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012 -邂逅-


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「ねえ」

 その声音も、お嬢様の時よりすこし、柔らかく。


 目に映る橙色の街。

 ゆっくりと昇る観覧車。

 彼女が、こちらを向く気配。

「私が言いたいこと、わかるわよね?」

 もちろん。

 と、アイドルとしての私で、微笑みながら隣を向くと。

 頬が茜で染められた彼女。

 求める言葉を、するりと紡ぐ。



「撫子と、一緒に来られてよかった――」

「ねえ、」


 ぐい、と。言い切る前に腕が引かれて、彼女の顔が迫る。



「そうじゃないでしょう、……もう」

 不満げに膨らませた頬と、尖らせた唇。

 それらはするりと緩んで、なにかを待つように瞼が閉じて。

 え?

 どくり、と心臓が打つ。観覧車は頂点に辿り着いて、アイドルが、アイドルとしての私は、体はそっと彼女に近づいて、いやでも、これ、アイドルとしてもやっちゃまずいんじゃ、っていうか桜条さんってほんとにこれを望んで、ってか体止められないし、あっ、このままじゃほんと、あっやば、ちょ、止まっ――



「――っ!?」

 ぴぴぴぴ、ぴぴぴぴ、ぴぴぴぴ。

 と、電子音。勢いで身体は起こしてて、まだ早朝の薄暗い部屋の中、どくどくと汗。

「ゆ、…………夢……」

 深く息を吐きながらぴ、とアラームを止めれば、隣の部屋でむにゃむにゃしている寝返り、からまたすやすや寝始める弟妹の気配たち。

 素山澪、男装アイドル。

 実はあの日から。

「……ほんと、もう、何なんですか…………」

 まだ動揺を、引きずっている。



 *



「――はいお時間です、離れてください」

「っまたく、来ます……!」

 ぱっと離れて、距離を取る。

「……インターバルは」

「二十分!」

 物言いたげな雰囲気をしっかり無視して、存在しない列を想像する。昔は混んでてもそれくらいで、でも今の伶くんの人気なら二十分で回転なんかしない。だから、空想の中ではより長く。

「…………」 

「……はい、ではどうぞ」

 スタッフっぽい声音で促されて、五枚の紙切れをぱっと机へ。す、と彼の表情が伶くんに変わって、いつもの微笑みを見せてくれる。

「なこさん、ほんとにまた来てくれたね」

「あっ、う、うん……! あの、この間のライブの感想、言っておきたくて……!」

 この辺、流石というか。握手会という公的な場では、ちゃんとなこ、と呼んでくれる辺り。それが架空だとしても。

「あの、スパチャでも言ったんですけど、ほんとに最高で、あ、えっと……」

 飛んだ。さっきのインターバルでまとめてたのに。慌ててメモを見返して、そのまま読み上げる。恥ずかしさもあってほとんど顔も見れず、どうにか言い切って。

「ありがとう、うれしいよ――お時間です、離れてくださーい」

「っあの、応援してます、……!」

 名残惜しさは振り切って、机の前から走り去る。

「…………インターバルは」

「二十分!」

「いやあの、そろそろ今日の用事が……」

「あ、じゃあ十分で」

「……」

 そうして、追加の一周も堪能して。

「……まぁ、これは結構、悪くないわね」

「桜条さんがいいなら、いいですけど……」

「何か文句?」

「いえ……」

「そう。ならいいけど」

 あったらもちろん、終わるけど。色々が。

 ほんと僅かな余韻もなく、終わった途端あっという間に前髪を戻した彼女。学内でこんなことをさせているのだし、リスクを考えれば当然ではあるけども。降りた前髪がぴったり似合いの微妙な表情を浮かべた彼女は、よせばいいのに往生際悪くもごもご口を動かした。

「でも……」

「あら、終わる? すべて」

「すべて!?」

「素山さん次第ね」

「ぶ、物騒すぎ……い、いやそうじゃなくて!」

 ばっと顔を上げ、勢い込んで。

「あ、あのっ! 桜条さんって、………………」

「………………何」

 どこで途切れてるのよ。やっぱりすべて終わりコースかと、じろりと睨めば。

「い、……いや」

 ぱち、と、前髪越しに合った目が――ってちょっと!

「――は、はあ!? 何!!」

「っい、いや!! なんでも! なっ、……何でもない、です」

 どうしてそこで赤くなって! それに何でそんな感じで逸らすのよ!

