「おはよう、み……お」
パタリ、と彼女の背後。リムジンの扉が閉じる音。
「お、…………はよう、ございます…………」
集まっているはずの衆目の、ざわざわという気配もどこか、遠く。
「……見とれておいて、何もないわけ?」
「………………えっと、……――綺麗、です」
出てきた言葉は、語彙力不足。でも、心からの。
ファンクラブがある、というのも伊達じゃない。
「まぁ、……お気に入りだから、当然よ」
くるくると照れたように真っ直ぐな長髪をいじりながら、すこしそっぽを向く彼女。
普段の制服からは一転。一見着物にも見えるそれは、けれど動きやすさに、機能性も考慮された現代的な意匠で。それでも全体的な雰囲気は和、そのもの。
制服も、洋装だって流石だとは思っていたけど。
これほど和柄が似合うとは。
「んん、――コホン! ……ねえ」
「……はい」
咳払いをする様も、上品な所作も相俟って、まるで一幅の絵のように。
「あの。見過ぎよ」
「――えっ!? っあ、す、すみません!」
「というか、もっと気にすることあるでしょ」
う、うわ。え。ちょっと、我を忘れていた。というか普通に見とれてた。まさに私たちこそ、これだけの人数に見られてるとこなのに。てか傍から見たら今の私、ぼけっと目を奪われてたってこと!? アイドルやってる手前、見目麗しさには耐性があるつもりだったけど。
それにそう、恥ずかしさで頬は熱くなるけど、今気にするべきことはもっとある。
「え、えっと! その、この方たちは一体……」
十数台の高級車に、厳重に周囲を取り囲む黒スーツの人たち。おかげで見物客もぞろぞろと集まっているし。
「一応要らないと言ったのだけどね。ともかく、このままだと電車一両占拠しかねないし、悪いけど説明は後にして。移動も車にしてちょうだい」
「あ、……はい」
「あと」
と。リムジンに向かって歩きかけたところで、桜条さんはくるりと振り向く。
「名前呼びなの、忘れてないわよね」
「う、……はい。えっと、…………な、……でしこ、さん」
「ふふ、……よろしい」
半身を振り向けたその姿にも一瞬、目を奪われかけて、逸らしながら彼女の、名前を呼ぶ。
そうして。
アイドルとしても経験したことのないような厳重な警戒態勢の下、リムジンに乗り込むことになったのだった。
*
素山さ……澪、とのデートがこうなったのには、海よりも深い事情がある。
『お嬢様がデートですってぇ!? どこの馬の骨ともわからぬ私立清正院学園生徒会長素山澪と!?』
『どこの骨かはわかってるじゃない』
『そうですよ
『今の
それは金曜日。デート前日の夜のこと。
そうなることを半ば予想しつつも、仕乃に次いで私の手伝いをしてくれる彼女たち、
ツインテールを揺らしてぷりぷり怒る妹の来未と、いつどこから取り出したのか、遊園地グッズで身を固めた姉の好百。普通にしてればいい子たちなのだけど、このモードに入られた時点で、あるいは敗北だったのかもしれない。
『別に、一応仕乃から言われたから共有しているだけで、着いてこなくても大丈夫よ』
『そうはいきません!! 生徒会長と遊園地でデートなど、お嬢様が不良になるかもしれないです!!』
『生徒会長ならかなり安心だと思うけど……』
『そうですよお嬢様、水くさい。遊園地デートと言うのなら、私たちも共にお側ではしゃぎますから』
『邪魔よね? どう考えても邪魔よね?』
当然この桜条撫子も、あくまでお手伝いの二人に負けじと対話を試みたつもりだったけれど。
『私たちは梅園さんほど甘くありません!! お姉ちゃん、もっと人を集めましょう!!』
『ええ、共に楽しむ人は多ければ多いほどいいですから』
『ちょっと、やめなさい!』
「……で、今に至る、というわけですか…………」
「まぁ、そういうわけよ」
「僭越ながら」
僭越、いや本当にね? 頭下げれば良いってものでは別にないのだけど。
ぺこりとした好百の頭には、まだ向かってる車中なのに、既に猫耳カチューシャが揺れている。それを見て微妙な顔を浮かべる澪に、びしりと未来。
「お嬢様とふしだらなデートなど、そうは問屋が卸しませんから!! 素山澪、覚悟しなさい!!」
「来未、みおっぴはお客様なのですから、その態度は失礼ですよ」
「みおっぴ!?」
いや。もう、すごい。頓狂な声を上げた澪に一切動じず、好百は慇懃に応じる。
「これはとんだご無礼を。あらためて私桃住好百、遊園地での護衛任務にあたっては、親しみを込めて特別な形でお呼びしたく」
「あ、あだ名で呼びたいんですか……い、いえ、いいですけど」
「私のことはどうか、すももんと」
「え、……と…………」
「遠慮なさい」
つけ上がらせるだけだから。一々付き合わなくていいから。
はあ、と深々、思わず溜め息。頭が痛い。名前呼びであれだけ勇気を振り絞った私は何だったのか。
「……もう分かったと思うけど、この子たち、仕乃よりもかなり面倒というか……」
「あはは、癖は強そうですね……」
もう十九で、仕乃より三つ年下の好百は見目と所作はとても真面目。なのに、楽しそうなことには目がないパリピで。まだ中二の来未はとても優秀だし何なら姉の百倍は真面目なのだけど、私を随分慕ってくれててよく暴走するのが玉に瑕、いや瑕越えて罅。
もちろん、元々は仕乃に駅前まで送ってもらう予定だった。でもあの人の本業は大学生だし、研究室でトラブルが起こったというから、渋る仕乃にそっちを優先させたのだ。のだけど、間違いなく。仕乃の送迎なら邪魔することなく、遠くからそっと見守るだけのはずだっただろう。
けど。
「本当に……予定も立ててくれてたのに、ごめんなさい」
「いえ、いいですよ。その……護衛とかって、大事だと思うので」
だけどね?
澪はそう言って苦笑しながら、この現状を受け入れているようだけど。
「……でも、せっかくのデートだから」
とか。澪の言葉をしおらしく受ける素振りをしながら、そっとメッセージを送信。
ちらりと向けた視線で勘付いたのか、それとなくスマホを取り出す彼女。
「……」
本気ですか、という視線に当たり前じゃないという目をしてみせる。
そう。そうよ。
この状況で、諦めてあげるはずもない。
『予定を狂わせて申し訳ないけど、遊園地に着いたらこの子たちは撒くから、二人で気になったものを回りましょう』
送ったメッセージを澪が見ていたら、ふしだらの気配を感じますとか来未が騒ぎ出したから、返事が来たのは八分後。
ぶぶ、と小さく震えて、隙を見て打たれた『わかりました』のメッセージ。
「お、お嬢様! その怪しい笑顔はなんですか!!」
「……あなた、仮にも仕えてる相手に向かってなんてことを言うの。別に何もないわ」
そう答える声さえすこし、笑い声が混じりそうになる。
いえね? 桃住姉妹に辟易したりとか、澪への申し訳なさだって、もちろんあるのだけど。
そうしてぎゃあぎゃあ騒ぐ傍らでひっそりと交わすアイコンタクトは、なんだか秘密の悪戯を企てているみたいで。
ふしだらではないにせよ、確かに不真面目なそのやり取りで。こんな滑り出しでも案外、楽しいデートになるのかも。なんて、心がどこか浮き立ち始めた。