ迫れるポテンシャルがあるはずで。

 Audit10nEEの中で行われた体力測定企画で、伶くんはどの測定項目でも、中程度の成績を取っていて。握力は落ちて八位だけれど、50m走に至っては魚守弟くんを抑えて第三位。

 もちろん、メンバーそれぞれに得手不得手はあるから一概には言えない。努力家の伶くんが裏で色々トレーニングを頑張ってる分、平均的に成績がいいというのがファンの共通見解ではあるけれど。伶くんは、澪なのだ。

 男性アイドルグループの中、男装参加でそんな成績を取るということは。

「……あなたも、ちゃんと参加しなさいよ……」

 あの子がまともに選出されていれば、本来のライバルは彼女のはず。一応もう一度出場者の目録を確認してみたけど、やっぱり個人が選出されるような競技では、部対抗リレーを除いてどこにも素山澪の文字はなくて。

 むう、と睨んでいると澪が眠たげな欠伸を浮かべて、伶くんとの違いに溜め息が出た。


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