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025 -揺れるゴンドラ、エスコート-


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「はぁ、……はぁっ……」

「撫子さん、……もう少し、頑張れますか?」

「い、……行けるわよ……!」

 夕陽が照らす遊園地。

 当初の予定では、あと三十分ほどで遊園地を出て、帰路に就くことになっている。

「はあっ、こ、……こらぁっ! はあ、……も、素山澪っ……お嬢様も、……か、観念なさいッ……!」

「ふふっ、……これだけ大勢で、楽しい時間を過ごしては、すこし頬も上気してしまいますね」


 追ってくる姉妹や黒スーツの集団も、皆ヘロヘロになっている。本当に、色々とすごい姉妹だと思うし、ここまで貫き通せるならもう敬意を払っていい気もしてくる。とはいってもまぁ、撫子さんも最後まで捕まる気はないようだから、最後まで逃げ延びようとは思うけど。

「……そろそろ、乗れるアトラクションも限られてきます、けど……どうしますか?」

 結局桃住さんたちも黒スーツの人たちも、いざアトラクションに辿り着けばちゃんと後ろに並んでくれるから、多分どのアトラクションであっても参加はできるだろう。

 候補がないわけではない。デートの計画中、最後まで入れるかどうか迷った挙げ句、夢は夢だと割り切って、デートのエスコートなら外せないと腹を括った、そこ。

 夕暮れ時の今、大人気で混雑はしているけれど、プレミアムチケットならまだ、間に合うはず。

 でも。逃げ続けた今、アイドル活動で鍛えた肺でも息が上がり始めて、鼓動が逸っているからか。ドキドキと打つそのリズムの中では、その場所を、うまく口に出すことができなくて。

「みっ、……澪」

「はい」

 もう限界が近そうな、それでも意地か備わった威厳か、流れる汗もやっぱり絵になる澄ました表情。彼女がこちらをちらりと見て、小さく口角を上げた。

「かっ、……」

 と。息を整える合間にも。何を言うのかわかった気がして。そのたった一音だけで、とくりと、加速した鼓動の中でひと際、高鳴ったそれを認識できた。



「か、……かんらん、しゃ」



 夕暮れの中。手を繋いで、一緒に走る中。

 彼女はちいさく微笑んで、そう告げる。


「……わかりました」

 こくりと頷いて、すっかり頭に入った園内マップを思い出して、遠くに見える観覧車へ繋がるルートを走り出す。

 こうなれば、観覧車に入るまでに捕まらなければそれでいい。ゴンドラにまではきっと乗り込んでこないから、列に並べさえすれば、後は帰宅予定時刻まで観覧車の中で過ごせるはずだ。あまり急ぎすぎず、撫子さんに無理がない範囲で足を急がせつつ、追いかける彼女たちを振り切ることなく、観覧車へと辿り着く。


「乗ったこと、あるのよ」

 プレミアムレーンへ並んで、ぞろぞろ続く黒スーツたちを認識しつつ、息を整えている中で。ふとぽつり、撫子さんが呟いた。

「遊園地、いつも貸し切りで。でもね、……別にわたくし、来たくなかったの」

「……」

 語る撫子さんは、走り終わった昂揚感で、頬が緩んだままの表情で。瞳は夕陽を反射して、かすかにきらめいている。

「お父様、桜条家を担うのは男児たる長兄のみだ、お前は好きにしろなんて、本気で言うタイプでね。本当に、時代錯誤でしょう?」

「あ、……ええ、と」

「自由は別に構わないのよ。でも、制限がないのは期待がないから」

 空気を読んだのか、思うところがあるのだろうか。すぐ後ろに並ぶ桃住さんたちも、しんと、黙りこくっていて。撫子さんはそれでも、少しも弱気の混ざらない笑みを浮かべて、こちらを真っ直ぐに見た。

「遊園地はいつも、お兄様のためだった。お兄様が他家のご子息と交流を深めるために、お行儀よく綿密に計画された流れで、遊園地を回っていくため。おまけの私はお兄様を邪魔しなければ好きにしていいって言われたから、……好きにして、何もしなかった」