 わからないけど全然違うから! 全く、と口に出すのも何だか、よくない流れになりそうだし。

 こほんこほん、と咳払い二つでどうにか微妙な空気を押し流す。

「っ素山さん! 文句はないのよね!?」

「はいっ、ありません!」

「なら終わり! 大体用事あるんでしょう! ほら机、一緒に動かして」

 赤くなるならせめて伶くんの時に、というのもぎりぎり呑み込む。

 生徒会名義で借用している空き教室。イマジナリー握手会のために全面閉めたカーテンとか、施錠した上で念の為机でバリケードした入口とか、戻さないといけないものは色々ある。から、最後もわざわざ縮めたわけだし。

 と。急な挙動不審のせいで私も動揺して、頭から抜けかけていたけど、ふと。

「……ねえ、ちょっと」

 そのつもりはなかったけれど、声はほんの少しだけぴりりと張り詰めた。

 あらかた片付けた教室を見渡し、忘れ物がないか確かめている彼女へと。

「その、用事って? 今日は別に、レッスンとかじゃないでしょう」

「あっ、……お使いです、家の」

「ああ……そうなの」

 お使い。そういえばそんな文化もあるか。いつも家のことを手伝ってくれる彼女、梅園うめぞの仕乃しのがやってくれてるような。

 ふうん、と気のない返事を返しつつ、声音が自然と緩む。何となく、誰かと一緒に帰る約束が、なんて言い出すんじゃないかと思っていたのが当てが外れて、まあ少しだけ、感心なことじゃない、とか思ったり。

 そしてこれも、何となく。そうしてあげてもいいかな、というか。いつもよりも少しだけ、そんな風に気を回したくなった。

「送りましょうか?」

「え?」

「私、迎えが来てるから」

「……あー……」

 付き合わせたのは私だし、車なら遅くなることはないでしょう。けれど素山さんの瞳は、微妙な角度を見上げている。

「別に、変な紹介しないわよ。生徒会長の素山澪さん、でしょう」

 というか。仕乃たちは一応、あの日に知ってしまっているし。とまでは言わないけど。

「……まぁ…………その、」

「何?」

 単なる親切心なのに。何がそんなに嫌なのか。

 苛々しながらじろりと睨むと、泳がせてた目が観念したようにぱちりと合った。


「ええっと、……もう一人いても、いいですか?」





「あっ、花糸です。あの、桜条さん、ごめんなさい……」

「あらいいのよ。わたくしも、生徒会の用事で素山さんを引き留めてしまっていたし。花糸さんは、ちょうど部活が終わったところ?」

「あっ、はいそうです! あ……運動部じゃないんですけど、それなりに汗掻いちゃうんです。あの、汗臭かったら言ってください、電車でも平気だから」

「ふふ、そんなことしたら素山さんに怒られちゃうし、心配しなくても大丈夫だから」

 人懐こさと臆病さを絶妙に織り交ぜた、子鹿のようなペースで、鈴のような音で返る言葉。聖女や天使、なんて形容がお似合いの理性的で柔らかな美少女。

 花糸かすみ。

 いや、なんでよ?

「……」

 ちら、と。

 素山さんから聞いた時は、何かの間違いじゃないかと思ったし、二度尋ね返しもした。ファンクラブがある、という点は私と同じではあるけれど、要するに学園の有名人だし、ただ人気があるというだけでなく、仲良くしている子も多いと聞く。それこそ友達なんて一番多そうに思うのに。

 それがどうして、素山さんなんかと。目を向けても当の彼女は車の方に釘付けで、呆然とこちらを振り返った。

「お、桜条さん、すごい車に乗ってるんですね……」

「……そう? 普通じゃないかしら」

 一瞬緩みかける口元をキープ。普段はその手の言葉に何とも思いはしないけど、素山さんのレアな表情は少しだけ心をくすぐる。と、花糸さんも車に目を向けて、ぱっと表情を明るくさせた。

「あ、このリムジン、お祖父ちゃんのと同じ型です! これ、乗り心地すごくいいですよね……」

「か、かすみ乗ったことあるの!?」

「あっうん、その、お祖父ちゃんのお家で」

「…………」

 そう。

 ふうん。敬語、取れるのね。とは言わないけど。素山さんは随分と自然体で、まあ、友人と言うだけあるようね。

 そして、花糸さん。そういえばそんな家柄だった。明るく共感を示した彼女は実際馴染み深いのか、車内に乗り込んでも戸惑った様子もなく、でも遠慮は見せた振る舞いで。反対に素山さんはすこし挙動不審。

「花糸さんって、合唱部だったかしら」

「あっ、そうなんです。すごくうまいってわけじゃないんですけど、誘われて、断れなくって……えへへ」

「あら、評判はすごくいいわよ。ファンも多いみたいだし」

「そ、そんな……お恥ずかしいです。あっでも、誘われてはじめたものですけど、活動は楽しくなってきてます」

 ファン、なんて言葉にもすこしも自惚れた様子は見せず、ただ素直に頬を紅潮させる。謙遜の言葉へのフォローも自然に織り交ぜる。

「……そう。わたくしも聴いてみたいわね、花糸さんの歌」

「あ、ええっと……あ、来月に学内向けの公演があるので、お時間合えば」

「ありがとう、ええ、ぜひ」

 そうね。ええ、そう。

 良い子ではあるのでしょう。別に彼女のことでこんなに、気を揉むこともないくらい。後輩二人が揶揄ったように、変な相手でもなかったのだし。

 思いながら、でも。

「けれど……」

 それでも、口がさらりと尋ねかける。

「部活が終わった後に合流して帰るだなんて、よっぽど、仲が良いのね?」

 そうすると。遠慮がちに伏せられていた花のような瞳がまっすぐ、私を見る。唇はゆるりと嬉しそうな弧を描いて、返事のために開かれた。


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