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009 -自撮り下手と危機-


 *



『ひゃっはーははははっ! 中にいるなんて一言も言ってないよーんっ』

『桜条先輩、ドンマイです』

「オイコラ小薬ィ!! 人をおちょくるのもいい加減にしやがれなさい!?」

「っふ、ふふ……」

 皆の総力に、何なら普通に検索や教科書も駆使して十五分で突破した扉の向こう。開け放ったそこから、何の成分かもわからない白煙がどばっと溢れ出し、それを吹き飛ばす勢いで突入すると。

 外と全く同じ型のモニターと、もくもく煙を吐くビーカー。

 相変わらずモニター向こうでは、ギザ歯が楽しそうにつり上がっている。

『ねぇー、悔しい? 悔しい??』

「ふ、副会長ッ、わたし悔しいですッ!! あいつら……の子たち、ぎゃふんと言わせてやりたいですっ!!」

『えーそんなのどんな状況でも言うわけないじゃん、凡百ってほんと台詞からして凡百だよねー』

『ぎゃふん』

「ふふふ、副会長ォ……!! がたがた言わせましょッ!! 後生なので!!」

 もう、こうなったら私が何をしなくとも、風紀委員の手によって学園の風紀が大変に乱されてしまいそうだけど。もちろんここで引くわけもなく。十八時まではまだ一時間以上ある。

「これが、ヒントなのね?」

『あっ、気付いた? さっすが桜条先輩ちゃんだねー』

「皆さん、図書室よ」

『うわ早い! きゃーこわいよーつかまっちゃーう』

 早々に煙が晴れきって見えた、ビーカー底のヒントカードを取り上げたら、勢い余ってぐしゃりと潰れてしまった。怒りだけなら抑えられたけど、多少の焦りが混ざったために。

 そう、場所が違うと。一箇所で辿り着くはずがない。ほぼ間違いなく、あっちこっちに移動させられるだろう。

 内心すこし冷や汗を掻きつつ、ちらりとスマホを確認。

 まだ自撮りは一枚も届いていない。もしあの子が伶くんになっているところに、この人数でなだれ込んだりしたら……。

 いや、ま、まあ。さすがに、大丈夫よね。



 +



 一枚の自撮りにどれだけ時間を費やすか。もちろん撮影時の状況とか、タイミングとか、その時のテンションにもよるけれど。テンション高いムードメーカーの海老名えびな七緒ななおは、イメージに反して毎回何枚か撮り直してるし、なんか気に入らない、という理由で上げないこともしばしばだ。逆にリーダーの虎走こばせまことは、いつも一発でベストショットを決めているし、そもそも撮ろうというタイミング自体を上手に見計らっている気がする。

 そして、飛鳥井あすかいれいはと言えば。

「……う、……」

 やっぱりロケーションが悪いのか。どうしても光源が乏しすぎるから、角度を工夫しても影が大きめに落ちてしまうし、そもそもメイクもできてないから、オフモードにしても映えなさすぎる。

 やばい。五枚とか指定されてるのに、そもそも一枚も仕上がらない。これだから、自撮りより他メンに撮られた写真の方が多くなってしまうのだ。

「あー、……もう」

 飛鳥井伶ならどうするべきか。わかりきってる。廊下に出てまでロケーションを確保するだろう。幸い外に気配はないから、一応、できなくはない。窓のないこの部屋と違って、外の廊下は西日に照られて、影さえ味方に付けられる時間。

 このままどうしても撮れないと送れば、もしかしたら許してくれるかも。他の条件は付くかもだけど、一応、そうして見逃してもらう手も。それか、そもそも妥協の自撮りでも。

 そう思うのに。

「――っよし」

 がら、と扉を細く開けて、廊下の気配に意識を集中。そ、っと外へと出てまずは、廊下の向こうと外に面した大窓に目を。

 どこにも人の姿はない。どくどくと心臓が打つ中、扉から離れすぎないように、一番良い位置を頭で計算。

 教室一個分離れれば、背景もちょうど空き教室だし、正面の窓から差し込む黄金の西日も申し分ない。

 もう一度だけ気配を確認して、急ぐ。

「っ」

 一枚、すこし緊張も相俟って、真剣な表情で合格点。

 二枚、窓際に寄りかかって、逆光にノスタルジックな表情。

 三枚、立ち位置をうまく調整して、柔らかめの笑顔が西日に照らされるように。

 四枚、手でゼロを作って、自己紹介になる明るい笑顔。

「っふ……はっ……」

 緊張感と焦りで息を詰めていたから、全力疾走でもそんなに乱れない呼吸が、たった十分でちょっと浅くなる。やばい、レパートリーが枯れてきた。五枚目を考えながらも周囲に目を配ることは忘れず。