 だから全然、乗ったことないアトラクションばかりだったの。

 付け足されて、すとん、と合点がいく。貸し切りだったというのに、どのアトラクションも初めての素振りで、新鮮に楽しんでいるようで。

「……お嬢様こそ、桜条家に相応しいのですから。ふしだらなデートに監視が付くのも、当然のことです」

「完璧に計画されたプランも、悪くないものですよ」

 不服そうな声と、優しい声音。

「……十分伝わっているわよ、あなたたちの気持ちは」

 はぁ、と小さく嘆息して、それから彼女は、観覧車を見上げる。

「でも。観覧車だけは乗ったことがあったの。腹いせでね、本来お兄様が乗ろうとしてたタイミングで、先を越して。まぁゴンドラ一つくらい、別に影響はなかったけど」

 ぱっと彼女がこちらを向いて、橙の中、その表情が一瞬影に眩んで。目が慣れた頃に見えたのはやっぱり、彼女らしい、強い笑顔。

「ねぇ、澪」

「……はい」

「あなたのエスコートならきっと、つまらなくて、空しかった思い出だって、大事なものに塗り潰せるでしょう?」

 じっと見つめられて、すこしだけ目を閉じて。

 浮かべる表情は、使われている表情筋は、伶くんの時と同じもの。一番真摯に見つめたい時。ステージの上で、ファンに向けて語りかける時。

 遊園地で、エスコートを務めるお嬢様へ、本気を伝えたい時の、表情。



「お任せください。最高の思い出にしてあげます」



「……なら」

「ええ、……撫子。どうぞ」

 自然と、さんを忘れてしまったけど。

 ちょうど、列が流れきって、訪れたゴンドラの前。

 手を差し出して。それが取られる。

 乗り込んだら扉が閉まって、ゆるりと、景色が沈んでいく。視界が持ち上がっていく。



「……澪って、恋人はいないの?」

「……いませんよ」

「そう」

 不意の問いかけにも、すこし鼓動が走ったくらいで、冷静に答えてみれば。彼女はくすりと微笑んで、景色からこちらに目を移す。

「皆、本当に見る目がないのね」

「……普段、こんなことしてませんから」

「あら。じゃあ、わたくしだけの特別ね」

「もちろんです」


 さわりと、呼吸が浅くなるような、ちょっと変な感覚。エスコートしている意識がそれをしっかりと押さえ込むけど。呼吸が甘く感じるような、胸がちょっと、心地いいような、でもすこし息苦しいような。

「……ここの観覧車、八分くらいで、一番高くなるそうです」

「そう。でももう、半分くらいは持ち上がってるわ」

 緩やかに持ち上がっていく景色。夕焼けが包み込む園内は、非日常的なアトラクションの生み出す影と、退園間際に思い出を増やそうと急ぐ人々とで、夢見心地な光景が広がっている。

「あっという間に、過ぎていくわね。観覧車も、デートも」

「ふふ。今日は特別、慌ただしいデートになりましたね」

「それだけじゃないわ。楽しかったの」

 窓際で、景色を見下ろす彼女の瞳は、きらきらと輝いている。

「私もです」

 それも、本心からの言葉。慌ただしかったし、先週計画している時は、どうなることかと思ったけど。今は心から、撫子さんが友達だって言ってしまえるほど、楽しい時間を過ごせていた。

 友達だって。考えた時にとくりと鼓動が、脳裏に光景が、過りもしたけど。

「あのね」

 と彼女は前置いて、景色を見下ろしたまま。

「別にもう、お父様に期待してないの。その分私は、……わたくしは、わたくしの欲しいものを、諦めないことにしたのよ。自由を与えるなら、そうしたのを後悔させるくらい、突き詰めてやるわ。……それで」

 するりと立ち上がった彼女と、一緒にすこし、揺れるゴンドラ。

「今欲しいのは、……」

 隣に、彼女が腰かける。二人分でずれる重心はかすかで、それでも先ほどまでと違う角度で、水平線と交じり合う。

「……ねえ」

 ずきりと。

 胸が鳴って。夢のことを思い出して。窓の向こうの光景が、夢の橙と交じり合って。

 彼女の瞳が、こちらを向いた。



「――私が言いたいこと、わかるわよね?」



 夢の景色が重なる。痛いほど胸が鳴っている。

 でも。

 そうじゃない。

 眩むような心地を。まるでそう望んでいるみたいな、そんな感覚を遠ざける。

 夢の光景じゃなくて、彼女を、桜条撫子をしっかりと見つめて。



「撫子と、一緒に来られてよかった」



 それこそが、私の心からの、言葉。

 手を重ねれば、微笑みと一緒に、握り返される。



「私もよ、澪」



 観覧車は頂上を過ぎて、間もなく地上へ戻っていった。

 帰り道の中でもすこしだけ、とくとくと鼓動は鳴っていたけど。

 それはとても心地よく。彼女との距離感も近づいて。





 そうして迎えた翌週も、秋流さんや小薬さんに妙な勘ぐりをされる程度には、友達の距離感に近づいたけど。



「あ、あ、ありえない……!? ちょっと、……ほ、ほんとなの!?」

「その、……はい。あ、あの。やっぱり勝負、なしにしても……」

「そんなわけないでしょう!!」


 テストの結果を握りしめて、ぷるぷると震える撫子さん。

「や、……やってやるわよ! ライブでファンを楽しませればいいのでしょう!? その程度、完璧にこなしてみせるんだから!!」


 彼女はやはり、桜条の名を背負うに相応しい強さを持っていると、そう思った。


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