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027 -雨と傘と嘘-



 不意打ちの問いに、露骨に動揺してしまったけど。

「あっ、ご、ごめんね? その、見るつもりじゃなかったんだけど、……書かれてたのが、ちょっと目に入ったから」

 私が色々書いた案には、結局『澪がファンでやりたいと要望→桜条撫子のライブ開催』の文言は残ったまま。それは譲れないとやいのやいの言われたから妥協しつつ、不自然でない形に整えた、というわけで。


「あー、えっとその、……あれはなんて言うか……」

「あっいいのいいの! その、もし言いづらかったら全然……!」

「あっいや、そういうわけじゃないんだけど」


 そもそもが建前の文言ではあるけど、ライブを開催するのは事実になってしまうし、表向きには私がファンということになる。だからここでファンであるのを否定するなら、事情まで話さないといけなくなるけど。

 でも、テストの点での勝負で、私から提示するのが撫子さんのライブっていうのは唐突だろうし、かといって私が撫子さんにライブを、しかもソロライブをせがまれたというと、色々余計な憶測を招きそうで。


「う、うん……まぁその、ファン、です」


 伶くんのことを伝えてない以上、認めるのが正解、と高速で巡らせた思考で着地。

「わ。でもファンの人多いって言うし、本当に素敵な人だもんね。……ファンになっちゃう気持ち、私もわかるな」

「うん、…………まぁそう、……だね」

 それに。まぁ。

 撫子さんに直接伝えることはしないけども。ファンであるというのは、あながち間違いではない、かもしれない。

 いやもちろん、ファンクラブに入るような感じではないし、あくまで友達としてだけど! ただ、この間の遊園地デートで、普段は完璧なお嬢様の下に隠してる、彼女の……強さを知ったから。

 私自身、アイドルとして。ファンになるためには何か資格が必要なわけじゃなく、応援したいって思ってくれたら、その人はもうファンだと思ってる。

 私はきっと、撫子さんを応援したいんだ。それは皆が見てるような、お嬢様としての彼女とは、ちょっと違うかもしれないけど。

「……撫子さんのライブは、見てみたいかなって」

「……そっか」

 かすみはにこりと微笑むと、それからふと、空を見上げる。厚く曇ったそこは、夕陽がもう沈んだのかどうかもわからない灰色模様。

「澪ちゃん、傘持ってる?」

「うん、あるよ」

「よかった。私、忘れちゃった」

 降ってきたらお願い、と彼女は付け足すと、それからくるりと振り返る。

「そういえば。桜条さん、澪ちゃんのこと澪って呼んでたね」

「ああ、それね。うん、……もう一年も生徒会やってきてるし、余所余所しいのもなんだからって」

「あ、だから澪ちゃんも、撫子さんって?」

「そうそう」

 多分、それだけじゃなくて、お友達になりたかったんだろうけど。それはさすがに、撫子さんの名誉のために言わないでおく。

「そっか……なんだか、前にお話した時よりずっと、親しくなってるみたいで、ちょっとびっくりしちゃった」

「ああ、……まぁ、そうだね。呼び方って結構、大事なのかも」

 もちろん決め手は、遊園地デートだろうけど。

 それから。少し沈黙が流れた後、かすみがふと、思い出したようにぽつり、声を出した。

「あのね、澪ちゃん」

「うん?」

「来週の水曜日、合唱部の公演があるの」

「ああ。うん。今年はかすみも出る側だよね? もちろん見に行くよ」

「……うん。あの、ありがとう」

 合唱部のこの時期の公演は、基本的には新規部員獲得のための、学内向けの公演らしい。

 去年は、友人に勧誘されたから見学したいと言われて、一緒に公演を見に行って。そこからかすみは合唱部に入部して、元々いたファンを、この一年で随分と増やした。そもそも声がいいのもあるけど、真面目な分公演を見る度に実力も伸びているし、私も今年も楽しみにしている。

「その、……実はね、今回私、独唱があるの」

「え! すごいじゃん」

 独唱枠、去年は二人しかいなかったのに。

「えへへ、皆が推薦してくれて……それでね、独唱枠もらったら、お友達用の席、指定できるよって言ってもらえたの」

「おお、関係者席みたいな感じ?」

「うん! ……だから私、澪ちゃんさえよければ、そこでどうかなって……あっ、」

 と。話題を切って、かすみはふと右手を伸ばす。何かを受け止めるようにして、空を見上げる。気付けば空気がさっきよりも冷えていて、ぽつりと、私自身も水滴を感じた。

「はい。ちょっと狭いけど」

 ぱっと、意識していた分取り出しはスムーズ。広げた折り畳み傘に、かすみはありがとう、と肩を寄せて。雨音はあっという間に強まって、傘を叩くたくさんの雫たちの中、それでも同じ傘の下、さっきよりも大きく聞こえる声で、かすみは続ける。