 先に、一言を添えながらそれぞれを送っていく。こちらは随分慣れたもので、するする言葉が出てきてそのまま、四枚を連続送信して。

 ぽん、と。

『います』

「……?」

 即座に返ったメッセージに、首を傾げた辺りでふと、微かに振動を感じ取った。ぽこん、と続き。


『ぐ』


「――うわわっ!」


 これ、足音だ。

 間一髪、開いた扉に飛び込むと、はっきりとした振動と足音が廊下に溢れる。それはどんどん大きくなって、やばい、これまさか。

「――っ」

 的中、がらりと開いた扉、咄嗟に竦ませた身体、が侵入者を確かめる間もなくそのまま強く引っ張られ、がん! と閉まる音、暗闇。続いて怒号と足音がばたばた溢れて。


「あらっ、……副会長は?」

「み、見当たりませんね……あの二人も」

「……ひょっとして、あのバカたれ様方の居場所をいち早く突き止めて、もうカチコ……お殴り込みに向かわれたのかもしれませんわね」

「一体どこなんでしょう……あ、これヒントじゃないかしら」

「ほんとだわ! 私たちも早く追いついて、ガタガタ言わせないと」

 物騒なやり取りが聞こえつつ、何となく状況を悟る。暗闇でよく分からないけど、つまり、ここはロッカーの中で。この感触は桜条さんなのだろう、多分。お礼を言うのもままならず、ただ息を殺して五分間。

「ねえ、体育館よね?」

「きっとそうよ! 行ってみましょう!!」

「ハズレでも平気よ! ここまできたら関係ない場所も全部回ったらいいのよ!!」

 どかどかという退室音、ばん、と扉の閉まる音の後、足音が遠ざかって。

 しばらく。

「……えっと、……ありがとう」

 ドキドキとまだ打つ鼓動。暗闇の中で礼を言う。声音は迷って結局、中途半端に素山澪で。

「……いいわよ。ただ、…………」

 返る桜条さんの言葉は、いつもよりすこし上擦っている。

「あの、……伶くん、……でも、……言ってほしい」

「……」

 いや、ちょっと、こんな密着。ファンサでのハグも、伶はしたことないし。うん、と答えた声は思っている以上に小さくなって、慌てて息を整える。動揺、しない。そう、そのはず。

 こっちでドキドキ言っているのは、桜条さんの鼓動だろうか。全体的に、アイドル活動のために筋肉質な私と違って、輪郭も感触も柔らかくて、って、いや、そうじゃなくて。

「……助かった。あの、……な、……撫子。ほんとに、ありがとう」

 失敗。上擦った声は多分減点、と思った途端、くすりという音にどきっとする。嬉しそうな、自然なその音に続いて。

「ね、……伶くん、ドキドキしてる?」

「……」


「――私も、よ」


 ……え。

 かちり、と身体が固まる。

 なんだ。どうし。え、何を求めて。放っておいても、返事も出ないのに、勝手に鼓動が早まって、多分向こうにも伝わって。ドキドキ? してる。それは、アイドルとファンだから、でも。桜条さんは、どう、なりたい。

 ずっと、思っていたけど。桜条さんって、どうしたいんだろうって。

 何も分からないまま、ただ至近距離の彼女の、うまく言えない感情が、伝わってくる気がして。

「伶くん」

「……、……うん」

 返事一つもつっかえて。いつもは簡単な、伶くんとしての言葉選びが、ごちゃりとしていて、つかめなく。

「言ってもいい?」

「……えっと、…………」

「……おねがい」

「あの、…………だめでは、……ない、……けど」

 求めているのが伶、なのなら。揺らいではだめだと、だけど。

「もう、……気付いたでしょう?」

「…………」

 それを聞いてしまったら。返事をしないといけないとしたら。

 ぎゅっと、心臓が縮む。桜条さんの鼓動はとくとく、早鐘のように打っている。

 アイドルとしての答えは、決まっているのに。

 す、と。決心するための、息を少し吸い込む音。

 それを止められない飛鳥井伶。

「あのっ、……わたし――」



「――ひゃあ!?」

「わわっ!?」



 ぶぶっ、と。鳴ったスマホに二人して跳び上がり、拍子に開いたロッカーの扉から、――いや。

 あれ?


「……」

 刹那の感触に違和感があって。が、と。力を込めると、嫌な手応え。すこしも動かない扉。

「……ねえ、桜条さん」

「まさか」

「……多分」

「っ今何時!?」

「え、えっと……うわ! スマホ落とした!」

「もう何やってるの!! とにかくここ開けるわよ!!」

 さっきまでの空気はどこへやら、大慌てで二人して扉をがんがん叩き始めた。



 それに少しだけほっとしている私がいることと。

 さっきまでの桜条さんの言葉は、深く考えないことにした。ひとまず。

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