「澪ちゃんの席、用意してもらおうと思ってるの。……どうかな?」

「うん! もちろん。嬉しいよ」

「……その。桜条さんももし見に来てくれるなら、……席、指定は一席までって言われちゃってるんだけど」

「ああ、……まぁ多分、撫子さんが見に行くなら、他にたくさん一緒に見る人はいると思うから」

 お昼だってそれなりの人数で食べてるし、わざわざ放課後に私を捕まえたりしてなければ、そもそも一緒に行動できる相手は多いはず。まぁ、……遊園地に行くまでの仲というのは、いなかったのかもしれないけど。

「うん。大丈夫。席、お願いしていい?」

 そう言ってかすみを見ると、かすみは一拍間を置いて、うん、と嬉しそうに頷いた。


 ■


「……じゃあここで」

「……ごめんね、わざわざ雨の中」

「雨だからでしょ。いいよ、私だって忘れることあるし」

 そう言って、澪ちゃんは帰っていく。

 傘が濡らした玄関ポーチで、風が届けるちいさい雫を肌に感じながら、その背中をずっと見送った。

「……」

 嘘をついた。鞄に隠した傘も。指定席、ほんとは結構融通利くのも。澪ちゃんと桜条さんが親しくなってることに、本当は嫉妬してるのも。

 こんな嫌な子、傘に入れてくれなくてよかったのに。

 ずぶ濡れで帰って、風邪引いて皆に迷惑かけて、嫌われた方がお似合いなんだ。

 でも。

 多分澪ちゃんも、私に言ってくれてないことがある。

 って。そう思っちゃう自分が一番嫌だし、消えちゃいたい。

「…………」

 吐く息が震えそうになるのをぎゅっと堪えて、ゆっくりと。怖がりすぎ。考えすぎだ。澪ちゃんと桜条さんが仲良くなったら、むしろそれは歓迎すべきことでしょ。桜条さんと仲良くなったら、澪ちゃんも今まで以上に学園に馴染めるはず。毎日がもっと楽しくなるはず。それはとっても、いいことなのに。

「…………」

 がちゃりと、玄関の重たい扉を抜けて。部屋に入ってすぐに、だらしないけどベッドに座って、そのまま横にぽすり。

 ころ、と拍子になった鈴の音。水族館の、ハート型のストラップ。

 澪ちゃんがただのお友達だったら。恋なんてしてなかったら、きっとずっと、楽だった。



『――かすみ、大丈夫?』


 思い浮かんだ、もう何年も前の、まだ幼い澪ちゃんの顔。ずっと忘れられなくて、今でもとくりと胸を鳴らせる、澪ちゃんのまっすぐな瞳。

 あの時からずっと私は、澪ちゃんのことが。



 ぶぶ、と。

 スマホが震えた。

『お母さん、体育祭の日来るのむずかしそう』

 淡々として見えるメッセージ。でも。澪ちゃんがかっこいいだけじゃないのも、強いだけじゃないことも、私は知ってる。

 私が知ってる。

『妹たちは来たいみたいだから、やっぱりかおりさんにお任せしていいかな?』

『いいよ! お母さんもいいって言ってたし』

 一緒にお昼食べようね、と付け足して、楽しみの気持ちをライトに、でもいっぱいに込めたスタンプを足す。

 私が誰より一番に、澪ちゃんと近いはず。

『澪ちゃん、今日大丈夫なら、あとでお話しない?』

『通話?』

『うん』

 そう送るまでに、十分くらいドキドキしたけど。

『21時半とかになっちゃうかもだけど、平気?』

 しばらく経ってからの返信に、安堵と、すこしの勘ぐりと。

『うん。今日は澪ちゃんの声聴きながら、寝ようかな』

『じゃあ、私もそうしよっかな』

 ちょっとだけ、甘えを込めてみたそんなメッセージに、あっさりそうして返してくれるから。澪ちゃんってずるいなぁ、って、布団にぽすりと顔をうずめた。


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